第十七章 虐殺の日
それを聞くとジョルジュは少し驚いたような怪訝な表情をし、真顔で、
「そういうものなのか。
もし、お前に勇気がないと云うのなら、世界中を見廻しても、勇気のある者など百人足らずであろうな」
アッシュールはくっくと笑い、
「お前は真面目に言ってるから、面白いよ、ジョルジュ」
ダルジェロと三名の殉真裂士との出遭い!
「・・・っ! い、いったい、何だ、何が起こったんだ」
学校を出発してから一時間以上は経っていた。
振り返り、見渡す。煙が上がっている。恐ろしい予感がした。不安と動揺が交叉する。
雪道とは言え、かなり来ていた。アキタ村は遠い。
しかし、悲鳴のような声や何かを壊すような響きが山中の静寂の中、聞こえ続けていた。
何かが起こっている。間違いない。
体が震えた、もう胸騒ぎの段階ではない。
「引き返そう! 引き返さなくっちゃ、村で何かが勃発したんだ」
本当の意味での家族はいない。父母も兄弟も皆死んだ、こどもの頃からそう聞かされていた。
言われていただけで具体的なことは何も話してくれなかったが。
だから、家族と言えるのは、
「叔父さんと叔母さんが! あゝ、どうしよう、どうしたらいい、大変だ」
走って引き返す。動悸が高まっていた。疾走のせいではない。
十五分ほど走ったところで、背の高い逞しい少年、幼馴染で、村長の息子アレキサンドルと鉢合わせになった。
森の中をくねくね走る、村への一本道だ。
他にも若い男たちがいた。アレキサンドルの兄やその友人たちだ。
ダルジェロは慌てて尋ねた、
「いったい、何が」
「ダルジェロ、ここにいたのか、無事だったか」
「いや、僕は」
「ジン・メタルハートだ、あの殺戮女神が突然あらわれて村人を皆殺しにしたんだ」
「メタルハートが! なぜ?」
聞かなくてもわかっていた。
メタルハートは狩を楽しむように強い戦士を屠るが、時折、怨霊を生産するために罪のない人々を殺しまくるのだ。
そして、その怨霊を身にまとう。負の精神がエネルギーになるのだ。
彼女は呪い殺されることがない。その尋常ならざる魂魄の力で、怨霊すらの虐待するのだ。
アレキサンドルは涙にあふれる眼で言った。
「引き返すな、ダルジェロ、叔父さんも叔母さんも殺された。僕は見たんだ」
「叔父さん! 叔母さん!」
ダルジェロはアレキサンドルを突き飛ばして走った。
夢中で走りながら、想う。なぜ、走る? 僕は、なぜ? 諸行は無常で五蘊は皆空なのに、なんで奔るんだろう、こんなに必死に。
「待て、ダルジェロ!」
「アレキサンダー、追うな」
「だって、兄さん」
「二人とも死ぬぞ」
そうだ、全ての概念は空疎だ。だから、空疎もない、非在も〝ない〟! それすら理窟だ!
だから、感情に走る。魂から迸る想いで疾駈する。それは何ものでもない。何ごとでもない。無空ですらない!
全くの透明、全くの中庸。そう想ったとき、臍下丹田から青白い炎が湧き上がった。
その経験は今までもあったが、こんなの鮮烈ではない。もっと軽度なものであった。
アレキサンドルが叫ぶ、
「ダルジェローーっ!」
・・・アレキサンドル、そうだよ、君の叫びは虚しくない。虚しさなんて非在だ。全て無空だ。走れ! 走って走って走りまくれ! 走って走って走り切れっ!
着いた。
炎と煙とが村を覆っている。凄惨な光景だった。
たくさんの遺骸が転がっている。斬り刻まれたり、潰されたり、焦げたりして身元がはっきりしない骸が多い。
「こんな、ひどい」
女こどもも例外ではない。あまりに惨たらしい。
ダルジェロは愕然とする。茫然自失であった。
「そんなバカな、あり得ない、何てことを、あゝ、神様、あり得ない」
ダルジェロは嗚咽し、膝を地に突いて激しく慟哭した。
だが、直ぐに高らかに鐘を鳴らす天啓のように理性が甦り、誰かに知らせねばと思う。アルダ村にしらせなければ。
そうか、だから、アレキサンドルは東の方角に走っていたんだ。西嶺の方へ。
「そうだ、僕も行こう」
それはメタルハートが向かうであろう方角である可能性がとても高い。こんな辺鄙な場所、人がいる場所が限られている。
怨霊目的なら、人口の集中する場所を狙うに違いなかった。
「くそう。間違った」
向きを変えて、再び走った。無我夢中で。景色も見えない。
山岳地帯、狭い道に岩ばかりであった。
だが、ダルジェロはその半ばで、人の気配に慄く。
「誰?」
それは岩陰にいた。心臓が止まりそうになる。
「あ!」
よく見れば、それは一人の幼い少女であった。
幼女とは言えぬが、少女と言うにはあまりに夭い。五歳ぐらいだろうか。頬には泥土と煤灰がつき、髪はそれらで固まっていた。
「君はもしや」
少女の表情は凍てついて、まったく感情が窺えない。あまりの衝撃と恐怖とで、氷雪のように凍てついてしまったに違いない。
そこは坂道の途中だった。傍には斃れた沙門の遺骸がある。
「もしや、アルダの村の子?」
遅かったのだ、アルダもやられてしまった。では、アレキサンドルは・・・
少女は応えなかった。まったく凍てついた無表情で、ダルジェロの存在に気がついてすらいない。
「きっと、村の子だ、激しい精神的な衝撃で、一時的に、無感情になってしまっているのかもしれない。
この沙門は、・・・きっと、この子をここまで連れて来て、力尽きたに違いない。
あゝ、このままにして置けない。
でも、何処へ行けば? あゝ、どこへ行ったら最善なのだろうか。
どこへ?」
他に行くことが可能な村はウラしかない。それとも、人里を離れるべきか。でも、山岳地帯で生き残れない。いったい、どうすれば・・・
アルダの虐殺、凄惨な悲劇、無辜の民の犠牲。
その報はアンニュイら一行の耳にも届いた。ジン・メタルハートがあらわれた、と。
目撃者はいたであろうが、目撃情報は伝えられていない。
彼らはまさに旧エルロイペ王国領の北端にいた。アキタは近い。
「逝かねばならない」
アンニュイはそう言った。
「むろんだ」
アッシュールが手綱を引き、方向転換する。
三名は龍馬を疾駈させた。
騎乗でジョルジュが問う、
「なぜ、奴は無辜の民をも殺すのか、強き敵を求めるのではないか」
「鎧だ」
アンニュイが暗鬱な顔で応える。
アッシュールが補足した。
「呪詛への利用、古代の呪術だ。怨霊を身にまとって鎧としているのだ」
ジョルジュも合点がいった。実際、その禍々しい姿を見ているから尚更だった。
「何と恐るべきことよ」
アッシュールもうなずきながら、怒りを噛み殺すように言う、
「奴の魂魄の異常なる強さゆえだ、普通なら取り憑かれ殺される。ちっ、強ければそんなことがまかりとおるのか! なぜ、神は赦し給うか。
神を疑う者の心もわからぬではない。心弱き者が無神論にかぶくということもわかる」
憤りを籠もらせて唸るジョルジュ、
「いや、さりとても憎き哉」
アキタに着く。十数軒の集落から煙が上がっていた。生きている人の姿は見えない。惨殺体だけであった。
「一応、様子を見よう。既に誰か対応しているかもしれぬが、救える人がまだいるかもしれない。ただし、時間は掛けない」
「時既に遅しとは、このことか。もはや、なせることはないように見えるがな。時間もそこそこ経っている。この分じゃ、アルダも同様だろう。ここから大した距離じゃないからな」
アッシュールが死骸に慣れた透徹した非情の面に、かすかな憐れみを浮かべ、言った。
ジョルジュは眉を顰め、
「この先にウラという村があるはずだ。そちらに急いだ方が良くないか」
アンニュイがうなずき、
「そうだな、君とアッシュールは先行してくれ。私も数分遅れくらいで行く」
ダルジェロが着いたとき、今まさにウラは虐殺の直後のようであった。
血は湯気を立て、火災は勢いを増しつつある。
「そんな、そんな……」
少女の表情が一瞬、震えて凍りつく。記憶が蘇るのであろう。
ダルジェロはその二つの眼を手で蔽い隠す。
「見てはいけない」
しかし、そう言う彼の体も震えて止まらなかった。絶望。どこにも逃げ場がない。逝く場所がない。根源的な畏怖がからだの奥から全身を襲った。
「いや、だめだ、落ち着け、ダルジェロ、落ち着くんだ、震えるな」
荒々しく呼吸し、心臓の暴れを抑えようと焦る。
考えた。戻るべきか。ダメだ。遠過ぎる。ヒナタが眼と鼻の先だ。
ヒナタは村でも町でもない。山岳修行者の基地だ。定住者はいないが、常時、人がいる。
平凡な村人より、沙門たちの方が頼れるかもしれない。心を決す。
再び進もうとするとき、急傾斜の雪上の、彼らよりも高い位置の岩に立っている人物がいる。鎧兜の女武者のように見えた。
めらめらと炎に飾られる大きなツノのある黒い兜から、あふれ出して腰の裾辺りまでいたる漆黒の髪を陽炎のように靡かせている。
髪の毛の一筋一筋がおどろおどろしく、細い蛇のように眼があるように見えた。
兜の陰翳から煌めく爛々たる双眸は蛇眼のように瞳孔が縦に細長い亀裂である。
不思議なことに、五、六十メートルの距離があるのに、はっきりと見えた。
手に持つは黒い鋼の剣、黒い龍が巻きつき、龍は黒い炎をまとっていた。見る者の血をも凍らせるほど怖しい魔剣『リャーマ・ネーグロ』だ。
二百四十センチメートルを超える強靭な筋肉のからだから濛々たる瘴気に包まれ、凄まじい憎悪に歪んだ怨霊の顔がいくつも幻影のように浮かんでは消えている。まるで、悪夢だ。
ダルジェロは生存の根底を揺るがされた。これほどの恐怖を感じたことがない。
震え上がって足腰が立たず、しゃがみ込んでしまった。
少女のまた蒼白に硬直し、すさまじい記憶が蘇ったかのように裂く震え、何か声を出そうとしているが、喉が強張り掠れて、口をぱくぱくさせるだけで声にならなかった。
ジン・メタルハートはその高みから飛び上がり、ダルジェロたちの眼の前に、ずしいんと地響きをさせて着地する。
その凄絶な眼でにらむ。ダルジェロは呼吸ができなかった。硬直して気を喪いそうであった。
「不思議だ。
だが、わかる。お前は強くなる。信じ難いが、お前が最も強いかもしれぬ。アカデミアのユリイカにも匹敵する」
ダルジェロは理解不能であった。いや、何も考えられない。
「その小娘にも何かがある。だが、期待ができるかは、不明だ。
小僧、お前は生かそう。その小娘だけ殺す。差し出せ」
ダルジェロは歯がガクガクして応えられなかったが、少女の体を硬く抱いて、腕でガードした。
メタルハートは眉を上げた。
「ほう、逆らうというか。逆らうならば、お前も小娘も殺す」
リャーマ・ネーグロを振りかぶる。
「さあ、寄越せ、その手を離せ。どのみちその小娘は死ぬのだ。さあ、差し出せ、お前も殺すぞ」
ダルジェロは怖くて心底震え上がったが、手を離せなかった。この娘を殺させてしまっては、叔父さんや叔母さんをもう一度殺してしまうような気がして、もう理性も飛び掛けているのに、できなかった。
諸行無常・五蘊皆空とは思っていても、肉體は言うことを利かない。死を超えられない。しかし、この娘を死なせられない。その気持ちもまた、どうしても動かなかった。
殺されても空だから罪にはならぬという考え方もある。だが、それも空。命に執著して殺させないと願うことも、間違っていない。空だ。空は既に空ならぬ。
無意識にそう反芻しながら、臍下丹田の青白い炎がちらちらと揺らぎ、だんだん強くなって逝く。身體が熱い。
メタルハートは嘲りの表情を浮かべ、
「さあ、その手を離せ、話さぬと云うならば、惜しいが、已むを得まい。ふ、愚かな」
「おい、アンニュイ、あれを見ろ!」
ジョルジュが叫ぶ。
アンニュイたち一行が、百数十メートルの高みから、ダルジェロと少女とメタルハートとを捉えた。
アッシュールも叫ぶ、
「まずい」
そう言い放ったときにはもう、駆け下りていた。
「よし、行こう」
アンニュイが声を掛け、ジョルジュとともに疾駈する。
その瞬間、ダルジェロの臍下丹田の青い炎が極小の炸裂をした。
リャーマ・ネーグロを振り下ろそうとしたその瞬間、「ぅぬぉおっ!」
青白い光燦炸裂が起こって、メタルーハートを吹き飛ばそうとした。だが、修羅女神は辛うじて左脚を下げて踏ん張った。
「な、何だと」
メタルハートが驚きを隠せない。
「こんな、バカな!」
だが、それもほんの僅か、不敵な微笑を浮かべ、
「ますます今殺すのが惜しくなった。
已むを得まい、例外だ。その娘も生かそう」
剣を鞘に収める。
「待て! ジン・メタルハート! 今日こそ成敗してやる!」
突っ込んで来たのは、アッシュールだ。渾身の一撃、しかし、
「愚かな」
メタルハートは軽々と弾き返す。
「貴様ーっ! メタルハート、これを喰らえ」
続いてジョルジュの『銀月の剣』が襲う。
間髪入れず、アンニュイの『霓の稲妻』も雷霆を落とす。
「ふ、笑止! こども騙しだ」
それらも弾き返した。
「うッ」
「くそっ!」
転びつも受け身を取り体勢を立て直す。
三人は武器を構え直し、メタルハートを囲むが。
「ふんぬっ!」
メタルハートの一振りで三人が吹き飛ぶ。
鋼鉄の女修羅は大いに嘲り嗤い、
「熟成させているオカズが皆この場に集うとはな。奇特なことよ。
しかし、今は時ではない。また会おうぞ」
そう言って、哄笑すると、駝鳥と龍との合いの子である龍駝鳥に乗り、
「ふふ、また会おうぞ」
「待て、貴様!」
「卑怯だぞ、逃げるか」
ジョルジュとアッシュールの怒號など聞きもせず、去る。
アンニュイはダルジェロを気遣った。
「大変だったな、少年よ。さぞ怖かったであろう、どんな歴戦の猛者も震え上がるあのメタルハートに対峙して妹を守った。素晴らしい勇気だ」
アッシュールも感心してうなずいた。
「大したもんだ。まさに命懸けであった。その辺の男どもよりも遙かに凄い」
しかし、ダルジェロは、
「ありがとうございます。
けれど、この娘は妹ではありません。
今は喋れなくなっていますが、恐らくはアルダ村の娘だと思います。メタルハートが虐殺を始めていることを知らせに走っているときに見つけました」
「君はアルダの者か」
「いいえ、アキタです」
アンニュイは眼を閉じた。
「何と云うことだ。
君は他所の村の会ったばかりの女の子を、足手纏いになるこの幼子を連れて、この混乱の中を動き、あの恐るべきメタルハートに脅されても、手放さなかったというのか」
いつも憂いの表情しか見せぬアンニュイが深い感動を覚えていた。人間はまだこんなにも素晴らしい。
アッシュールも感嘆した。
「何と勇気のある少年か」
ダルジェロは吃驚して戸惑った、
「いいえ、僕には勇気なんてありません。皆んなが僕を臆病者と呼びます。さっきもとても怖くて」
それを聞くとジョルジュは少し驚いたような怪訝な表情をし、真顔で、
「そういうものなのか。
もし、お前に勇気がないと云うのなら、世界中を見廻しても、勇気のある者など百人足らずであろうな」
アッシュールはくっくと笑い、
「お前は真面目に言ってるから、面白いよ、ジョルジュ」
ジョルジュは顔を少し赤らめ、
「何だ、何かおかしいか」
アッシュールはそれを聞くと、腹を抱えて笑った。
ダルジェロは不思議そうな顔をしていたが、気がつく。
「あ、あなた方は、もしかしたら、殉真裂士の方々ですか、ジャン・マータ、ジョルジュ・サンディーニ、アッシュール・アシュラ・アッシューラ!」
アッシュールが微笑む、
「ああ、そうだよ」
「凄い!」
ダルジェロの眼が感激で輝いた。
アンニュイが言う、
「さあ、行こう。ここにいても危険だ。人攫いもいる。さあ、乗りたまえ、君にはこの龍馬に乗る資格がある」
ダルジェロが殉真裂士に!




