第二話
始発の新幹線。真っ暗な窓に映る自分の顔は、お世辞にも「一流商社マン」には見えない。足元には、昨日急いでワークマンで買い揃えた安全靴入りの紙袋。
「木田、寝ていいぞ。着いたら叩き起こしてやるから」
隣でスポーツ新聞を広げるのは、教育係の佐藤先輩だ。
「いえ、予習します! 訪問先の工程表、もう一度頭に入れますから」
そう言いながら資料を開くけれど、正直、文字が滑って頭に入ってこない。鉄鋼製品。冷延、熱延、スラブ、ブルーム。用語の羅列が呪文みたいだ。
わたしたち商社の人間は、自分たちで鉄を作るわけじゃない。だけど、鉄が作られ、形を変え、海を渡って自動車や缶詰になるまでの「流れ」を止めてはいけない。それがわたしの、一兆円への第一歩……のはず。
「……あ、一葉からライン」
スマホを見ると、一葉から短いメッセージが届いていた。
『亜矢、体温調整気をつけて。製鉄所は場所によって気温差激しいから。機能性インナー、ちゃんと着た?』
相変わらず、お母さんみたいだ。続いて美香からも。
『現場に可愛い人いたら写真送って。目の保養。あ、あと日焼け止めは三時間おきね。絶対だよ!』
思わず吹き出した。二人とも、戦場に向かうわたしを彼女たちらしいやり方で励ましてくれている。
「よし、やってやる」
わたしは気合を入れ直し、新幹線の背もたれに深く体を預けた。
到着した製鉄所は、想像を絶する巨大な「国家」だった。
構内を走る専用の線路、空を突く高炉。ヘルメットを被り、防塵マスクを装着して、わたしは佐藤先輩の後を必死で追いかける。
「いいか木田。今回の出張の目的は、納期遅延の謝罪じゃない。『なぜ遅れたか』を自分の目で確認して、それを顧客に説明できるだけの材料を拾うことだ」
「はい!」
だけど、現場はそんなに甘くなかった。
巨大なクレーンが唸りを上げ、真っ赤に焼けた鉄の塊が火花を散らして運ばれてくる。その熱気に、息が詰まりそうになる。
「あの、担当の課長さんは……」
「今、ラインのトラブル対応中だ! 悪いがそこらへんで待っててくれ!」
現場の作業員さんに怒鳴られ、わたしは立ち尽くした。
一時間、二時間。立ちっぱなしでメモを取る。美香に言われた日焼け止めなんて、汗と埃ですっかり流れ落ちてしまった。
ようやく現れた現場責任者の田中さんは、油にまみれた手でタオルを首に巻き、鋭い目でわたしを睨みつけた。
「商社のお嬢ちゃんが、何の用だ。数字の計算なら東京のビルでやってりゃいいだろう」
悔しかった。
「……数字の計算をしに来たんじゃありません! 現場で何が起きていて、どうすれば予定通りに鉄を届けられるか、それを知りに来たんです!」
喉がヒリヒリした。田中さんは鼻で笑ったけれど、少しだけ、話を聞いてくれる姿勢になった。
そこからは、怒涛の質疑応答だった。機械の不調、熟練工の不足、物流の目詰まり。
わたしは必死に食らいついた。一葉のようにスマートな分析はできないけれど、相手の目を見て、わからないことは「わかりません、教えてください」と食い下がった。
仕事が終わったのは、夜の九時を回っていた。
「木田、お疲れ。……田中さん、最後は笑ってたな。お前の根性、少しは認めてくれたみたいだぞ」
佐藤先輩に肩を叩かれ、駅前のビジネスホテルに倒れ込む。
泥のように眠りたい。だけど、やらなきゃいけないことがある。
わたしはパソコンを開き、今日聞いた内容をレポートにまとめ始めた。
一葉なら、もっと綺麗なグラフを作るだろう。美香なら、もっと見栄えの良いプレゼン資料にするだろう。
でも、わたしにできるのは、現場の熱気と、田中さんの言葉を、一つも溢さずに伝えることだけだ。
夜中の二時。ようやく書き終えて送信ボタンを押す。
ふとスマホを見ると、グループチャットに通知が入っていた。
『一葉:農家との交渉、難航中。でも、亜矢が頑張ってると思ったら、もう一回資料見直す気になった。ありがと』
『美香:新商品サンプルの色、一発OK出た! 亜矢の「気合」が乗り移ったかも。明日、絶対美味しいもの食べようね』
視界が少し、滲んだ。
わたしたちは、全然違う場所で、全然違う敵と戦っている。
でも、繋がっている。
翌朝。始発で東京に戻る前、駅前の牛丼屋に駆け込んだ。
朝日が昇る中、紅生姜をたっぷり乗せた牛丼を口にかき込む。
「……うまっ」
隣で佐藤先輩が驚いた顔をしているけれど、気にしなかった。




