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第一話

総合商社・五和商事の巨大なビルが、朝の陽光を浴びて鏡のように輝いている。その威圧感に気圧されないよう、わたし、木田亜矢は大きく一歩を踏み出した。

「よっしゃ、今日も一兆円稼ぐよ!」

口に出すとバカっぽいが、気合は大事だ。入社して半年。研修を終えて金属資源部門に配属されたわたしの毎日は、一兆円どころか、数円単位の計算ミスで課長に詰められ、山のような領収書と格闘する日々だけど。

「……亜矢、声に出てる。あと、一兆円の前に自分のデスクの消しカス片付けたら?」

背後から冷静な声がして、わたしは飛び上がった。振り返ると、一葉がいつもの無表情で立っている。食料部門の一葉は、新人三人組の中で一番のしっかり者だ。

「あ、一葉! おはよう。もう、相変わらず耳が良いんだから」

「亜矢がうるさいだけ。おはよう」

「おっはよー。二人とも朝から元気すぎ」

横から割り込んできたのは、ブランド部門の美香だ。完璧なメイクに、揺れるピアス。彼女が通ると、そこだけオフィス街がランウェイに見える。

「美香、またそのヒール? 現場行くんじゃないんだから、もっと楽な格好にすればいいのに」

「バカ言わないで。わたしの仕事は『素敵』を売ること。足の痛みは経費なの。ね、一葉もそう思うでしょ?」

「わたしは歩きやすさ重視。……エレベーター、来たよ」

わたしたちは吸い込まれるように、満員のエレベーターに乗り込んだ。

わたしの配属された金属資源部門は、一言で言えば「男臭い」。

「おい木田! オーストラリアの鉄鉱石、船積みの遅延確認したか!?」

「今やってます!」

怒鳴り声のような指示に、わたしは受話器を肩で挟みながらキーボードを叩く。商社の仕事は華やかだなんて、誰が言ったんだろう。実際は時差のある国との連絡待ち、船の動静確認、そして膨大な書類作成。

昼下がり、ようやく一息つこうと給湯室に向かうと、ちょうど美香と出くわした。

「ああ、死ぬ……。亜矢、聞いてよ。イタリアのバッグブランドの担当者がさ、急に『日本の色が気に入らない』とか言い出して。色の好みに日本もイタリアもあるかっての!」

「美香も大変だね。わたしなんて、さっきから船が嵐で止まったとかで、物流課と怒鳴り合いだよ」

「あはは、亜矢らしい。一葉は?」

ふと見ると、一葉が隅でじっとスマホを見つめていた。

「……トウモロコシの相場が、止まらない」

「えっ?」

「南米の干ばつの影響。これ、うちの契約農家に影響出る。課長に報告しなきゃ……」

一葉の目は、すでに戦場に向かっている。わたしたち三人は、同じ会社に入って、同じ日に配属されたけれど、見ている世界は「鉄」と「バッグ」と「トウモロコシ」だ。バラバラすぎて笑えてくる。

「ねえ、今日の夜、空いてる? 三人で飲まないとやってられない」

美香の提案に、わたしと一葉は同時に頷いた。

夜の神田。ガード下の居酒屋。

「……でさ! 課長が『現場を知れ』とか言うから、明日からヘルメット持って地方の製鉄所だよ。新幹線、始発だよ!?」

わたしはジョッキをテーブルに叩きつけた。

「いいじゃない、出張。わたしなんて一日中オフィスで、モデルのサイズ直しに付き合わされて。プライド高いんだから、あの子たち」

美香が焼き鳥のネギを器用に外しながら愚痴る。

「……二人とも、愚痴れるだけマシ。わたしは明日、農家への補償問題で会議。数字が少しでもズレたら、数億円が飛ぶ。……怖いよ」

一葉がぽつりとこぼした言葉に、空気が一瞬だけ止まった。

新人。まだ何もできないくせに、背負わされる数字だけは一人前。それが商社という場所だ。

「……やるしかないよ。だって、自分で選んだんだもん」

わたしは二人の目を見て言った。

「亜矢、珍しく良いこと言うじゃん」

美香がニヤリと笑う。

「……そうだね。数字、もう一回見直す」

一葉も小さく微笑んだ。

「よし! じゃあ、とりあえず明日の始発のために、もう一杯だけ!」

「「それは飲みすぎ!」」

二人のツッコミが重なる。

一兆円までの道のりは、たぶん、果てしなく遠い。でも、この三人がいれば、とりあえず明日の朝のエレベーターまでは歩いていける気がした。

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