第98話 仮面
エルム村から、三日が経っていた。
道は南へ。
帝都へ向かうにつれ、街道の人通りが増えていく。
商人の荷馬車。
帝国の巡回兵。
旅人の列。
「……帝国の匂いが濃くなってきたわね」
ライラが呟く。
「ここから先は——気をつけて」
⸻
宿場町の外れ。
夕暮れ前に、一行は足を止めた。
「確認する」
ガイウスが地図を広げる。
「帝都まで、あと半日」
「明日の朝、入ることになる」
セリスは、地図の上の「帝都」という文字を見つめた。
(また、あの街に)
前回とは——違う。
エルマはいない。
ガイウスがいる。
そして——レナが、いる。
「……セリス」
メイラが隣に立つ。
「考え込んでる顔してる」
「そう?」
「うん。眉間にしわ寄ってるもの」
セリスは、少しだけ苦笑した。
「……帝都のこと、考えてた」
「前回と同じようにはいかないから」
⸻
「そうだな」
ガイウスが地図をしまう。
「前回は——エルマ公爵夫人の庇護があった」
「今回は、ない」
「しかも」
ライラが続ける。
「帝都の警戒は、確実に上がっている」
「あの観測局の報告通りにね」
沈黙。
「入り方から、考える必要がある」
ガイウスが言う。
「セリス、お前の顔は——手配が出ているかもしれない」
「……そうね」
「エルデン王家の生き残りとして、帝国に認識されている可能性がある」
「前回は偽名だけで通った」
「だが今回は——それだけでは足りないかもしれない」
⸻
「これを使いなさい」
ライラが、懐から何かを取り出した。
薄い金属製の、小さな仮面。
目元だけを隠す、薄い作り。
「舞踏会用の装飾品みたいな形だけど」
「帝都では、ちょっとした流行なのよ。最近」
「……流行?」
「匿名で賭けを楽しむ文化が広まっていてね」
ライラが肩をすくめる。
「西区あたりでは、こういうのをつけた若い女性をよく見かける」
「だから——目立たない」
「顔を隠しながら、隠していないように見える」
⸻
セリスは、仮面を受け取った。
手のひらの上で、軽い。
「……これで、大丈夫?」
「完璧じゃない」
ライラが率直に答える。
「でも——あるとないとじゃ、全然違う」
「帝国兵が顔を確認しようとした時、一瞬だけ迷わせることができる」
「その一瞬が——逃げる時間になる」
セリスは、仮面を顔にあてた。
目元が、影になる。
「……どう?」
「悪くない」
ガイウスが、短く言う。
「雰囲気が変わる」
メイラが頷く。
「うん。なんか——別の人みたい」
⸻
セリスは、仮面をつけたまま、小さな水たまりを覗き込んだ。
揺れる水面に——見知らぬ顔が映っていた。
同じ金髪。
同じ碧眼。
でも——どこか違う。
(……守られている)
そう感じた。
顔を隠すことで。
仮面の下に、本当の自分を置いておけるような。
(セラ・エーレンベルクとも違う)
あの偽名は——名前だけだった。
でも、これは。
「……気に入った」
セリスが言う。
ライラが、小さく笑う。
「そう。じゃあ決まりね」
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「ただし」
ガイウスが言う。
「帝都の中で——気を抜くな」
「前回会った人間に、うっかり声をかけるな」
「前回会った人間……」
セリスの胸に、何かが引っかかった。
(レナに——会うかもしれない)
あの笑顔が、頭をよぎる。
膝の上で泣かせてくれた夜。
孤児院の子供たちと笑っていた朝。
写真を撮った、あの日。
(会ったら——どうする)
「セリス?」
メイラが、顔を覗き込む。
「……なんでもない」
「また眉間にしわ」
「……ごめん」
⸻
夕飯は、宿場の食堂で取った。
質素な豆のスープと、固いパン。
でも——温かかった。
「明日から、また動き始める」
ガイウスが言う。
「全員——準備はいいか」
「いつでも」
ライラが即答する。
「大丈夫です」
メイラが頷く。
セリスは——仮面を、テーブルの上に置いた。
目元の形に、くり抜かれた革。
薄くて、軽い。
「……私も」
顔を上げる。
「大丈夫」
⸻
夜。
宿の小さな窓から——星が見えた。
セリスは、天井を見上げながら考えていた。
(帝都に入れば——また、何かが始まる)
クラッセンは終わった。
でも——終わっていないことの方が、ずっと多い。
神のこと。
魔導石のこと。
ガウスが持ち出した情報の意味。
アルベルトのこと。
そして——
(レナのこと)
会ったら——どうする。
仮面をしていれば、すぐにはバレないかもしれない。
でも。
(私は——平気でいられるか)
あの笑顔を見て。
あの声を聞いて。
何も言わずに——通り過ぎることが。
⸻
右手を、目の前にかざした。
何も光っていない。
ただの手。
(でも——この手で、守りたいものがある)
レナのことも。
メイラのことも。
ガイウスのことも。
(それは——変わらない)
⸻
仮面を、手に取る。
目元に、そっとあてる。
暗い天井が——少しだけ、遠くなった。
(行こう)
セリスは、目を閉じた。
明日——帝都に入る。
仮面をつけて。
本当の名前を、胸の中にしまって。
それでも——前へ。
⸻
星が、窓の外で静かに瞬いていた。
風はなかった。
穏やかな夜だった。
嵐の前の——静けさのように。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




