第132話 守ったもの
朝。
副隊長が——宿の前に立っていた。
「……出発されますか」
「ええ。お世話になりました」
「こちらこそ」
副隊長が——少し、間を置いた。
「……一つだけ、聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「あなたたちは——どこへ行くんですか」
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セリスは——少し、考えた。
「帝国を——変えに行きます」
「……変える」
「壊すんじゃなく」
「変える」
副隊長が——セリスを見た。
しばらく——見ていた。
「……隊長は」
「リヒター様は——」
「そういう言葉を、好きそうでしたか」
セリスが——聞いた。
副隊長が——少し、目を細めた。
「……好きだったと思います」
「あの方は——壊すことが嫌いでしたから」
「守ることが——好きな方でしたから」
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「……そうですね」
セリスが——言った。
「知っています」
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副隊長が——一歩、前に出た。
「……私たちは」
「蒼銀鷲大隊は——どうすればいいですか」
「これから」
「隊長がいなくなって」
「どこへ向かえばいいのか——わからなくて」
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セリスは——副隊長を見た。
「……あなたたちは」
「レナさんの部隊です」
「……はい」
「レナさんが——守ろうとしていたものを」
「あなたたちも——守ってきた」
「……はい」
「それは——変わりません」
「隊長が変わっても」
「守るものは——変わらない」
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副隊長が——目を伏せた。
「……そうですね」
「……そうですね」
二度——言った。
「わかりました」
「では——私たちは」
「守り続けます」
「隊長が守ろうとしていたものを」
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「……お願いします」
セリスが——言った。
副隊長が——頷いた。
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蒼銀鷲大隊が——整列した。
静かだった。
誰も——声を上げなかった。
でも——背筋が、まっすぐだった。
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セリスたちが——歩き始めた。
大隊が——見送った。
振り返らなかった。
でも——背中に、視線が感じられた。
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「……いい部隊でしたね」
メイラが——言う。
「ええ」
「レナさんが——作った部隊だから」
「……そうね」
「レナさんらしい部隊だと思いました」
「どんなところが?」
メイラが——少し、考えた。
「……誰も、崩れなかったから」
「意識を取り戻した後」
「誰も——諦めていなかった」
「それが——レナさんらしいと思って」
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セリスは——前を向いたまま、歩いた。
(……レナさんらしい)
(そうかもしれない)
(「お姉ちゃんに任せなさい」と言っていた人が)
(作った部隊だから)
(崩れない)
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道が——続いていた。
風が——少し、温かかった。
昨日より——少し。
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昼前。
小さな川の側に——腰を下ろした。
水を——補充する。
メイラが——干し肉と固いパンを配る。
「はい、セリスさん」
「ありがとう」
「ガイウスさん」
「……ああ」
「ライラさん」
「……」
ライラが——受け取った。
「……ありがとう」
「え?」
メイラが——少し、驚いた顔をした。
「……ライラさん、今ありがとうって言いましたか」
「言った」
「……初めて聞いた気がします」
「そうか」
「……なんか、嬉しいですね」
ライラが——何も言わなかった。
でも——干し肉を、静かに食べた。
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食べながら。
ガイウスが——川を見ていた。
「……ガイウス」
セリスが——呼んだ。
「何だ」
「昨夜——あいつが言いたかったことが近づいた気がした、と言っていた」
「……ああ」
「今朝——何か、変わりましたか」
ガイウスが——少し、間を置いた。
「……変わったかどうか、わからない」
「でも」
「今朝——副隊長が整列した時」
「あの部隊が——まっすぐ立っているのを見て」
「……」
「計算じゃないと思った」
「あれは——計算で立てるものじゃない」
「……」
「リヒターが——守ろうとしていたものが」
「あそこにあった」
「それを見て——計算じゃないと思った」
「初めて」
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「……それが」
セリスが——言った。
「あいつが言いたかったことに——近づいた、ということじゃないですか」
「……そうかもしれない」
「わからないが」
「……わからなくていいと思います」
「近づいているなら——それで」
ガイウスが——川を見たまま、頷いた。
「……そうだな」
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メイラが——川を見ていた。
「……リオも」
「こういう川、好きだったって言ってましたよね」
「ええ」
「なんか——こうして川を見るたびに」
「リオのことを、思い出すようになりました」
「……いいことだと思います」
「そうですか?」
「残っているから」
メイラが——少し、頷いた。
「……そうですね」
「残ってる」
「愛は——残る」
「昨日——自分で言ったけど」
「こうして実感します」
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ライラが——立ち上がった。
「……行くぞ」
「ええ」
「うん」
「……ああ」
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歩き始めた。
川の音が——遠ざかっていく。
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午後の道は——穏やかだった。
帝国の巡回が——今日は、見えなかった。
「……静かですね」
メイラが——言う。
「ああ」
「嵐の前、みたいな感じがします」
「……そうかもしれない」
「アスタルテが姿を消した後——何かが、変わっていく」
「変わる前の——静けさ」
「……そうですね」
⸻
「……ガイウス」
セリスが——また、呼んだ。
「何だ」
「ケルドリック陛下の件——どう動きますか」
「情報を——集め続ける」
「ヴァルターへの伝言は、送った」
「届くまでに——時間がかかる」
「その間に——帝国の内側がどう動くか」
「見極める必要がある」
「アスタルテが消えたことで——何かが変わるかもしれない」
「……ケルドリック陛下への影響が」
「直接出るかもしれない」
「ええ」
「操っていた存在が——消えた」
「陛下が——どう動くか」
「……注意深く、見る必要がある」
「わかった」
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ライラが——前を向いたまま言う。
「……一つ、報告がある」
「何だ」
「今朝——ある情報が入った」
「内容は」
「ケルドリックが——三日前」
「側近を呼んで、二時間ほど話したらしい」
「内容は不明だが——側近の一人が、珍しく動揺していたという」
「……珍しく」
「ケルドリックが——何かを、決めようとしているのかもしれない」
「アスタルテが消えたことと——関係しているか」
「タイミングからすれば——可能性はある」
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「……動き始めている」
セリスが——言った。
「帝国の内側が」
「ええ」
「アスタルテがいなくなって——操りが解け始めている」
「だとすれば」
「ケルドリック陛下は——本来の自分に、近づきつつある」
「……それが、どちらに向かうか」
ガイウスが——言う。
「まだわからない」
「ええ」
「でも——動いている」
「それは確かだ」
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夕方。
次の拠点が——見えてきた。
小さな村だった。
煙が——上がっていた。
「……今夜はここか」
「ああ」
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村に——入る前に。
セリスは——一度、立ち止まった。
振り返った。
来た道が——見えた。
廃砦の方角を——見た。
見えなかった。
でも——そちらを、見た。
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(……リヒター様)
(守ったものが——残っています)
(蒼銀鷲大隊が——まっすぐ立っていました)
(あなたが守ろうとしていたものを)
(あの人たちが——守り続けます)
(だから——よかったな)
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前を——向いた。
「行きましょう」
「ええ」
「うん」
「……ああ」
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四人で——村に入った。
煙が——温かかった。
空が——少しずつ、暗くなっていた。
星が——一つ、出た。
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「……ノイエ」
歩きながら——呼ぶ。
『……はい』
「今日——守ったものが、残っていると思った」
『……はい』
「リヒター様が守ったものが——あの部隊に残っていた」
『……はい』
「愛は——残るのね」
『……』
「あなたは——どう思いますか」
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少し——間があった。
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(……本当に、残っている?)
(それとも——そう思わないと、壊れるから?)
『……分かりません』
「……そう」
『……ただ』
「ただ?」
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『……残っているものが——あることは』
『……分かります』
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セリスは——少し、止まった。
「……何が残っているか、わかる?」
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また——間があった。
今度は——少し、長かった。
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『……分かりません』
「でも——残っているとは、わかる」
『……はい』
「……それで、十分」
『……はい』
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村の灯りが——近づいてきた。
温かい光だった。
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セリスは——その光に向かって、歩いた。
止まらずに。
前に。




