16.全国大会! ②
大三東高校吹奏楽部の演奏が始まった。
課題曲はⅣ。
たくさんやってきた呼吸法によって、自然と腹式呼吸をして音が鳴る。肩や胸で息をするのとは違い、横隔膜を上下させることでたっぷりの空気を使用できる。また、重心も下に向かう。これで浮ついた宙ぶらりんな音ではなく、芯のある音を奏でられる。
大三東の音は、ひとつひとつがしっかり粒となって聴こえる演奏だった。細かな動きも誤魔化さない。全国大会に出場する多くがそうだが、大人数で吹いているのがわからないほど縦も横も揃っている。
速いテンポと難解なリズムが繰り広げられていくが、トロンボーンの窄口汐乃と窄中弥来は、ステージの後ろから息の合った演奏を響かせる。それぞれが別々の動きをしている中、どれかひとつでもずれると全体も崩れてしまう。窄窄コンビが安定していると、周りも自信を持って自分の音を出せた。
パーカッションの吉川桐可は、本番前の待機の時間も、パートで音を出さずに指を使って最後まで確認をした。彼女はこの曲の中で移動があるが、普段の練習と環境の異なる場所でもスムーズに動く。楽器にも部員にもぶつからずに素早くポジションを変えられるのは、普段の練習で育まれた絆のおかげだ。彼女たちは扱う楽器が違くても、以心伝心して息を合わせられる。
バリトンサックスの泓塁希は、一流のプロの音を覚えて再現できるようになった。そんな彼を中心に、低音パートはよく揃っている。ちょっとしたニュアンスの違いで曲の雰囲気は変わる。いきなりプロの真似は難しいが、部員たちが時間をかけて別の楽器と合わせる練習をしてきたことがここで役に立った。
トランペットの有馬咲太郎は、自分のことも仲間のことも信じた。他校にはもっと上手い奏者がゴロゴロいる。ひとりで虚勢を張ったところで、彼らより良い音が出るわけではない。フォローをしてくれる周りがいるから、自分も安心して吹けるのだと今ならわかる。だから、自分だけが目立つことよりも合わせることを重視し、それでいて堂々と奏でた。
様々な楽器が入り乱れた場面から静寂な雰囲気へと変わったが、クラリネットの松崎萌季はリードミスを恐れずに息を吹き込んだ。楽譜上音量が小さく指示されている箇所ほど、奏者としてはやりにくい。音が揺れやすくなる場面で、そうならないようにあえて吹き込む。相対で小さく聴こえていればそれで良いのだ。無理のない程度の息の量で、彼女は自身の先輩と気持ちをシンクロさせた。
オーボエの雅楽川実音は、ソロの前に身体の向きを客席側に少し開くようにした。楽器も指揮者ではなく観客に向ける。リミッターは完全に解除している。何度も歌ってきた。それを楽器で表現する。彼女は加点は気にせず自由に吹いた。全国の舞台でのソロは初めてではない。ほかの奏者たちがこの責任重大な場面で、緊張しながらも音を出していることもよく理解している。高校生のレベルなら、ここで普通に楽譜どおり鳴らせるだけで充分だ。しかし、彼女は緊張よりも解放感を抱いていた。不安が全くなかったわけではないが、それはステージに出る前に後輩へ笑顔を向け、それが返ってきたことで今は消滅した。会場の視線をひとりで浴び、不安定な音程の楽器でも完璧に歌うように音を響かせる。孤独だが、同時にこれまでの努力をギュッと凝縮して披露している気分だ。みんなで決めた曲の解釈の範囲内で、複雑な現代音楽であっても彼女はできる限りの感情を乗せた。
課題曲が終わっても、まだ拍手は起きない。
とても静かな時間だ。
管楽器は楽器の水を抜き、パーカッションは次の演奏の位置に行く。楽譜をめくる音さえ抑え、慌てずに丁寧に準備をした。
自由曲は『楽劇 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より第一幕への前奏曲』。
ガラリと曲が変わるが、この間の時間に全員頭の中で冒頭を流していた。
盛大に始まるこの曲を、指揮者の文凛太郎は口を大きく開けて歌いながら振る。大人になって、ここまで勉強することがあるとは思わなかった。その成果をこの場で発揮する。幸運なことに、このステージに立つ前の空気作りが上手くいった。チューニングの時間の彼は穏やかで、生徒を焦らすことをしなかった。課題曲やこの自由曲の始まる前も、部員の緊張をほぐす笑みを向けている。彼自身は心臓が激しく動いていたが、自分の笑顔を見た生徒が安心したり頷いたりするのを見て、自然と落ち着けた。
フルートの七種結乃花は、オーボエとの楽器の掛け合いを美しく吹き、リミッターを外さないまま進んでいく実音との差を感じさせなかった。これは楽器と本気で向き合い、音を研究してきた結果だ。
アルトサックスの頴川紅は、音痴だが心の中でよく歌った。上達したビブラートを使い、木管楽器と金管楽器のそれぞれの良さを込めて深みのある音を出す。オーケストラ版には登場しない楽器のため、弦楽器らしさも表現しなければ浮いてしまう。ヴァイオリンとの練習とオーケストラの映像を観て掴んだイメージを活かし、吹奏楽の良さもそこにプラスした。
同じくオーケストラでは使わないユーフォニアムの鴛淵英莉は、大三東のコンクールメンバーにはいないファゴットの代わりも務めた。完全に役割を果たすことはできないが、原曲に慣れている審査員に違和感を抱かせないようかなりの試行錯誤をしてきた。柔らかい音で、彼女は木管楽器ともよく音を聴き合いアンサンブルをした。
Esバスの胃甲瑠瑠は、低音と中音域の間として自分の楽器に誇りを持って奏でた。音の厚みを増すための存在として、吹奏楽用の編曲に取り入れてもらっている。低音のひとりとしてでなく、個人として見てもらえていることに感謝し、音で恩返しをする。
ティンパニの相知十真子は、課題曲のドラムで部員を引っ張った。それでいて暴れすぎず、コンクールだということを理解して叩いた。自由曲でも後方から仲間たちを見て、全体のバランスを考えて楽器を扱う。見えていない部分も忙しく動かし、パーカッションの中でも目立つこの楽器と一体となって演奏を支えた。
クラリネットの音和海は、一番人数の多いパートを率いてきた。ただ先頭を走っているだけであったが、そんな彼女に結局全員ついてきた。また、部員全員が部長である彼女の目標を共に目指してくれた。具体的なことを何も言えなくても、彼女はひたすら前向きに進み続けた。今ここで吹いていられるのは、そんな性格だったからだ。曲の内容と同じく、音楽ができることに喜びを感じて彼女は自由に一生懸命吹いた。
大三東は全員、余計なことは考えなかった。練習を繰り返したことで、身体は勝手に動く。無我夢中で気持ちは高まるが、頭は不思議と冷静である。演奏している当事者なのに、客席とも違う場所から俯瞰している感覚だった。だからこそ、互いの音がよく聴こえた。音楽に限らず同じ団体のスポーツなどでも「心をひとつに」とよく言うが、今がまさにそれだとわかる。
曲は盛り上がっていく。しかしまだ抑える。最も出したい箇所に向かって、耐えて、耐えて、やっと盛大に音が花開く。同じ形の音をみんなで響かせると、まるでひとつの新しい楽器を奏でているようだ。バラバラに音楽をしていた仲間が集まり、至高の領域に達する。それを、聴く者の心の深い所にまで真っ直ぐ届ける。日々積み重ねてきた技術と、曲に対しての深い理解と、互いを信じて絶対に良いものを作るという強い想いが合わさって、ようやく人々の心を震わす演奏が完成した。
最後の一音が鳴り響くと、言葉にできない感情が生まれた。そして文が手を下ろす前に、勢いよく食い気味に飛び出た「ブラボー!!」という称賛の声と、割れんばかりの拍手が客席から大三東に贈られた。文は生徒たちを立たせ、自らは客席に向かって深く一礼をする。部員も顔を上げ、堂々と胸を張った。心臓は激しく鼓動を鳴らし、息は苦しく手は震え、足もガクガクだ。それでも、目の前の素晴らしい光景を目に焼きつけた。
『ただいまの演奏は、九州代表、長崎県立大三東高等学校吹奏楽部のみなさんでした』
アナウンスがなされ薄暗くなったステージから、ほぼ感覚のない手で楽譜を持ち上手に捌ける。前の者についていくだけで、頭はあまり回っていない。
実音にとっても、ほかの部員たちにとっても、人生で一番熱くなって疲れて楽しくて気持ちの良い、充実した十二分間を終えた。




