現実02→童話01―またまた転移
市民係に配置されて三年。
これまでに色々なお客さんを見てきた。「市長を出せーっ!」とわめきながら殴りこんできた人や、生活保護の申請が通らず泣きわめく人、謎の爆破予告を残されたり(これは警察署に通報しました)。
騒動のたび職員が右往左往して対応するのけど、そういった場に亜蘭くんが居たことが、私にとっては意外だった。
庁舎から歩いて行ける場所にフレンチレストランがある。
洒落た外観と内装で、女性とカップルに人気がある店だ。地元産野菜にこだわったメニューはどれも本格的で創意に富んでいる。
「ねえ、先日さ」
本日のコースは、アンチョビのバーニャカウダー、アボカドとチーズがのったカナッペ、小鍋で湯気を立てている南瓜のポタージュ。
トマトのゼリー寄せを食べた亜蘭くんは、ちょっと微妙な顔をして、
「先日?」
「ほら、親子っぽい女性二人が怒ってたじゃない。教育委員長に伝えておけ、とか怒鳴ってさ」
ああ、と彼はさりげなく視線をそらした。
午後七時を過ぎたレストランは、会話と食事をゆっくり楽しむのに程良く混んでいる。
テンパりが代名詞の私と違って(これはこれで情けないけども)、亜蘭君がテンパるところなんて見たことがない。
そもそも私が彼に惹かれた理由もこれだったように思う。
新卒採用されて入庁当初は意気込んでいたものの徐々にペースダウンしていった私や前園と違い、彼は最初から気負っていなかった。かといって、意気消沈している様子もなく、ただ正確に誠実に職務をまっとうしていた。一貫してフラットだった。
誰が仕事ができるorできない、はデリケートな話題だから皆あまり口にしないけど、先輩たちからは明らかに“出来る人材”として扱われていた。
だから、ああいう修羅場に当事者でいたことに驚いてしまったのだ。動揺した、という方が正しいかも。
「なにかの苦情?」
「まあ、うん」
応じる亜蘭君の口は重い。
二人でいるときは基本的に仕事の話はしない。私たちが付き合い始めたころに設けたルールである。
だから三日間は我慢した。が、彼が受けたという苦情の内容を私はどうしても知りたかった。
「僕、スクールバスの担当なんだけどさ」
「うんうん」
ふわり市はスクールバスの運行を運送業者に委託している。
委託というのは簡単に説明するなら、「あなたにお任せするね」と市が専門業者に仕事を託すこと。具体的な業務内容は委託元の市が決定する。
亜蘭くんが行っているのは、どの学校にどの生徒をどのようなルートで乗下車させるか。ようするに配車だ。誰を乗せるか、の決定権も教育委員会にある。
シャンパングラスをゆっくり傾けながら、亜蘭君は気だるげな口調で話す。
「相談に来たのは、小学三年生の児童をもつお母さんとお祖母さんで」
「やっぱり親子だったのね」
「その児童は、通学距離的にはスクールバス利用の対象じゃないんだけど。両親が共働きで帰りが遅いのに、放課後児童クラブは18時までしか預かってくれない。お祖母さんは在宅しているけど、自動車の運転ができない。だから児童クラブから家までスクールバスで帰りだけでも送ってくれないか、って」
「ふうん……18時か。小学三年生がひとりで出歩くのには、ちょっと遅い時間だね。冬は真っ暗になる時間帯だし」
「とりあえず回答は保留させてもらっているけど、対応するのは難しいと思う」
「ルート的な問題?」
「いや。部活終わりの中学生を送る最終便に乗ってもらえば、ルート的には問題ない」
「じゃあ、どうして?」
事務局側は彼女たちの要望に対して難色を示したのだろう。だってあれだけ怒っていたもん。
彼女たちの味方をするわけじゃないけど、ルート的には問題ないのに、なぜ?
「対応できるのに、助けてあげないの……?」
そのとき、亜蘭くんは今まで私が見たことのない、悲しげで寂しそうな顔をした。
「――公ちゃん」
行儀悪くフォークでついていた紫野菜のババロアを指される。
「二人の時は仕事の話はしない約束でしょ」
「……うん」
そのとおりです。けど――。
ふわり君襲撃事件も、あれだけ騒ぎだったのに、彼は無闇に探ろうとしなかった。大変だったね、って優しく一言だけ。きっと、私が自分から話すタイミングを待ってくれているのだろう。
「ごめんね、亜蘭君。飲もう」
カチッとグラスを合わせる。幸い明日は祭日だ。
幸い残業もなく、暦どおりに休める素晴らしさ。勢いづいてシャンパンを飲み干すと、忍び笑いをした亜蘭君が追加で注いでくれる。そのまま彼は自分のグラスにもシャンパンを注ぎ足した。
いつもは酔わないよう慎重に飲んでいるのに、めずらしくペースが早い。
酔いつぶれないようしっかりしなきゃ。
決意したのに、先にダウンしてしまったのはやっぱり私の方だったみたい。
*
ひかえめな雨音で、目が覚めた。
亜蘭くんのベッドだ……。あのまま彼のアパートに泊めてもらったのだ。
「いけない。家に電話」
「着信があったから出ておいたよ。あとで送り届けるからって、伝えておいた」
「……ありがと」
亜蘭君はもう普段着に着替えていて、ベッドの脇であぐらをかいていた。
どうやら瞑想中らしい。彼いわく瞑想は、思考力や記憶力を伸ばすのに最適なのだという。老化を遅らせたり、若返り効果?もあるらしい。良いことづくめだからやった方がいいよ、と薦められたけど継続できていない私。
今もこうして布団のなかで、彼が瞑想している姿を眺めているだけだしね。
「そういえば、マリア課長の妙な噂をきいたよ」
「ん?」
「僕たちが入庁する数年前に、部下の若い女性が行方不明になったんだって。職務中に消えたから失踪したってことになっているらしいけど」
マリア課長の部下が失踪? そんな話、初めて聞いた。
職務中に消えたなんて、どういうシチュエーションだったんだろう。市民係の先輩の前田さん辺りに聞いてみようか。
ふーっ、ふーっと。
亜蘭君が規則正しい呼吸をしずかに繰り返している。呼吸音を聞いているうちに、私はまた眠くなってきた。起きたばかりのくせに。
「あ、それと。玄関に、十字架のペンダントが落ちてたから、公ちゃんの鞄に入れておいたよ。でもたしかあのペンダント、交番に届けたんじゃなかったっけ」
「……」
十字架のペンダント。
なんで? 勉強机の引き出しに鍵をかけて厳重にしまってきたのに。マジでやばくない? やばいっしょ。セフィーレスさんのことも含めて、心配をかけるのは嫌だから亜蘭君には黙っていたのに。
そうだ、お祓いどうしよう……だめ、眠くて頭が働かない。んー……。
二度寝、最高!
*
背中に冷たい感触がした。
ツルツルとしている。
ん?
ばさり、と何かが落ちた気配。
事務員なら誰もが馴染みのある、紙の束が床に落ちた音だ。よくやっちゃうんだよね、私。特に予算作成時期で忙しいとき、デスクの上が資料でいっぱいになって……。
「っ!!!」
続いて、誰かの息をのむ気配。
花っぽい模様が描かれた天井から視線を移す。全体的に落ち着いた色調。デスクと椅子と……まさに事務室のよう。
ていうか、いま私がいるの机の上じゃん!
アンティーク調の机から慌てて降りたところで、目が合った。
「キミチャン……」
独特のイントネーション。
そこに、亜蘭君がいた。違う、これはアラン王子だ。今度ははっきりとわかった。
王子はきりっとした瞳を大きく見開いている。
頭の先からつま先まで、ぞわぞわっとした感覚が走っていった。
これはもしかして、また……? またなの?
「うわっ、ぎゃあっ!」
だいぶ遅れて、私は下着姿であることに気づいて悲鳴をあげた。
また来ちゃったんだ。こっちに!!
ていうか――私の恰好!
必死に身体を覆い、涙目になって情けないうめきを漏らす。
最初がスウェットで、次が下着って。スパルタすぎるでしょ!