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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 二章
17/112

17.アランの憂い


 ――白く瑞々しい肌に、艶を放つ、愛らしい赤い唇。細珊瑚の口元が弧を描けば、鈴を転がすような甘い声が聞こえ、濡れたような漆黒の髪には、指を絡めてしまいたくなる。何もかもを飲み込みそうな、黒い宝玉の瞳に魅入り、視線を落とすと、華奢な体に対し、豊満な胸元がある。

 体つきだけは、成熟した己の神子を思い出しながら、アランは家路についていた。

 同じ館に住むようになって一月ひとつきと少し。アランは息を吐いて、疚しい方向に進みかけた、己の思考を掻き消した。

 神子は、なかなか扱いが分からない。カサハもつけず、破天荒に城中を歩き回り、せっかく付けた侍女の世話もあまり必要としない。

 ここ最近は、小賢しいことに己の容姿を利用することも学び始め、どうやって理想の神子に育て上げるか、思案するばかりだ。

 馬車がとまり、下官が扉を開けたので、アランは考えを中断して、降車した。最も落ち着く己の館を見上げた彼は、一度瞬き、そして瞠目する。

「……なんだ、これは……」

 見慣れたはずの城は、そこになかった。心なし、石畳や兵士の甲冑から光の粒子が溢れているようにさえ見える。

 馬車の扉を開けた兵が、言いにくそうに口を開いた。

「その……本日の昼頃に、神子様が城中の穢れを払ってしまわれたようで……」

「――城中? この城全ての穢れを、払ったというのか?」

 山の中腹に建てられた城は、二百年の歴史を持つ巨大なものだ。城下の民と共に培ってきた石の黒ずみも、歴史の一つといってよい。その古びた汚れは、アランのお気に入りだった。

 しかし今、目の前には創建当時に見せていただろう、初々しい赤銅色の外壁が一面を覆っていた。下官の言葉を信じるならば、内装の石も全て乳白色に戻っているだろう。

 アランが古びた趣を気に入っていたのを知っていた兵は、気まずそうに頷いた。

「休憩時間に、各所の担当兵に確認をしましたが……一掃されたようです……」

「……そうか」

 それ以外、答えようがなかった。

 館の入り口でアランを出迎えていた執事――ルキアの元へ進み出ると、彼は機嫌よく微笑み、アランの背から外套をはぎ取る。

「花園が満開でございますよ、殿下」

「満開……?」

 アランの眉根が寄る。花園といえば、四季を通して城に花を添えられるよう考えて、手入れされている花畑だ。

 春先の季節に咲くべきではない花が、五万とあったはずだ。アランの心根を読んだルキアは、頷く。

「季節は関係なく、全ての花が満開となってしまっております。ログは少々、途方に暮れておりますが、まあ、おおむね城内の者は城が勝手に綺麗になり、溢れ返る花の香りに浮足立ち……いえ、喜んでおります」

 浮足立っては駄目だ。

 アランは、己の城内の過半数を軍部の人間にしていた。滅多な事では攻撃など受けないが、気を弛めてはならない。何せ今、この城には生きる宝石とも謳われる『月の神子』が居住しているのだから。

 ――その神子自身が、兵士の気を弛ませているのか……。

 アランは痙攣する目尻を押えながら、疲労した重い足を引きずって、城内へ向かった。



 城の中は、花の香りに溢れていた。上質な花の香りは濃すぎず、まさに桃源郷を思わせる、穏やかな空気を醸し出す。

 灯火が照らす回廊は、いつもよりも遠くまで見渡せるほど明るく、眩かった。

 花園まで足を運んだアランは、花園の奥が常よりも明るく感じ、そちらへ足を向けた。

 四季の花を楽しめるように作られた花園の中央には噴水があり、その周囲を石畳で敷き詰めている。そこで休息ができるよう、円卓をいくつか用意しているのだが、机の一つにランプが置かれているのを見つけた。

 彼女好みの、桃糖酒という甘い酒を置いた机に、彼女自身の姿はない。

 甘い歌声が、庭の奥から聞こえた、聞き覚えのない鼻歌を追って、アランは桃色の花が咲き乱れる庭園の一角に、少女を見つけた。

 彼女は澄んだ声で小さく歌を歌いながら、サイの上でステップを踏む。アラン自身が特注で造らせた、薄い衣を重ねた着物が、ひらひらと揺れる。月の光を受け、その衣は七色に瞬いた。

 漆黒の髪は優雅に扇形に広がり、華奢な両腕が大きく広げられると、彼女の手のひらから、光の粒子が溢れかえる。粒子は彼女自身にまといつき、彼女そのものが、淡く光り輝いた。

 月光で目覚める金色の蝶々が、その粒子に惹かれるように集まり、彼女の周囲を舞い飛ぶ。

 彼女は、月を見上げた。彼女の瞳に、月光が降り注いだ瞬間、彼女の全身から光が溢れだした。舞い上がった風が彼女の衣を巻き上げ、蝶々たちが月へ向かって飛翔し始める。蝶々を追って、滑らかな足が、月に向かって地を蹴った。

「――紗江……!」

 アランは咄嗟に駆け出し、彼女の腕を掴んだ。

「きゃ……っ」

 腕は細く、力を籠めれば折れそうだった。しかしアランは、力を緩められず、少女の肢体を腕に包み込む。

「わ……っぷ!」

 戸惑った声を漏らし、少女はアランの胸に顔を埋めた。

 ぎゅう、と抱きすくめたところ、少女は苦しそうに呻く。ぽすぽすとアランの背中を叩き、苦しさを訴えた。

「むうーむうう……!」

「…………」

 アランは、可愛げのないその声にやっと、我に返る。

 ――俺は、何をしているのだ。

 一瞬、彼女が月に向かって飛んで行ってしまうと思い、血の気が引いた。精霊は空を飛べる。だが彼女は、まだ空を飛べない。競りが早まったせいで、月の力の使い方をよく知らないのだ。だから多少、破天荒に一人で動き回っても、どこかへ行ってしまう恐れはないと思っていた。しかしどこかで、彼女を失うことを恐れている自分がいた。

 力の使い方を覚え、不意にかき消えてしまったら――……。

 かつて見た光景が忘れられず、アランは腕の力を緩めはしたものの、紗江の体を解放できない。両腕で包み込んだまま、少女を見下ろした。

 紗江は目を皿のようにして、こちらを見上げた。そしてはっと息を呑んだと思ったら、愛らしく頬を染める。

「い、いいいつから、いたんですか!? み、見てました……? その……っ」

 踊っていた姿を見られるのは、本意ではなかったのだな、と分かったものの、アランはやんわりと微笑んだ。

「楽しそうに踊っていたな、紗江」

「おおおお踊ってなんていません! いえ、踊っていたと言われたらそうかもしれませんが、でもあれはそのなんというか、気分が高揚しただけで……っ」

「可愛いダンスだった」

 褒めてやったのに、紗江はくう、と妙な鳴き声を漏らして俯く。熟れた林檎のように染まった頬が、可愛らしい。

 アランはふっと笑い、小さな体を抱え上げた。

「わ……っ。えっ、えっと……ど、どこに行くのですか……?」

 彼女はとても軽い。軍務も兼任しているアランにとって彼女は、荷物にもならない重さだった。

「部屋へ送ろうと思ったのだが、まだここに居たいのか?」

 アランが小首を傾げると、彼女は少しためらい、おずおずと、上目遣いでアランの顔色を伺う。

「……あの、もう少しだけ、月を見たいのですが」

 こちらの反応を伺っているだけなのに、彼女の瞳に自分が映し込まれると、アランの背筋がざわついた。濡れる漆黒の宝玉に、自分一人が映し込まれている。

 月を見ると、力を溢れさせる少女。その力を使えば、何万もの民を救える、国家の至宝。

 民のためにと買い取った少女なのに、アランは時折、彼女を独り占めしてしまいたい気持ちに襲われた。



************************************



 アランは、紗江を壊れやすい人形のように扱う。きっと幼い少女に見えているのだろう。彼の触れ方には、いやらしさがなかった。

 がっしりした腕に横抱きにされ、紗江はどこへ運ばれるのだろうと周囲を見渡した。アランは、桃色の花に囲まれた広場から、更に奥にある、薔薇の庭園に向かった。濃厚な薔薇の香りに包まれるそこに到着すると、彼は紗江を抱えたまま座り込む。薔薇で造られた垣根の間に腰を下ろし、胡坐の上に紗江を置く。

 後ろから抱きこまれるという、恋人のような格好なのだが、人形然と扱われているため、紗江は嫌な気持ちにもならず、されるがままだ。

 アランは後ろから、穏やかな声音で尋ねる。

「今日はどうだった。不便などなかったか?」

「不便はありませんでした。でも……お花を全部咲かせてしまって、すみません。触ったら、みんな咲いてしまって……」

 花園を満開にしてすみませんと言うと、紗江の腹の前で太い腕が手を組んだ。

「月の力は、まだ制御できないか?」

「……時々、思っただけで力が出てしまって。何だか私、月の力を戻すのが苦手で、元通りにもできなくて……すみません」

 ソフィアによると、月の力は元に戻すことも可能らしい。サイの草原を花畑にしたときにも、元に戻すよう言われたのだが、結局元に戻せなかった。

「そうか……。まあ、まだこちらの生活は始まったばかりからな。時間と共に力の扱いに慣れるようになる。気にするな」

「…………」

 優しい人だなあ、と紗江はほんのちょっと頬を染める。鷹揚に自分を許してくれる心根が嬉しく、しかし赤くなる自分は恥ずかしくて、紗江は身じろいだ。

 無言をどう取ったのか、アランは背後で微かに笑う。

 腹の前から手が離れ、彼の指先がゆっくりと髪を梳いた。他人に髪の毛を触られるのは落ち着かないが、アランの触れ方は丁寧で、心地よい。アランが耳元で尋ねた。

「カサハはどうした。それに侍女も付けず、危ないだろう」

「お風呂に入ったので、脱ぎました。頭が蒸れて気持ち悪いし……。お二人には、晩御飯が終わったら下がってくださいとお願いしました」

「部屋以外ではカサハをつけろ。兵士にも素顔を見せるものじゃない」

 ──顔の前に布があると、すごく邪魔なのになあ……。

 唇を尖らせたものの、紗江は頷く。そういう文化なのだとは分かっていた。

「気を付けます」

「何故侍女を下げたんだ?」

「なんだか落ち着かないので」

「何が落ち着かないんだ。よく分からんな」

 生粋の貴族様なアランには、分からないだろう。

 庶民として朝から晩まで自分一人で生きてきた紗江にとって、四六時中自分を監視されるのは苦痛でしかなかった。夜になるといつも、限界を感じるのだ。だから申し訳ないながら、お断りを入れる。――その際、上目づかいで瞳を潤ませ、お願いポーズと決めると、二人はあっさりと引き下がってくれるのだ。自分ではふつうに見える子の顔は、なかなか使い勝手が良い。

 紗江はちら、とアランの顔を見上げた。

「このお屋敷は、あちこちに兵士さんがいるから、危なくないと思います」

 こちらを見下ろした彼の顔つきに、紗江は眉を上げる。先ほどは気付かなかったけれど、アランの目の下には隈ができていた。疲れているのだろう。

 紗江は何気なく、彼の頬に手を伸ばした。手のひらが僅かに煌めいて、アランの肌に力が移ったのが分かった。青白かった肌の色が瑞々しくなる。

 これくらいの力の使い方は、できるようになった。思った通りに力を使えて、満足した紗江とは裏腹に、アランは眉間に皺を寄せた。

「勝手に俺に力を注ぐんじゃない」

 紗江はきょとんと目を丸くする。

「……疲れているご様子だったので……駄目でしたか?」

「駄目だ」

 力を誰かに分け与えるのは割と簡単だ。力を注ぎたい対象に触れて願う。頭の中心で希望に集中すると、耳元から足先まで体が温かくなる。そして指先に意識を移すと、力が指先から対象に移って行った。

 これが無意識下でも実現されてしまうため、今日のような事態を引き起こすのだが。

 アランの言い分が理解できず、紗江は首を傾げる。

「どうしてですか? 私は、貴方の精霊なのですよね。主人に力を与えないなら、私のお仕事は何ですか……?」

 自分のために紗江を買ったのに、自分に使われるのは不本意だなんて変だ。アランは僅かに目を見開き、そして憂いのある溜息を零した。

「……俺に力を注ぐ必要はない。月の力にも、限りがあるのだ。お前は本当に必要なとき、必要な力をこの国に落としてくれればいい」

「……月の力って、無くなるのですか?」

 そんな話は誰からも聞いていない。ソフィアにも、月の力は使いすぎると無くなるなんて、教わった覚えはなかった。

 アランは重く、頷く。

「これまで、多くの月の精霊が力を失ってきた。主人が精霊の祝福を求めすぎたからだと言われている。お前は……月の神子だ。滅多な事では力を失わないだろうが、それでも無駄に力を使うのは控えよ」

『月の精霊達はこの世にあることを疎んじると、月の力を失い、元の世界へ消える』

 雪花と青花がそう説明していた。精霊の祝福を求めすぎる事が、この世を疎む事に繋がるという意味になるのかと、紗江は頷いた。

「わかりました……」

 少なくとも紗江は、自分の力が枯渇している感覚は無かった。むしろ力を使っている感覚もほとんどなく、使ったところで体調に異変などない。唯一自分の中で力を感じるのは、月光を浴びながら月影を落とし込んだ酒を飲む時だ。あの時だけは、心臓から全身に豊かな力が溢れる感覚があった。

 アランの腕が、後ろから軽く抱きしめてくる。首筋に吐息を感じた。どことなく辛そうな空気を感じたが、何を言えば良いのかもわからず、紗江は俯いた。

 時々、この人は苦しそうだった。

 紗江を人形のように扱う癖に、救いを求めているように掻き抱く。

 神子という力に、彼がどんな救いを求めているのか、紗江には分からなかった。彼の言葉通りならば、彼が救ってほしいのは、自分以外の何かだ。

 紗江は自分を包み込んだ手を、そっと撫でた。

「……アラン様。私にできることがあるなら、言ってくださいね……」

「ああ……。いつか、言おう」

 彼は低く、言葉を濁す。

 紗江は目を伏せる。

 願いがあるのなら、言ってくれればいいのに――。




 夢の中で、紗江は子供の声を聞いた。


『世界は一体誰のためにあるの?

 ついこの間まで、世界の全ては僕の物だったのに。

 なのに今、世界は僕に背を向けるんだ。

 どうして?

 こんなに、心を砕いているのに。

 僕の全てを注いで、あの人のためになるように、こんなに努めているのに。

 どうして?

 僕を置いて行かないで。

 僕を連れて行かないで。

 僕から離れていかないで

 ねえ、お願いだよ……僕を』


 声の主は未だ、見つからない――。


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