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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 二章
18/112

18.甘い鼓動


 紗江は気怠い感覚と共に、ゆっくりと瞼を開けた。

 辺りは薄暗く、うすぼんやりとした光が、視界の端に入る。

 どろりと視線をそちらへ向け、紗江は自分がベッドで寝ているのだと認識した。スプリングの効いたベッドに、柔らかな枕。

 のっそりと上半身を起こし、紗江は息を吐き出す。目が覚めたということは、もう起きる頃合いだろうが、紗江の周囲だけは薄闇に包まれていた。

 深紅色の天蓋が、きっちりベッドの周囲に垂れさがり、光を遮っているからだ。

「……どうしてアラン様は……天蓋を全部降ろしちゃうのかな……」

 あくびを噛み殺し、重い天蓋をめくりながら、紗江は一人ごちた。

 アランとは、毎日顔を合わせていた。何を話すでもなく、その日の出来事を確認され、そして寝室まで運ばれる。アランにベッドまで運ばれた日は、必ず天蓋が降ろされた。まるで紗江を、外界から隠してしまいたいように。

「神子様」

 しわがれた声が寝室の扉を挟んだ向こう側から聞こえ、紗江は背筋を伸ばす。

「はい」

「お目覚めですかな」

 老人特有の、深く穏やかな声だ。家令のクライブが、寝室の気配を察して声をかけたのだろう。起きたと答えると、彼はゆったりと予定を告げた。

「本日は、アラン様と共に外出のご予定となっておりますので、ご支度をお願いいたします……」

「分かりました」

 寝室の隣には、紗江が日中使う部屋がある。そこは応接間のような雰囲気で、部屋の中央に大きなソファのセットと、上等そうな石の机があり、暖炉があり、窓辺に小さな机が設けられていた。

 その部屋は紗江が知らぬ間に、侍女や執事といった使用人たちが出入りして、必要なものを揃えたり、掃除したりするので、どうにも個人の空間という感じはしなかった。

 クライブが応接間を出ていく音がしてすぐに、ルーアとアリアが寝室にやってきた。寝室の周囲は、一面が窓、もう一面に姿見と化粧台が設けられており、その脇の衣文掛けに、本日の衣装がいつの間にか吊り下げられているのが日常だ。

 着物の布地自体は、アランが特注した軽い衣を使われているが、時折色合いの違うものを用意される。今日は、青と紫の衣だ。

 着替えを手伝われるのが苦手な紗江は、自ら夜着を脱ぎ、用意された衣に袖を通した。衣に袖を通した時点で、ベッドを整えた彼女たちが、紗江の手から帯を抜き取り、手伝い始める。

「本日のご衣裳には花結びがお似合いですわね」

「白と金の紐で飾り結びも添えましょうね、神子様」

 元の世界よりも少し細めの帯には、沢山結び方があるようだ。ただ結ぶだけで十分なのだが、神子付の侍女である彼女たちは、技術力を披露すべく毎日違う飾りを作ってくれた。本日は背中に大きな花と小さな花が咲いているように見える形になった。

「髪飾りは金と紫紺の玉石を使いましょう。」

 煌びやかな玉石が、毎日どこかに散りばめられる。帯留めには透き通った宝石がいくつも付いていた。

「昨日、アラン様は何もおっしゃっていなかったけど……今日は外出の予定なのね」

 どうせカサハで隠せるのに、耳の上に宝石の髪留めが付けられる。

 紗江のつぶやきに、アリアが笑んだ。

「本日はアラン様のご公務もお休みですから、良い機会だということで、クライブさんが手配をなさったのです」

 紗江は、鏡越しにアリアを見返した。

「何が良い機会なの……?」

 アリアは極当たり前の顔つきで、にっこり応じた。

「王妃様との謁見に、良い機会という意味でございますわ」

「お──?」

 紗江は目を見開いた。王妃。王妃といえば、王様の奥様で、とても偉い人だ。アランに買われた日にも、王様と会ったが――この国は、そうだ、明日、王妃様に会おう、と思えば会えるものなのだろうか?

 整えた紗江の髪の上に、カサハを被せながら、ルーアが苦笑する。

「突然のご予定となってしまい、申し訳ございません。王妃様の体調が整われる日が、滅多に無いもので……。前日にご様子をお伺いして、可能なようであれば、翌日にの謁見を決めるのです。――当日になって、体調が朝から優れない場合も多々ございますので、本当にお会いできるかは分からないのですが……」

「……お病気なの?」

 聞くからに病弱そうな方だ。ルーアが頷いた。

「はい。五年ほど前から、胸の病を患っておいでです……」

「そう……」

 紗江は俯く。胸の病、という言葉に、自分の母親を思い出してしまった。

 こちらの世界の医療は、元の世界よりも発達していないように思う。電子機器の類を見た覚えは無く、心臓が悪いなら、きっと治すのは、紗江がもともといた世界よりも、難しいだろう。あちらの世界でさえ、難しい治療なのだから。

 そろりと視線を上げると、彼女に似た顔つきの自分が、怯えた顔をしていた。

 彼女が笑うと、それだけで紗江の世界は明るくなる。漆黒の髪が緩やかに揺れ、綺麗に紅を引いた唇が笑うと、甘く紗江を呼んだ。

『――紗江』

 すらりと長い指先が延びて、紗江の小さな手を引いた。

『紗江――おいで』

 暖かな腕の中に包まれ、それが永遠に続くものだと――。

「……ま。……さま? ……神子様?」

 紗江ははっと背筋を伸ばす。鏡越しに、ルーアが顔を覗き込んでいた。

「いかがなさいました、神子様。突然ぼんやりされて」

「あ、ううん。何でもない。……大丈夫」

 紗江は一度、頭を振った。思い出しても仕方ない──。

 それでも物憂く考え込んでしまいそうになった紗江の耳に、低く、色香が滲む男の声が、朗々と届いた。

「……月の神子というのは、神に近い存在だ。だから神子をいただく国家の王族は、神子に挨拶をするのが儀礼なんだ」

 紗江は目を見開いて、振り向く。漆黒の着物を身にまとい、綺麗に整えた白銀の髪も艶やかな美丈夫――アランが、寝室の扉前にいた。

「ア……アラン様……?」

「まあ、アラン様。いつからそちらに?」

 ルーアとアリアも驚いた表情で、アランを見返す。アランは首を傾げた。

「気付いていなかったのか? 神子が衣を脱いだ時から、いた」

「――え」

 紗江は一声漏らし、動きを止める。

 衣を脱いだ時というのは、夜着を脱いだ時のことだろう。

 夜着の下には、ショーツ以外身に付けない。薄い夜着を脱ぎ去れば、上半身は素っ裸だ。

 紗江の頬に、朱が上った。

 アリアとルーアが、のんびりとたしなめる。

「まあ、いけませんわ、アラン様。女性の身支度は見ないものですわよ」

「そうです。女性は身支度の過程ではなく、整えた後の完璧な姿を見てほしいのですよ」

 アランは鼻を鳴らした。

「自分のものを見て何が悪いんだ。よく分からん」

 侍女たちの注意は今一つ問題点が浮き彫りにされていない。紗江は頬を染めながら、問題点の要について、訴えた。

「……は、裸は見ないでください、アラン様……!」

 外見から察するに、きっとアランは多くの女性とお付き合いをしてきたのだろう。女性の裸など珍しくもないほどに、手慣れた人であったとしても――紗江の裸なんて、これっぽっちも魅力がなかったとしても──見られる方は恥ずかしいのだ。

 アランは僅かに眉間に皺を寄せた。

「そんなことよりも、話し方をなんとかしろ」

「え──?」

 何のことか分からない。

「侍女達に対する話し方と、俺への話し方が違う」

「あ……」

 彼らには敬語を使うなと言われていたので、そうしていたのだが、月の神子たる者、いついかなる時も高貴な話し方をしなければいけなかったのだろうか。

 咎められたのだと思った紗江は、続けて繰り出されたセリフに口を開けた。

「何故侍女たちの方が、俺よりも親しそうなんだ。俺にはいつまでたっても敬語を使う癖に」

「まあ、アラン様ったら」

「焼きもちですわね」

 ふふふ、と侍女達は口元を隠し、上品に笑う。

 紗江は戸惑いも露わに、おずおずと尋ねた。

「えっと……アラン様も、その、私に敬語を使ってほしくないのですか?」

 アランは眉間の皺をより深く刻み、堂々と言い放った。

「ああ」

「……」

 紗江は、侍女達にこいねがわれ、敬語をやめた時とは違い、妙にドギマギした。

 彼は、他の人たちと違った。

 紗江を『月の神子』という、崇め奉るべき存在にしたがっているわけでは、なさそうだったのだ。

 どちらかというと、侍女達よりも、自分の方が仲が良いと思いたいのに、そうではないから気に入らない――。そんな雰囲気がひしひしと伝わり、紗江はどう答えれば良いのかわからず、顔を赤くしたまま、俯いた。



 アランの城から王城まで、馬車で小一時間ほどの距離だった。

 一度来たはずの城だが、先日は混乱していて、あまり記憶にない。初めて見る気持ちで見上げた城は、とても巨大だった。

 深緑色の屋根で統一された塔が、無数に立ち並び、一つの城を形成している。

 甲冑を着込んだ兵士が、各所で槍を持って警備する様は、物々しかった。

 城の随分奥まで馬車のまま運ばれた紗江は、アランに促されるまま、沢山の塔の真ん中に位置する、一際大きな塔の中に入った。

 城の中は、元の世界で見る、西洋の城と似ている。太い柱に、高い天井。壁には多くの絵画が飾られ、先触れとして兵士が二人先頭に立って誘導している。

 紗江の両脇を陣取っている兵士は、アランの城にいる人だった。

 王城の兵士と違い、兜の前面にある覆いは上げている。

 青い髪の青年は王立軍の伍長で、赤茶色の髪の兵士は特務曹長だ。一度声をかけた時に、自己紹介された。せっかく役職まで教えてもらったのだが、軍隊に疎い紗江には、彼が偉いのかどうかよく分からない。

 特務曹長は、それほど頻繁に城にいないものの、いれば概ね、他の兵にへりくだった対応をされていた。

 視線を感じたのか、特務曹長がこちらをちらりと見下ろす。優しそうな目が、僅かに弧を描いた。

「足元にお気をつけください、神子様」

 彼がそういうと同時に、隣を歩いていたアランが紗江の手を取る。

 若干、不機嫌そうな目が紗江を見下ろした。

「王城で転げるような真似はするなよ」

「だ、大丈夫で……」

 紗江は言葉を飲み込む。つい、いつものように敬語を使おうと下のだが、手のひらを掴む力が増し、朝のご要望を思い出した。敬語を使われるのは、お気に召さないらしい。

 ──仕方ない。

 紗江は一呼吸つくと、きゅっと手を掴み返し、渾身の笑顔でアランを見上げた。

「あ、ありがとう、アラン様」

「……いいや」

 アランは、穏やかに応じると、厳めしいばかりだったその顔を、ふわりと崩す。甘い微笑みが、紗江一人にそそがれ、紗江の心臓が跳ねあがった。

「……えと……」

 ただ敬語を使わないだけで、彼の表情が変わる。

 彼のその表情は珍しいのか、周囲にいた兵がぎくりと身じろいだ。

 紗江は戸惑い、俯く。

 早くなるばかりの、己の鼓動の意味は、深く考えるべきではない。理性が、早まるなと警鐘を鳴らした。

 繋いだ手のひらから、乱れる鼓動が伝わらぬよう、紗江は身を小さくして祈った。



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