最終章 君と描いた物語 (4)
僕が大隅の提案を断ったのには仕事のこともあったが、もう一つ理由があった。
僕のアパートに帰ってきたとき、時間はもう夜だった。僕はむき出しのフローリングに腰をおろす。そして折りたたみテーブルの上にアクリル絵の具を置き、既に買っておいた無地の白いキャンパスをその横に置いた。
キャンバスを目の前にして座るのは、久し振りの感覚だった。気分が高揚するのが分かる。本当に、僕はあのころの絵描き少年のままだ。
僕はあのクッキー缶で作られたタイムカプセルを開いた。一週間前のあの日に、持って帰ってきたのだ。その中からピンクの袋を取り出し、幼き日に描いた桜の絵を眺めた。
里奈とこれまでに見てきた景色たち。それを、僕は描こうと思う。最初に描くものは決まっている。この絵と同じ、満開の山桜だ。
絵を描き続けて、この先どうなるかは分からない。ただ僕一人の楽しみで終わるのかもしれないし、僕の絵が評価されようになる時が来るかもしれない。過去は分かっても、未来は誰にも分からない。だが、そこには希望がある。それが、里奈があの旅の中で教えてくれたことだ。僕は里奈の最後の微笑みを思い出す。
ここからまた、里奈との思い出を辿って行こうと思う。僕は大きく息を吐いて、鉛筆を右手に握った。そして、真っ白な無地の世界に、僕と里奈が見た世界の切れ端を描き出す。
さあ、もう一度描いてみよう。君と紡いだ物語を。
これにて『あなたに微笑む』完結となります。三週間ばかりの連載でしたが、お付き合いいただいた方々には厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
この物語はもともとは数年前に書いた原稿用紙190枚程度の中編でした。更新ペースが速かったのはこのためです。ただ、加筆したり削ったりを結構しているので、現在の原稿用紙枚数は分かりません。
最後になりますが、正志や里奈たちの物語、皆様の記憶に残るようなものだったでしょうか。少しでも多くの方々を楽しませることができたのなら幸いです。
本当に、最後まで読んでくださった方はありがとうございました。それでは、さようなら。




