第三話 逃亡
死、とは全ての生物へ等しく与えられた畏怖の象徴である。普段は意識下に隠れているが、命の危機を感じると一気にその姿を露わにする。人はその瞬間、根源的恐怖に支配され、思考が停止する。
沖田晴也——改め、レイス・アーノルドの脳内の状態はまさに『それ』である。
「俺はまだ……何一つ分かってない、成し遂げてない、なのに……」
今にも消えそうな声で呟く。
まだか、まだなのか。
いつ自分の首が落とされるのか分からない恐怖が続く。いっそのこと今すぐにでも首を落として恐怖から解放してほしいとすら思えてきた。
まだか、まだなのか。
「——!?」
——緊張を無理やり解くような轟音が鳴り響いた。
自分の首が落とされた音か、と疑ったが幸運なことにその音ではないことに気づく。
「何だ……?何が起こってんだ」
やけに牢屋の方が騒がしい。その中で、二つの音が近づいてきていることが分かった。
鈍い足音と軽い足音が同時に響いている。少しずつ大きくなっていくその音はやがて目の前までやってきた。
「おいレイス、逃げんぞ」
「あたしらが来たからにはもう大丈夫だぜ!」
男の声と女の声。前者は既に聞いたことのある声だった。
「貴様ら、そんなに死に急いでどうしたのだ——」
斧を持った処刑人が、巨漢に対して思い切り腕を振るった。巨漢は受け身を取る暇もなく無様に——
「オメェ、俺は破壊のストロンだぞ」
斧はストロンの胸に当たった。当たっただけである。斧が彼の胸を抉ることは叶わず、彼はその強靭な胸筋で斧を受け止めていた。
「行くぞ」
「——がっ!?」
体が宙に浮いた。と思ったら視界いっぱいに広い背中が映る。どうやらストロンに担がれているようだ。
「な……なんで、どういう」
突然死が遠ざかった気がして動揺が隠せない。階段の下を見ると数人の兵士が確実な殺意を抱えてこちらに向かってきていた。
「このシャリア・ルーサーから逃げられると思うな!」
処刑人——シャリア・ルーサーが吠える。
「はッ!」
彼は斧を俺目掛けて振り下ろしてきた。
「させるか!」
見覚えのない少女がシャリアの鎧に付属している漆黒のマントを力強く引っ張り、間一髪、俺は斧を避けた。
「飛ぶぞ!」
俺はストロンに担がれたまま断頭台から飛び降りた。
じーんと衝撃をストロンを介して感じる。少女も続いて飛び降りてきた。
処刑の瞬間を見届けようと集まった大衆たちは恐れ慄き、ご丁寧に道を開けてくれた。
断頭台の上を見ると、シャリアは既に追うことを諦めたようだが、複数の兵士たちは追跡を続行するつもりのようだ。ストロンは俺を担いでおり、少女はストロンのペースに合わせながら走っているため、このままだといずれ追いつかれるだろう。
打開策を考えていたのも束の間、少女が言葉を発する。
「結界を抜けた!魔法をかけてやる!」
彼女は手のひらをこちらへ向けて、青白い魔法陣を浮かべた。
ストロンの走る速度が指数関数的に上昇していく。俺はストロンの腕から落ちないことに死力を尽くした。
「——いつか、絶対に殺す」
断頭台の上には、漆黒の男がただ佇んでいた。
***
刑務所があった街はそれなりに栄えていたが、俺たちはひとけのない場所へ逃げるように森の中へ入って行った。
「もう大丈夫だ、追っ手はいないぜ。降ろしてやれよ」
緑髪の少女がそう伝えると、俺は腕から降ろされた。
「えっと……まずは助けてくれてありがとう……でいいのか?」
転移してから怒涛の展開でまだ脳が追いついていないが、とりあえず二人には感謝を伝えるべきだろうと思った。
ストロンが口を開く。
「へっ!礼なんぞいらねえよ。元々脱獄は計画してた。お前はある意味ついでだぜ」
少女は彼に続く。
「ま、あんたにはよくしてもらったからな!その恩返しみたいなもんだよ」
——よくしてもらった。やはり俺がレイス・アーノルドに憑依する以前の関わりがこの二人とはあったのだろう。
このまま『レイス・アーノルド』のフリをして生きていくにしても、いずれボロが出る。ここで早めにカミングアウトしておくが吉だ。
「二人に大事な話があるんだ」
「どォしたよ、急にそんなかしこまりやがって」
「俺は、レイス・アーノルドじゃない。沖田晴也だ」
「「はぁ!?」」
二人がクエスチョンマークを顔に浮かべてまじまじとこちらを見ている。
「お前、さっきも訳のわからねぇこと言ってたが……一体どういうことだよ」
「あんた、オキタハルヤって誰のこと言ってんだ?」
彼らからしたら当然の疑問だろう。俺は落ち着いて答える。
「肉体自体はレイス……ってやつのもんだと思う。けどその中身が変わっちまってんだよ。その中身がオキタハルヤっつー名前の、俺だ。俺もお前らと同じで何も分かってねえんだ」
俺は簡潔に答えた。この世界来てからの情報があまりにも少なすぎるせいでどうしても簡潔な回答になってしまう。
「なんだそれ、んなことありえんのかよ、今なら冗談でも許してやるが——」
俺は真剣な眼差しをストロンへ向ける。
「どうもマジみてェだな……」
頭を掻きむしりながら困った顔をしている。
「俺にはこれまでの記憶が何一つとして残ってない。だから教えてくれ、お前らのこと、この世界のこと、そして、俺のことを」
とにかく今は知らないといけない。もしかすると元の世界へ帰る手がかりだって得られる可能性もある。全て知らないなら、全て知ろうとするまでだ。
「……まあわかったぜ、兄ちゃんも大変だっつーことだな。でもそろそろ夜だぜ。まずは飯と寝床の準備だ。話はそれから」
少女が手際よく話を進めていく。
「ちょっと待て、俺は君の名前すら知らないんだ。まずは名前を聞かせてくれないか?」
「ルーナ……ああ、ルーナだ、呼び捨てで構わねえよ」
彼女は一瞬迷ったような表情を浮かべたが、すぐにかき消し、応答した。
「よろしくな、ルーナ。それとストロンも」
二人は少し気まずそうにしているが、それも無理ないだろう。俺は気持ちを切り替えて食事の準備をすることにした。
※補足
ストロンとレイスの足枷はストロンが素手で破壊しました。ルーナはまだ15歳の少女なので、足枷はそもそも付けられていませんでした。
次回は明日更新できたらいいなぁという願望。




