19 アッシュ
アッシュは、ワイバーン戦で一瞬だけ見せた炎の鎧に身を包まれている。熱くないのだろうか。
「アッシュ、一応確認しておこう。この大災害は、お前が起こしたものだな?」
どう見てもアッシュがこの魔物襲撃事件の黒幕に見える。……いや、黒幕の器ではないか。しかし敵対する何か、であることには間違いない。
しかし同級をいきなり斬って捨てるのも気が引ける。
「おいおいおい、この状況を見て、何をのんきに聞いていやがる。男なら拳で語れよな!」
アッシュは吐き捨てると拳ではなく剣を振りかざし迫ってきた。嘘つきめ。
ガキィン!
俺もすかさず剣を抜いて応戦する。
無能と馬鹿にしたことを思い知らせてやる千載一遇の好機に、俺の口元はつい緩んでしまう。
……しかし思い返すとどうもおかしい。アッシュはこれまで俺のことを馬鹿にもしていたが、親切にしたり仲良さげに振る舞うことがあった。どうにも矛盾している。性格が破綻しているとしか思えない。
そして近づいて分かったが、この禍々しい感覚。この感覚は──魔物のそれだ。
「! アッシュ……お前。目が…」
精霊の加護に影響を受けるこの世界では、基本的に髪の色と瞳の色は同じになる。
アッシュは赤髪…だが、いま、アッシュの瞳の色は黒い。こいつの顔なんかマジマジと見たことはないが、瞳の色は赤だったはずだ。
「おや、気づいたかな……ククク
お前のお友達のアッシュちゃんはいまはおねんねしてるぜ」
あんな奴、友達ではない。
ないが、どうやらこいつは俺の知っているアッシュとは違うらしい。すわ変装か?
「どういう意味だ?お前はアッシュじゃないのか?」
瞳の色以外、外見はどう見てもアッシュだが、確かに感覚は違う。嫌味な奴とはいえ、人間から感じる感覚ではない。
「いいや、アッシュだぜ。正真正銘な。間違いようもないだろ?
悪魔に乗っ取られた、哀れなお友達だ。ククク」
そうか、アッシュは乗っ取られているのか。ならば遠慮はない。……と思ったがいくらなんでも殺してしまうわけにもいかないか。。
今までの言動のどれくらいが悪魔に影響されての事かもわからないしな。万一、本当にもしかしたらだが、本来は気のいい奴という可能性も無きにしも非ずだ。
しかしどれくらい痛めつければこの悪魔がアッシュから出て行ってくれるのかはわからない。とりあえず気絶させて拘束しよう。
「…本物のアッシュはどうした?寝ているとはどういう意味だ?」
「ちょっと質問が多いんじゃないか?いまは──戦争の真っ最中だぜ!」
ガギギギギッ!
言うや否や、アッシュは攻勢を強め俺の剣を弾き渾身の一撃を叩きこむべく両手で振りかぶっている。まずいな、剣の腕は相手の方が上か。
個体加速.3!!
今まで、個体加速は主におよそ1.1倍速となる.9を使っていたが、.3は3.3倍速くらいである。
今の俺に使えるのは.3が限界だ。
「く ろ こ げ に し て や ろ う!」
俺が一撃を避けると、アッシュはゆっくりと剣を上段に構え、剣に炎を纏わせた。
さて、俺が本気ならここまでに三回はこのがら空きの胴体を斬り刻むのだが、殺せないので迷っていると技が完成してしまったようだ。
しかたない、とりあえず剣の腹で殴ろう。
ドゴッッ!
「ご ぶ っ !?」
俺の攻撃は完璧にヒットし、アッシュはゆっくりと飛んでいった。
まだ倒せてないな。あの炎の鎧、物理的な衝撃を防げるとは思えないのだが殴った感じはかなり固かった。金属のような固さではない、硬質な革鎧のような手応えだ。
利き腕の一本くらい落としておくか。ダッシュで追いつくと右腕を狙って追撃する。
ガギィィン!
防がれた。タイミングも速さも防げるとは思えなかったが、反応速度が尋常じゃない。
「くっ!お前、本当に人間か?悪魔である俺にここまで抗えるとはどうかしてるぞ」
確かに、先ほどの万能の治癒神術を使ってから妙に調子がいい。朝からの演習で散々使ってきた魔力が尽きる気配がない。
もしかして……魔力の枯渇を防ぐために出力を絞っていたからか?魔法陣の一部になっていた俺を他の誰かの魔力が通って、俺に滞留したのかもしれない。
ついでに万能の治癒神術の効果で体力も回復した、ということか。
つまり、心身ともにかつてないほど万全ということだ。
「悪いな、俺はもうかつての俺じゃない。今日、ひとつステップを上ったみたいだ」
ゆっくり話をするのは大変だな。たぶんこれでも早口に聞こえていると思う。逆に相手の話はゆっくり聞こえて聞き取りづらい。
しかしこの魔力の溢れはどうなんだ。どれくらい維持されるかわからない以上、早めに決着をつけなければならない。
「あぁそうかよ!ならこちらも本気で行こうか!!」
アッシュの周りを炎が渦巻く──炎で姿が見えなくなり、一瞬炎の向こうに煌めきがあった後、剣を振りかざしたアッシュが迫ってきた。
──速い!
ガギィッ
鈍い音とともに剣がぶつかり合う。間に合わせることはできるが、これはまずい。剣がもたない。
炎がアッシュ自身と剣を包んでいる。効果はわからないが、ただの炎ではない事はさきほど確認済みだ。
そして熱い。ずっと近くにいると熱量でやられてしまう。
接近戦は不利だ。距離を取るしかない。
ギギギィ ガッ ガッ ガキィン
剣速が速すぎて距離を取れない。昇ってきたときと同じ方法で行くか。
俺は自身を結界で包み対象記憶で後方を指定し、アッシュを蹴り飛ばして勢いをつけ一気に移動した。
追いついてこない。なんとかうまくいったか。
俺はかなりの魔力を込めて多数の水球を作りだす。
相手が火を使うならこちらは氷だ…と言いたいところだが水しかない。
「対象記憶!
水の投擲!!!!」
着弾の瞬間垣間見えたアッシュの炎の鎧が増大している。反応されたか。
ズドドドドド ドオォン!!
「ぐぉっ」
爆発……?危ない、結界がなかったらやばかったかも。なんで水が爆発するんだ。
いや、そうか、水弾が強力な炎にぶつかって一気に気化したことで水蒸気爆発が起きたのか。
──水蒸気が収まってから近づくと炎が消えたアッシュが倒れていた。
倒した……か。
《上だ!!》
! 頭の中で響く声に反応して飛びのくとさっきまでいた場所に剣が突き刺さった。
「バカな……完全に不意を突いたはずだ。…なぜ…」
俺はとりあえず気絶したふりをしていたアッシュを剣の腹でぶん殴った。ガンッといい音がして、今度こそ気絶させた。
「悪いな、俺には有能な味方がいるんでな」
さて、こいつをどうしようか。と、考えていると下から都合よくマリアンが跳んできた。
マリアンはミラージュドラゴンを倒すのをまったく諦めていないようだ。変身しているマリアンは不屈の精神だな。
「マリアーヌ、こいつを頼む!」 ブンッ
俺はちょうど跳んできたマリアンにアッシュを放り投げた。
「えぇっ!ヤ……──了解!」
「悪い、拘束しておいてくれ」
逡巡したあと、マリアンは頼みを聞き入れてくれた。受け取ってしまった以上放り出せないのもあるだろうが、級友を助ける気持ちが勝ったんだろう。
あとは──水蒸気爆発でもビクともしないこれをどうするかだな。
俺は、足場にしているキラキラした鱗を見ながらため息とともにつぶやいた。
―――― あとがき ――――――
0.9……英語ではゼロポイントナインと読むらしいよ。
水蒸気爆発……熱した油に水滴を落とした時等にも生じる。開けた空間では爆発という言葉のイメージほどの威力はない。アッシュが倒れたのは水の投擲の威力を相殺しきれずダメージを受けたためである。