閑話 『私』の今と『彼女』の思い
「悠希ー?起きてるー?」
「……うん、起きてる。大丈夫だから」
佳奈に身体を揺すられて、ハッと気がつく。
どうやら昔のことを思い返していたら、随分と惚けていたようだった。
時間的に言えば5分も経っていないのだけれど、それだけぼーっとしていたら心配されても仕方がないかもしれない。
飲みかけのコーヒーを口に運ぶ。……うん、わかってたけれどすっかり冷めてて美味しくなかった。
飲み物のお代わりでもしようかと考えていれば、佳奈が何かを見つけたように驚いている。
何かと思って後ろを振り向く前に、『その人』が覆いかぶさってきた。
「ゆーうーきーちゃんっ、やっほー」
その人は軽く挨拶をしているだけなのだろうけれど、乗せられた体重は小柄な身体には重たかった。
佳奈はどうしたものかと考えながら、普通に挨拶を返していた。
そういえば入院中に顔を会わせてたんだっけ。直接話してるのは見たことがなかったけれど。
「紗枝さん、こんにちは……というかさっきぶりですね」
「あれ?佳奈も紗枝さんに診てもらったの?こっちに来るのは前からだから知ってたけど、佳奈は普通の産婦人科の先生でいいはずでしょ?」
脳移植という希少な経験をしたこの身体のことは、紗枝さんがかなりバックアップしてくれている。
今回の妊娠のこともそうだった。
実際のところ医者というのは医師免許があれば何科にいてもいいそうだけれど、それぞれの科に専門的な知識がある以上、安易に他の科に移ろうとする医者はいないはずだ。
むしろ紗枝さんが特別なのだろう。
何かと病院のお世話になるときは、潮見総合病院に行くようにしているけれど、何科に行っても紗枝さんはひょっこり顔を出して、その際の担当の先生と打ち合わせのようなことをしている。
だからこちらに来るのはわかるけれど、佳奈との接点が掴めなかった。
そんなことを考えていると、紗枝さんが教えてくれた。
「今日は悠希ちゃん来るのは知ってたから、前準備をしてたら見知った顔がいてね、私がちょちょいと検査したら妊娠発覚でね。あぁ佳奈ちゃん、さっきも言ったけどおめでとう」
「ありがとうございます。紗枝さんなら悠希のことで信頼できるから、そのまま担当医になってもらっちゃった」
「なるほど、紗枝さん重い、邪魔です」
「相変わらずつれないなー、悠希ちゃんは」
そう言うと、紗枝さんは身体を起こして、近くにあった椅子を引き寄せて腰掛けた。そのまま流れるようにメニューを注文してた。……ちゃっかりしてるというかなんというか。
まぁついでなので頼もうと思っていた飲み物の注文も一緒にしておく。
「というか仕事はいいんですか、まだ勤務中なんじゃ」
「今はお昼休みだよー。しかも午後からはこれといった仕事も残ってないから、ちょいと洒落たランチでもと思ってね」
確かにこのお店は病院近くでお洒落なカフェだった。
今座ってる席も外に出てるテラスで、春の陽気が暖かく気持ちがいい。
だけれど、
「紗枝さんには、ちょっと過ぎたお店なんじゃ」
「いやいや、私ここの常連ですしね?!確かに元々は友達の紹介だけどさー……」
「悠希?あんまり紗枝さんに意地悪したらよくないよ?」
「入院中に色々されたし、たまに仕返ししとかないとこの人すぐ調子にのるから」
楽しく話しながらも、紗枝さんはいつも通りだった。
とっても今更だけど、この人は命の恩人だ。
脳移植なんて難しい手術を成功させて、その後のケアまでいまだにしてくれている。
この人の軽口で、入院中にどれだけ救われていたんだろう。
もちろん、佳奈や匠、お父さんやお母さん、いろんな人に支えられてきたけれど、あの入院中は紗枝さんに1番支えられたんだと思う。
当時はまだ中学生でそこまで考えが及ばなかったけれど、こうして考えてみれば、すごい人だったんだな、と思う。
医者なのにナース服着て病室まで来てみたり。
付きっ切りで病院内の散策してくれたり。
本当はもっと仕事があったはずなのに。やらなきゃいけないことが山ほどあったはずなのに。
その時間を割いて励ましてもらった。
だから、
「紗枝さん」
「どうかしたかい、悠希ちゃん」
「なんとなく、ありがとうって言いたくて」
言ってからあれだけど恥ずかしくて顔が紅潮していくのがわかる。
佳奈はびっくりしたようだけど、こちらの様子に次第にニヤニヤし出していた。
紗枝さんはなぜか動きが止まっている。
しばらくするとハッとして動き出して、
「はっはっは、悠希ちゃん。そんなことでおねーさんを感動させようとしたって無駄だぞー?」
なんていつも通りの口調でそういった。
やっぱりこの人には敵わないなと、だけどいつかいい意味で泣かせてやりたいとそんな風に思った。
ーーーー
悠希ちゃん達とカフェで別れてーー会計を全部私持ちにして「かっこいいおねーさん」を演じたりしてーー病院へと戻る。
最後の方に悠希ちゃんに言われた言葉が繰り返される。
「ありがとう、か。私が言うべきなんだろうなぁ」
あの事故の日の大手術。
悠希ちゃんーー勇気君のと言うべきかーーお父さんとお母さんが助からないとすぐにわかり、どうにか子ども達だけでも助けなくてはと思った。
特に、一瞬だけ意識が戻ったお父さんの「息子をよろしく頼む」というのは今でも頭から離れない。
だけど運ばれてきたのは、車の破片で身体中ズタボロになった男の子と、衝撃でもはや脳が死んでいる女の子だった。
それを見たときの絶望感は、あれ以上の絶望感は後にも先にもなかった。
苦肉の策として考え出された結論は、無事な身体に無事な脳を移植するという、子ども並みに単純な思考で出された、院内のスタッフ全員が反対した答えだった。
私はすぐに、女の子の両親に確認を取った。
言い方は抑えたけれど、あんたの子どもの脳が死んだから身体だけ無事な子にあげてくれ、と言ったようなものだ。
女の子の両親もなにか覚悟が決まったようで、すぐさま「娘と息子をお願いします」なんて言われてしまった。
結果として手術は成功したけど、その後の後遺症だとか経過観察を十二分にしなくてはいけないので、私は手持ちの仕事を全て他の医師に振り分け、悠希ちゃんのことだけに専念した。
……経過観察だなんて言ってるだけで、自分の失敗が怖かった。
選択を間違えたのではないか。この子の人生を狂わせてしまったのではないか。いっそ死なせた方がーー
……やめよう、これ以上は考えが悪い方向に進んでしまう。
とにかく、悠希ちゃんの様子を見るのは、私にとっては、義務であり罰なのだ。
せめてあの子が幸せであるように、助けてあげることが、私にできる精一杯なのだから。
だから、「ありがとう」だなんて、言われる筋合いはないはずなのに、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
救われたのは私の方だったのか、それとも。
その答えは未だに出ていないけれど、これだけはすぐに言えそうだ。
こんな恥ずかしいこと、本人の前じゃ絶対言わないけれど。
「こちらこそ、生きててくれてありがとう」
そう呟いて、自然と出てきた涙を堪えながら、仕事をするため病院へと帰ることにした。
今更ですが、たくさんのブックマーク、感想ありがとうございます。
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