23
戻ってから、いつも通りのごみ捨てとかやって。
眠って。起きて。家事やって。食事に苦労して。仕事手伝って。
気が付けば数か月が過ぎ、季節は冬へと深まっていた。
「もうそろそろ頃合いなんじゃないのか?」
「もう自室でこぼしてないです」
「最近顔も普通だしな」
「どういうことですか」
「お前、数か月前はちょっといかれていたぞ……そう思うと変わったな」
そういえば、僕はちょっといかれていたというか、自分自身を見失っていたなって。
「僕は僕と和解しましたし」
「哲学的だな。俺が貸した本は生物学の本だった気がするが」
あまりに混乱しすぎたときに理論で理解しろって。
じゃあなんか貸してくださいって言って出てきた本。
「確かに。でも、”牙人とは”が分かったんで、自分に聞いてみたんですよ」
「ほう、何が聞こえた?」
「僕の拒絶はただの綺麗事でしかないって。わかったらその鎖を解けって」
「文学的だな。お前、本書いたら?」
なんかこの哲学的だとか文学的だとかって、数か月前にも言われた気がする。
「ちゃんと聞いてくださいよ」
「聞いているとも。要はちゃんと自分の本能に忠実に生きろって話だろ」
「……そうですよ」
何なら僕が言いたいことをコンパクトにまとめてきた。
でも、ちょっと違うとすれば決して本能だけじゃない。本心もある。
「心構えもできているなら、ここで食してもらっても構わない。ちゃんとできているかテストしてやる」
「卒業試験ですね」
「三十分で済ませろ。俺もさっさと食ってくるから」
三十分といえばルフスの実家の食室で経験した時間。
思えば酷い状態だったなって。
思い出に耽っているともうルフスは書斎へ。
昔は自分じゃない自分に逃げていたけど、今は自分でこうすることを選んでいる。
だから、僕も慣れた手つきで相手の懐に入って目を覆う。
そのまま壁に押し付けて首から行く。
脈には百発百中かって言われると外れることもある。
でも今日は一発で当たったみたい。
手は、相手の眼から口へ。
叫びはくぐもっていく。
力が抜けてきたと思ったら支えて。
ゆっくり流れの速さに合わせて体を床に近づけて。
弱くなった圧力でも出てくるように。
もう出てこないって思ったら口を離して。
罪悪感は離れてくれないけれど、それが生きるってことだし。
正直言うとまだちょっと心は痛いけど。
背後に気配。
「長かったな」
笑っている。
その笑顔はちょっと感動交じりの祝福だと僕は受け取る。
「僕は卒業できましたか?」
「できているんじゃないか?」
僕はほっと胸をなでおろす。
「少し時間オーバーしているのを除けばな」
時計を指さすルフス。五分超過。
「げ」
「職場が時間厳守じゃなくてよかったな」
「使用人としてそれはダメでしょ」
急いで最終支度。
「おい、今日のスケジュールは?」
スケジュールを見る。
頭を抱えた。
侯爵イベント……!
書斎からあのでかいアタッシュケースを取ってくる。
少しだけ力もついたみたいで、ある程度なら片手でも持てるようになった。
やはり、食の影響は大きい。
リビングに、パリダが立っている。
僕は無視して先に行く。
すれ違いざま、少し手を付けたい気持ちもなくはない。
でも、それを抑制することもまた、自分との付き合い。
「もう私を見て何も思わなくなったのね。不思議な吸血鬼」
牙人の侮蔑に使う言葉が飛んでちょっと怒りも湧く。
だけど、耳を傾けるだけ無駄だって。
彼女の言葉は災いへの唆しだから。
だけど、これだけは言っておきたい。
「パリダさん、僕はもう、変わったんだ」
彼女は一瞬だけ僕を見て、淡い笑みを浮かべる。
「そうね。随分変わった気がする」
僕は彼女が洗面所へ向かうのを見送り、玄関へ。
外は雪が降っている。うっすら積もっている。
「お前、車出せるか」
僕はこの雪の中事故らずに運転できる自信がない。
僕らは車を買って、僕が運転することになった。
もちろんオートマ車で、そこそこのものを買ってもらった。
サンディークスは早めに出勤して大量の書類とにらめっこしているそう。
ルフスは外交特化として今日も大量の打ち合わせ。
皆、それぞれ季節と共に変わっていく。
「難しそうなら、歩くか」
まあ、その方が安全だ。
しかし……歩いたら……四十分はかかるな。
右手に持った重たいアタッシュケースを見た。
気合入れないとなと、強く握り直す。
傘を差し、歩き始める。周りに人影はなくとても静かだ。
「こんな日に誰も出歩くまい。今日くらいは職場までは喋っていいぞ」
無言で四十分はキツイなと思っていたところ。嬉しい。じゃあ、早速。
「職場まで歩いたことあるんですか」
「ないことはない。サンディークスに置いていかれた日は歩いて帰ったな」
「そんな面白エピソードあったんですか」
「ここが外じゃなかったら蹴っていたぞ」
「助かった~」
ちょっと茶化していく。
「覚えとけよ」
後でシレっと蹴られている気がする。
ま、もうそれも慣れましたけど。
「お前の事も落ち着いたし、丁度あいつも報告期間に入るはずだ。三男から連絡があった」
パリダが一時帰国して、アルビオン家の三男も帰国する。
おおよそ三週間ぐらいらしいが。
「と、言うことは」
「ようやく結婚の舞台が整ったというわけだ」
婚約者ファベルからは連絡が月一ぐらいで来ていた。
もちろん、中身は見ていない。
「で、どこの絶景スポット行くんですか」
数か月前に買った”死ぬまでに見たい絶景”って本を思い出した。
「お前なあ……俺も考えてはいたが、ファベルがもう指定してきた」
なんか意外だ。
「どこなんですか」
「言ってもわからん」
「もったいぶらないでくださいよ」
「実家の近くとだけ言っておく」
「なんですかそれ……」
全然面白くないぞ。
「どうせお前も連れていくからそれでいいだろう」
「わお、やった」
楽しくなってきた。
「最低限の礼節は覚えろよ」
本気のトーンが飛んでくる。
「はい、本読みます」
多分、かなり格式高い感じなのだろう。
大丈夫かな。急に不安になってくる。
「そうビビるな。一対一だと緩いなとは思うが、職場での姿勢とかは少しマシになっているぞ」
「ほんとですか」
「他の黒服に比べればまだまだだがな」
また余計なことを……。
「それでもちょっとは成長しているみたいでよかったです」
フフッと笑ったときに出た白い息。
それを聞いて隣からも笑いと白い息。
たわいもない話は続いていく。
しんしんと降る雪はしばらく止む気配がなく、静かに積もっていく。
僕らの歩みもまた止まることなく、積もった雪に二人分の足跡を残していく。
その足跡は消えることなく、常に前を向いていた。




