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I Doll  作者: MEW
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8/8

#ヲタクやめます

#ヲタクやめます

 バイトが終わり、バックヤードに戻ってくると、ちーちゃんからLINEが届いていた。ご飯のお誘いメッセージに二つ返事で了承して、さっさと着替えてしまう。着替えた拍子にぼさぼさになった髪の毛を適当に整えて、先輩に軽く挨拶をして店を出た。バイトの時はだる着ばかりで、ダサい代わりに暖かい。足はストッキングより数倍分厚いスキニーで、足元もぺたんこのスニーカーばかりだった。クリスマスが近づいて、どんどん華やかになる夜の街並みを眺めながら、梅田に向かう駅のホームに走った。

 ちーちゃんオススメの牛タンのお店に先に到着してしまって、店員さんに断って先に席に通してもらう。小上がりの席に案内されて、立ちっぱなしで疲労がたまった足を揉みながらちーちゃんを待つ。耳に挿したままのイヤホンからは、まだ聞き慣れない歌声が響いている。店内に充満するいい香りに、胃が刺激される。一気にお腹がすいて、メニューを手に取って定食メニューを眺める。いつもなら単品で十分だけど、今なら定食の大盛りでも食べきってしまえる気がした。

 牛タン定食の四枚にするか五枚にするかを悩み始めた頃に、ちーちゃんがやってくる。お疲れ~、と声をかけながら向かいに座ったちーちゃんにメニューを渡す。こちらにも見やすいように、メニューを傾けてくれるのを制止する。

「もうだいたい決まったからいいよ」

「あ、そう? お腹すいたー」

 流しっぱなしだった音楽を止めて、インスタの更新通知を一応目で確認してから画面を消した。ちーちゃんが眺めるメニューの裏を覗き込んで、今日はお酒を飲もうとアルコールメニューを探す。レモンサワーを見つけて、顔を上げた。

「ちーちゃん何にすんの?」

「牛タン定食の味噌」

「何枚のやつ?」

「四」

「じゃあわたしもそうしよ」

 言いながら呼び出しベルを押す。空腹を訴えるお腹がうるさくて、ごまかすように水を飲んだ。

「あ、飲み物は?」

「なにある?」

「レサワあるよ」

「じゃあそれ」

 店員が去っていくのを見送って、ちーちゃんは大きくため息をつきながら、疲れたーと大きく声を上げた。週末はたまにこうやって集まってご飯を食べる。いつも帰ったころには忘れてしまうようなくだらない話をしていた。

「そういえば」

 言いかけたところにレモンサワーが到着する。あまりの速さに目を見合わせて、笑いながら乾杯した。

「ちーちゃんが教えてくれた曲さー、やっぱなんかハマらん」

「だから絶対好きじゃないでって言ってんのに。あんたが蒼汰くん忘れたい~とか振られた女みたいなこと言うからやん」

「ごめんて」

 ちーちゃんの推しグループの曲を勧めてもらって、ハマらないなぁと思いながらも健気に聞き続けていた曲。ちーちゃんにコンサートを見させてもらっていた時からあまり刺さっていなかったのだから、当たり前と言えば当たり前で、でも、これまで聞いていた曲は全部蒼汰くんの声がして、気配がして、どうしても聞いていられなかった。締め付けられる思いから逃げたくて、とりあえず、同じ事務所のグループの曲を聞いてみたり、研究生を漁ってみたり、もう三週間もそんな調子だった。

「蒼汰くん、復帰したんよな?」

「うん。でも謝罪ブログ、三日経ってやっと更新されたんやで?」

「まぁほんまに寝込んでたんかもしれんやん」

「そうやけど」

 伸びきったネイルを見つめる。なかなか次のデザインが決められなくて、結局予約もとらずにそのままだった。今までブルー系ばかりをやっていたから、今度こそピンクにしようと思っているのに、自分の爪にピンクが乗っているのがなんだか想像できなかった。長野を干したおかげでお金におもわぬ余裕ができて、でも代わりに面白いことがある訳でもない。意図的に蒼汰くんを排除するだけで、こんなにもやることがないものか、といっそ感心すらした。

 謝罪ブログの堅苦しい文面には蒼汰くんの息遣いひとつ感じられなくて、その生気のない謝罪がまた苦しかった。あの蒼汰くんのいないステージを見てから、蒼汰くんのことをどうやって応援していいのか、わからなくなってしまった。好きだったユニット曲も、ソロのダンスも、雄大くんの方が良かったと思ってしまったらどうしようと、怖くて仕方がなかった。あのときの六人だけのステージが頭に焼き付いて離れない。蒼汰くんは、あのステージを見てわたしと同じくらい悔しいと思ってくれたのだろうか。遅れを取った分、努力してくれただろうか。

 思えば収録に遅刻しただとか、ブログの定期更新を度々忘れたりだとか、そういう少しルーズなところもあった。デビュー当時から苦手だと言い続けている歌も、本当にうまくなろうと努力してくれているのだろうか。玲央くんも、あんなに歌がうまいのに、いまでもボイトレに通ってどんどんうまくなってる。そんな姿を見て、なにも思わないのだろうか。

「で? 大阪はどうすんの?」

「んー……」

「まゆが行かんねやったらわたしも行かんし」

「それはあかん」

「なんでや」

 どうしても、ちーちゃんに蒼汰くんを生で見てほしくて、遠征しなくてもいいように大阪の公演を待っていたのだ。一年前のツアーでは大阪に来てくれなくて、今年こそはと自名義でチケットも抑えて。こんなことになるなんて、その時は想像もしていなかった。当たり前にこれから先も蒼汰くんを応援しているつもりだったし、そうやって生きていくものだと思っていた。人生の一部で、そうするのがわたしだと思っていた。

 注文した定食が目の前に並んで、店員が去ってすぐに箸を取る。さすがにいきなり肉に手を付けるのは憚られて、とりあえず添えられた漬物に手を伸ばす。白菜をかみながら、こんな時でもご飯はおいしいから偉大だな、とぼんやり思った。

「仙台行きたいな」

「本場の牛タン最高やで」

「やろうな」

「わたしは新潟のお米食べたい」

「東北いいなー」

「新潟は東北ちゃうやろ」

「関西以外知らんねん」

 基本的に関西の現場にしか行かないちーちゃんは、現場主義のヲタクには珍しく遠征をほとんどしない。会場を絞って、ピンポイントで絶対に欲しい席を買うらしい。だから、関西の会場が初日の時は最悪だとよく怒っている。慣れない関西の会場のことはちーちゃんに聞けば大概のことが分かるし、自分が入った席なら実際に写真を見せながら見え方を教えてくれる。そういえば、ステージサイドに入るなら三重だと教えてくれていたのに、すっかり忘れていた。

「城やんな? 会場」

「うん。安定の」 

「城か~じゃあ前しかナシやな」

「スタンドは? 外周あるで。田の字じゃないけど。」

「5列以内でギリ」

「きびし」

 職人のような会話に笑って、牛タンを噛む。こういう軽快なテンポで会話できるのが良かった。お互い、何が地雷かもわかっているし、現場に関してはやり方が違いすぎて気にもならない。付き合いの長さも相まって、とにかく心地よかった。蒼汰くんのことを、ちーちゃんは好きになってくれるだろうか。

「自名義弱いから、あんま期待せんとってな」

「見に行かせてもらうんやし気にせんよ」

「推しおらんからの間違いやろ」

「まぁね」

 悪びれる様子もなくそう言われる。脳裏にさっきまで聞いていた曲がよぎる。

「そういえば今回のセトリ、ちーちゃんの好きそうな曲あるわ」

 牛タンを口に運びながら、ちら、と視線だけを寄越したちーちゃんに声をかけながら、スマホを開く。ボイスメモを開いて、音源を再生しようとしたところで、身体が固まった。

「……あかん、自分で地雷踏むとこやった」

「うん、何するつもりなんかと思った」

 一気に胸が重たくなって。行儀悪く立てた膝に顔をうずめる。なんでなんだろう。なんで離れてくれないんだろう。蒼汰くんに掛けてきた時間と、お金のせいだろうか。

「もういやや」

 自然と口からこぼれた。付き合えるわけでもない人に、こんなに支配されているのが悔しかった。蒼汰くんのことばかりで悩んできた気がする。もう、馬鹿みたいで、なんて不毛なことをしているんだろうと死にたくなってくる。名古屋の蒼汰くんの笑顔が蘇る。あの時報われたはずの思いが、今はもうからからに干からびて、ただただ苦しいだけだった。こんなのって、あんまりだった。

 なにを見ても、なにを聞いても、蒼汰くんと比べてしまう。蒼汰くんの声が恋しくて、蒼汰くんの踊りをもう一度見たくなる。こんなに蒼汰くんに会っていないのは久々だった。曲も聞いてない。ブログも見ていない。でも、ネイルも、最近新しく開けたピアスも、スマホケースのイニシャルも、全部蒼汰くんだった。蒼汰くんを近くに感じられるように、自分でそうした。離れるには、あまりにも蒼汰くんが入り込みすぎていた。

「蒼汰くん……」

「あからさまに未練たらたらやな」

「当たり前やん、いくらかけたと思ってんの」

「わらう、リア恋ホス狂いみたいなこと言うやん」

「お前を殺して俺も死ぬ」

「蒼汰くん巻き込むなよ」

 泣くのも悔しくて、代わりにレモンサワーを煽った。炭酸が目に染みて、結局涙が滲んだ。

「蒼汰くん、元気かな」

「会いに行けばいいやろ」

「いやや死ぬもん」

「まぁとりあえず一緒に行こ。蒼汰くんにムカついたらうちわ投げりゃいいやん」

 思わず吹き出しになって、慌てておしぼりを口に当てる。こういう突拍子のなさは、ちーちゃんの得意技だった。当の本人は真顔で、至って真面目そうなのが余計に愉快だった。

「ドナドナされるわ。しかも自チケやし」

「ちょうどヲタクやめられてええやん」

「極論すぎんねん」

 笑って、蒼汰くんに向かってうちわを投げる自分を想像する。蒼汰くんの綺麗な顔にあたりでもしたら、それこそその場で頸動脈を掻っ捌いてしまうかもしれない。そう思った自分が、とことんどうしようもなくて、もうどうでもよくなった。

「はぁ、ほんとにヲタクやめようかな」

「それ言ってるうちは無理」

 そう言われるのに、だよね、とは言わずにネイルを撫でた。


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