第5話「女神の設計図」
壮絶な姉妹喧嘩を止めた功績を認められ、トラヴァーズ家に迎え入れられたニル。
一見平和な暮らしの中で、徐々に聖女と歴史に潜む闇に気づいてゆく
俺――魔女のニルは、いくつかの条件付きで魔術の名門・トラヴァーズ家への居候を許される。
姉妹喧嘩の顛末は正気を取り戻したリノンが、自ら両親へ説明した。
邸内で惨劇を起こしかけたにも拘わらず、夫妻は快く身柄を受け入れてくれた。広大な敷地を持つ、歴史ある石造りの邸宅。その一室を与え、衣食住の全てを保障するという身に余る待遇だった。
一つ目は、教育を受けること。
トラヴァーズ家は全ての人間に学問の門戸を開くため、領地内外で慈善事業に尽力している。
当主曰く、俺の『黒歌』の力は危険極まりない。だからこそ制御の術と社会のルールを学び、理性ある人間として振る舞えとの指示だった。
二つ目は、ルリュイアの友達になること。
両親は彼女の突出した魔術の才能に着目し、養子としてトラヴァーズ家へ迎えた。だが元孤児という出自が災いし、同年代の子供たちからはいじめられがちだという。彼女が懐いたからには支えになってほしいという親心だった。
三つ目は……リノンが我儘を言ったら止めること。
ダイニングのテーブルをバンバンと叩き、リノンが吠える。
「このカレーからにんじんを抜け~! シェパーズパイに作り直せ! 食後にショートケーキも用意しろ~!!」
食事の度に繰り返される、理不尽な要求のオンパレード。傍らのメイドたちも眉を顰めている。その一人が助けを求めるように俺へ目線を向けた。やれやれと溜息を吐き、リノンの瞳を見据えながら叱った。
「リノン! あんまりダダをこねると……ラシェルみたいにサカナになるぞ」
「ひっ……うわあぁぁあぁ~~ん!!」
リノンは即座に大声を上げて泣き出す。だが、数日前のように癇癪を起こして天使を召喚することはなかった。
こうしてトラヴァーズ家に、かりそめの平和が訪れた。
ある日。
屋敷内の広々とした教室で、俺、ルリュイア、リノンの三人は机を並べていた。
壇上で家庭教師が教鞭を執る。
俺の年齢は一応、18歳だ。
13歳と14歳の女の子に混じって座学を受けるのは正直少し……いや、大分恥ずかしい。
「ブリタニア王国にはその昔、多くの国家が乱立していました」
40代の女性教師が黒板にチョークを滑らせる。厳しい眼差しと隙のない立ち姿はまさに教育の鬼だ。俺がガキの頃に出会っていたら、三日で逃げ出していたに違いない。
「島の覇権を巡って争う『諸王の時代』です。聖女となって戦乱を収め、ブリタニアを統一したのは偉大なる女王・アルバ様。その治世は約250年経った今も続いております」
右隣にはピンと背筋を伸ばし、真剣な表情でノートを取るリノン。左側ではルリュイアが既に微睡んでいた。
「アルバ様を始めとする聖女たちの下で、王国は目覚ましい繁栄を遂げました。ですが近年では貧富の格差が増大し、大きな社会問題となっております」
俺は椅子に浅く腰掛け、机の上に両足を乗せたまま口を開いた。
「先公~。それって聖女どもが国民を搾取してるからじゃねーのかよ」
「口を慎みなさい!」
「痛ぁっ!」
教師の怒声と共に額へチョークが飛んできた。
「目上の者には敬語を使いなさい! そして足を下ろすのです!」
「……せ、先生。貧富の格差は、聖女たちが不当に贅沢をしているからではありませんか?」
渋々姿勢を正して言い直すと、教師は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「女神に近しい聖女様が豊かな暮らしを享受するのは当然の権利です。まあ、必要性に乏しい事業が増えているのも、また事実ですがねっ」
次は聖歌についての授業だ。
ルリュイアは既に夢の中である。
話の途中でリノンが不安そうに身をよじり、そっと手を挙げた。
「先生! 聖歌を歌い続けると私も、さ……魚になってしまうのですかっ!?」
「それは大丈夫でしょう。聖女が人魚に変化したという事例は、ラシェル様以外に聞いたことがございませんし……」
困惑混じりの言葉に、リノンは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
リノンの授業態度は真面目そのものだ。教師には丁寧な敬語を使い、両親を父上母上と心から呼び慕う。
この優等生ぶりこそがトラヴァーズ家の教育の賜物だろうか。規格外のトンデモクソガキという第一印象が揺らぎ、無性に悔しくなった。
何か欠点を見つけてあげつらってやる。
そう思ってリノンのノートを覗き込むと……綺麗だった。
授業の要点が美しく纏まっている。字の形も洗練されていて読みやすい。何なら俺の字が三人の中で一番汚い。
「ニル様の文字、ヘビさんみたいで可愛いですわ!」
いつの間にか目を覚ましたルリュイアが、屈託のない笑顔で褒めた。居心地の悪さに顔を顰める。
「ルリュイアお嬢様! 私語は慎みなさい!」
「ふぇ~ん!」
またチョークが正確無比な軌道を描いて飛んだ。
色々ありつつも授業は続いた。
「聖女には『聖歌が宿る』という神秘体験がつきものです。聖女に覚醒した者は皆、等しく宗教的恍惚を感じたと言われています」
リノンが教師の目を盗み、耳打ちしてきた。
「実は神秘体験って嘘だぞ」
「何?」
「私が聖女になった時は、三日三晩高熱を出して死にかけたからな」
不満げに唇を尖らせるリノン。
思い起こせば、俺が聖女に目覚めた時も同じだった。
神など視てないし幸福の絶頂など以ての外。ただ金属音に似た禍々しいうねりが脳内を掻き乱し、錯乱のままに処刑人たちを駆逐した。
この国の歴史は、明確な嘘を孕んでいる……。
授業の後、リノンは「見せたいものがある」と言って、俺を屋敷の地下倉庫に連れて行った。
薄暗く埃っぽい空間の底。
彼女は厳重に保管された木箱の蓋をそっと開ける。
「先日、父上が買ってきたアーティファクトだ。私は間違って触れて、聖女になったのだ」
中身は一枚の石板。大きさは約30センチの長方形。
だが、石板にしてはあまりにも薄く、白かった。厚みは教科書の3分の1程度で、表面は異様に滑らかだ。側面部には同様に艶やかで真っ白なペンが付属している。明らかにブリタニアの文明水準を逸脱し、『異世界』の技術で造られたとしか考えられない代物だった。触れてはいけない、剣呑な雰囲気が漂う。
「親父さんは、石板をどこで手に入れたんだ?」
「オークロット随一の大都会……セント・グロリアスだ」
得体の知れない闇を感じ、ごくりと唾を飲む。
地下から一階へ戻り、リノンと別れる。自室へ向かう途中、玄関先がひどく騒がしいのに気づいた。
黒い制服を着た男数人が、トラヴァーズ夫妻を詰問している。
――警察だ。
「この館に『黒歌の魔女』が潜伏している疑いがある。身柄を引き渡せ」
警官たちの荒々しい声が廊下にまで響く。
だが、夫妻は堂々と首を横に振った。
「我が家に該当する者はおりません。お引き取りを」
当主が知らぬ存ぜぬを貫き通したことで、なんとか危機は去った。
しかし警察が嗅ぎ回っている以上、もうこの場所が安全である保証はない。俺の素性がバレればラシェル殺害の指名手配犯を匿ったとして、トラヴァーズ家の名誉にも関わる。
潮時だ、と目を伏せた。
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