第1話 影を回収する男
冒険者ギルドの地下には、
表向きの華やかさとは無縁の、
湿った石の匂いが満ちている。
レオンはその薄暗い廊下を、
足音も立てずに歩いていた。
かつてAランク冒険者として名を馳せた男。
今はギルド裏務課──
“冒険者の影を処理する部署”の職員。
その顔には、
英雄だった頃の面影はほとんど残っていない。
感情を捨てた、
機械のような無表情。
それが今のレオンだった。
裏務課の執務室に入ると、
机の上に一枚の報告書が置かれていた。
『死体回収依頼:第三迷宮・第七層』
淡々とした文字。
だが、その裏には必ず“誰かの死”がある。
レオンは紙を手に取り、
無言で装備を整え始めた。
革手袋。
短剣。
縄。
遺体袋。
どれも冒険者時代とは違う。
“救うため”ではなく、
“回収するため”の道具。
扉の前で、
ふと昔の記憶がよぎる。
──仲間の叫び。
──血の匂い。
──自分の手で刺した感触。
かつて仲間を自分の手で処理した。
レオンはその記憶を、
まるで埃を払うように心から追い出した。
感情は不要。
裏務課にそれは邪魔だ。
ギルドの玄関を出ようとしたとき、
背後から声が飛んだ。
「すみませんっ! あの……!」
振り返ると、
見慣れない少女が立っていた。
栗色の髪を肩で結び、
瞳は澄んだ青。
まだ冒険者登録したばかりのような、
新品の装備。
「あなた、レオンさんですよね?
裏務課の……その……すごい人って聞いて……!」
レオンは無表情のまま答える。
「何の用だ」
少女は一瞬たじろぐが、
すぐに笑顔を取り戻した。
「わたし、アリアって言います!
新人冒険者です!
その……迷宮のこと、教えてほしくて……!」
レオンは歩き出す。
アリアは慌ててついてくる。
「教える義務はない」
「でも、あなたが行く迷宮ですよね?
わたし、いつかあそこに挑戦したくて……!」
「……危険だ。やめておけ」
「危険なのは分かってます。でも──」
アリアはレオンの横に並び、
まっすぐに彼を見上げた。
「あなたみたいに、誰かを助けられる冒険者になりたいんです」
レオンの足が、
ほんの一瞬だけ止まった。
助ける──
その言葉は、
もう自分には関係のないものだと思っていた。
「……俺は助けられなかった」
低く、乾いた声。
アリアはその意味を理解できず、
ただ首をかしげる。
レオンはそれ以上何も言わず、
迷宮へ向かって歩き出した。
アリアは小走りでついていく。
「じゃあ、せめて……!
道中だけでも一緒に行っていいですか?」
「勝手にしろ」
レオンは拒絶しなかった。
それがアリアには、
小さな許可に聞こえた。
迷宮の入口に着く頃には、
アリアは息を切らしながらも笑っていた。
「はぁ……はぁ……レオンさん、歩くの速い……!」
「遅いだけだ」
「うぅ……精進します……!」
レオンは迷宮の暗闇を見つめる。
ここには死がある。
冒険者の夢と、絶望と、終わりがある。
そして今日は、
その“終わり”を回収しに来た。
アリアはそんなことを知らず、
無邪気に言う。
「レオンさん、帰ったら……
迷宮のこと、もっと教えてくださいね!」
レオンは答えない。
ただ、静かに迷宮へ足を踏み入れた。
その背中を追いながら、
アリアは小さく呟く。
「……あなた、そんな顔するんだ」
レオンの横顔には、
ほんのわずかに、
“人間の影”が戻りかけていた。
アリアはそれに気づいた唯一の人間だった。




