6話 アロンエドゥの上陸
「イング。日本に持ち込まれたオーバークォーツの花の量は分かるか?」
〈今算出中でーす!〉
潜水艇で、ソーマは北アメリカから出航したという船のルートを調べていた。
「わざわざ北海道の方から入って中部地方に運んだのか」
〈恐らくそのルートには各ポイントにアロンエドゥ候補生がいたのかもしれません。〉
「移動しながら仲間を増やしたと。‥‥通常の活動であれば、サンクミー飼育施設付近での攻撃は沈没都市への抗議だとは思うが、サクタ少年の訪問とタイミングがかぶったのは偶然だと思うか?」
〈まっさか!アロンエドゥへの情報操作は泥蛇が絡んでいるに違いありません!アイアムマイミーが泥蛇でもそうします。〉
「過去一くらいで嫌な冗談だな…」
感情が表情に出にくいソーマだが、今のイングの発言にははっきりと眉を寄せた。
イングはいつもの銀の仮面をつけた雫ボディではなく、金属球体になって思考プログラムを本体の潜水艇に預けていた。ソーマとは潜水艇内に取り付けられたスピーカーで会話をしている。
パネルで操作するソーマの後ろで、エレナとカヴェリがオロオロとしていた。
「えっとえっと⁉つまり今、なにがヤバイ状態だ⁉」
〈んもうカヴェリは洗濯物でも畳んでおいてください!〉
「やりながら聞くよ!」
〈持ってきてるんですか。〉
「私はコーヒーを持ってきたんだけど…」
〈飲んでる場合じゃないですよエレナ!〉
後ろでがちゃがちゃと賑やかな二人と一機はおいておき―…
ソーマはイングから送られてくる日本沈没都市の軍司令部の命令リストに目を通していった。
把握したところからすぐさまアクセスを切り、探知されないよう気を張る。
暗号と計算を交えたものから命令を割り出し、ソーマは眉間に深く皺を刻んだ。
「…泥蛇は沈没都市のエンドレスシーに介入できる。沈没都市の計算にまぎれて、サンクミー飼育施設の軍人に沈没都市を騙って指示を出されれば、サクタを地上に追い出すかもしれない」
たとえそれが騙られた命令だとしても、結果的に沈没都市を守るものであるのなら軍人は従う。
ソーマは奥歯を噛みしめる。
沈没都市で育てられた冷徹な価値観を、彼は身を持って知っている。
だからこそ、より苦い思いが広がった。
――――――――
サンクミー飼育施設内
外の異常事態を施設のセキュリティから通達され、軍人はひとまず全員を地下6階へ案内した。
そこは床から天井までの大きな水槽がいくつも並び、青や緑のライトに照らされたサンクミーがふよふよと泳いでいた。
流未は生徒たちを宥めながら、施設のAIと情報を共有する軍人に目を配った。
(…この施設で一番重要度の高い階に案内してくれた。精密兵器もここを一番に守ってくれる)
最初こそ生徒たちも不安そうな顔をしていたが、次第に本物のサンクミーに興味が湧いて、鶴津に質問している。
鶴津も気兼ねなく答えてやり、生徒たちの不安を紛らわせることを手伝っていた。
流未は安心しつつも、軍人の意向が気がかりで仕方なかった。
軍人は生徒や研究員から少し離れた場所で、軍用ゴーグルから表示される内容に、目元に皺を刻んでいた。
(アロンエドゥの活動。オーバークォーツの爆破テロ。…可能性を示唆されていたから大きな問題ではないが、この命令は…)
〝code:BoxGift sender:nm,JP04. Recipient:Ryo Inui
Check outside the facility.
Penguin Sakuta〟
(コード:ボックスギフト 送信者:日本沈没都市軍司令部
受信:乾 亮
ペンギンサクタ 施設外にて確認)
ゴーグルの表示は外部から見えないようになっているので、他の者はその内容が分からない。
軍人はゴーグルを操作し、今日の講義に参加している生徒の顔と名前を検索する。
すぐにその名前の人物は特定できた。
(コード:ボックスギフト。例のギフト関連か。この少年がそうかどうか確認しろと。もしギフト持ちなら、アロンエドゥの狙いも…)
軍人はゴーグルを外し、生徒たちのもとへ歩み寄った。
その際、警戒に満ちた流未の視線に気づくが、ふいと逸らす。
「悪いが、ペンギンサクタという生徒。ちょっと手伝ってくれないか?」
名指しされたサクタはきょとんとして、「あ、はい」と立ち上がった。
彼の隣で座っていたマナは静かに軍人の行動をみつめる。
流未が立ち上がり、軍人に近寄るサクタと割って入った。
「お手伝いなら大人の私がします」
立ちはだかった流未に、サクタは足を止めた。不穏な空気を感じ、怪訝な眼差しで軍人に向けた。
軍人は血の通わないような声で告げる。
「重たいものを運んでもらいますので。女性のあなたでは力不足です。なにより、鶴津氏の次に、あなたの命を守る義務が私にはありますので。――沈没都市の住民なら、ご理解頂きたい」
「ではせめて一緒に行きます」
一向に引かない流未に、鶴津が慌てて歩み寄って宥めた。
「流未…。気持ちは分かるけど、別に辺銀君を外に出すわけじゃない。そうだろ?」
鶴津が軍人に確認を取る。
軍人は間も開けず「ええ。籠城するために、地下2階からここへ備品を運んでもらおうと思っています」と答える。
それを聞いてサクタも安堵した顔になり、鶴津も「な?」と流未に微笑む。
「まだみんな子供だ。安直だけど、お菓子とかあるだけでも安心するだろ?重たいってことは水もあるんだろうし…」
流未は「でも…」と承諾しかねたが、サクタは自ら軍人の方へ一歩進み出た。
「先生。大丈夫。俺、最年長だし、男子だし。任せてよ。鶴津先生は、あれでしょ。ここから動いちゃいけないんでしょ?こういう場合。…流未先生はここでみんなといてあげてよ」
軍人と鶴津とサクタの3名から説得されては、流未もそれ以上言葉を続けられなかった。
そして軍人とサクタの2人が地下6階から出て行った。
地下2階
階段を上った辺りで、軍人は後ろをついてくるサクタにHK416を静かに向けた。
「‼」
サクタは驚いて身体が固まる。
軍人は氷のように冷たい声音で警告した。
「俺の前を歩いてもらおうか。そのまま地上に出ろ」
「…え、な、なんで。なにかしました?なにも壊して、ないと思うんですけど…」
震えながら、サクタは説明を求めた。
しかし軍人は銃口を向けたまま「三度目はない。俺の前を歩いて地上に出ろ」とサクタが前に出られるよう、通路の先を開けた。
―――――
《マナ。カウント始めるよ。3、2、1。》
マナの耳裏の皮膚シールから、〝ボア〟の通信が届いた。
カウントがゼロを刻んだ時、施設内が一斉に停電した。
「え⁉なに⁉」
「先生!なんで消えちゃったの⁉」
「誰か入ってきた⁉」
内陸育ちといえど、さすがに恐怖を感じた生徒たちは身を寄せあった。
流未や鶴津が声をかけて宥めいている間。
マナは静かにその場から立ち去った。
施設が停電したため、軍人はすぐにゴーグルを暗視モードに切り替えた。
サクタは突然の停電に驚いてしゃがみこんでいるが、その場に留まっている。
軍人はサクタを引っ張って誘導しようと手を伸ばしたその時。
〈まーっにあいましたぁ!チェアーッ!〉
ふざけた声と共に、軍人の足元で火花が散った。
軍人は鋭利な飛来物を避け、距離を取って敵を確認する。
床には濡れた跡が残った。
液状の矢だった。
特徴的なこの戦い方を、軍人はよく知っている。
液状の矢は本体へ戻っていく。
本体の姿は。
赤茶色の液体で170㎝程度の人型をつくり、細長い腕は激しい渦が巻いている。
頭部は銀の面は軍人の方を向き、サクタを守るように戦闘態勢を構えた――
1騎の精密兵器だ。
サクタは目の前に現れた精密兵器に「あえ⁉なんで精密兵器も出てくんの⁉俺、なにかした⁉」と涙目で叫んだ。
精密兵器を乗っ取ったイングはぐるん!とサクタの方へ面を向けた。
〈サクタさん!説明は後です!とりあえず地下6階に戻ってください!――はっ!〉
「なんで俺の名前――うっわ――‼」
ガガガガガ‼と軍人から連射が放たれた。
イングはサクタをペイン!と弾いて床を滑らせ、棚の影に移動させる。
〈引いてください!軍人さん!アイアムマイミーはあなたを傷つけたくありません!〉
「所属を言え‼どこのどいつだ‼その少年には確認すべきことがある!地下6階に戻して研究員に危害が及んだらどうするつもりだ‼」
軍人は激しく言い返しながら、服の内側からあるものを取り出した。
金平糖のような丸薬だ。
軍人とて、精密兵器と真っ向勝負で勝てると思っていない。
動物の特性を借り、身体能力を底上げする薬品――〝アセンション〟の服用をしようとした。
〈さっせませーん!とりゃー!〉
イングは急速に床を滑走し、軍人との距離を詰めた。
液状の腕をしならせ、軍人の手からアセンションを弾き落とす。
イングは軍人の動きを封じ、軍人は隙をついてはサクタに銃口を向け……すぐ近くで始まった軍人と精密兵器の戦闘に、サクタは震えた。
(…さっき、あの軍人なんて言った?俺が地下6階に戻ることで、研究員に危害が及ぶ?)
地下6階には流未や仲間がいる。
サクタは軍人がなぜ自分を地上に出そうとしたのか、考えた。
(外の異常事態と俺が、なにか関係ある…?)
沈没都市の軍人は悪人ではない。内陸の武装集団と違って、守るべきもののために戦う兵隊であると、内陸の一般人、そしてサクタもそう思っている。
現に、異常事態の詳細が分かるまで、生徒たちを見捨てず鶴津と同じ場所へ案内してくれた。
そんな軍人がサクタだけ地上に出そうとした。
理由も原因も分からないが、軍人は地下6階にいる人を守るために、そうしようとしたはずだ。
(…それなら、俺は…――地下6階に戻っちゃだめだ)
サクタはグッと唇を噛みしめ、勇気を集める。
そして一人駆け出した。1階に繋がる階段へ。
〈アッ、ちょ、だめだめ!――おっとぅ‼〉
サクタの行動に気を取られたイングは、軍人がサクタを狙った弾道に気づき弾き返した。
イングはヒヨリの持つイングっ子へ音声通知を入れた。
〈サクタさんが施設の外に出ます!気が動転してるんですかね⁉保護できそうですか⁉ヒヨリ!カマ!〉
――――
「沈没の時代を否定する‼証明する!我らがエード!神の名を取り戻すまで我らは箱となり、真実の時代を導かん‼」
アロンエドゥは宣言を叫んでいた。
胸ポケットに入れたイングっ子の声が聞こえたが、ヒヨリはすぐに応答できなかった。
〝ブースト〟を使って撃たれる前に相手の懐に入り、その手を切り払っていく。
しかし、数が多かった。
サンクミー飼育施設より1㎞程度しか離れていない所で、ヒヨリとカマは、30人はいるアロンエドゥと交戦していた。
カマの〝エスタ〟で銃弾を跳ね返したあたりで、二人がギフト持ちであることを向こうは承知した。
銃弾の威力もお手製のものとは比べ物にならないもので、ヒヨリとカマは苦戦をしいられていた。
「今出て来られるのはちょっと困るかなあ‼」
「ハァ⁉出てくる⁉守れないワ!死ぬわヨ‼」
拳銃を使えるカマは相手から奪い取って撃ち、銃弾はヒヨリに当たらないよう弾き返していく。
「仕方ない‼カマ‼施設から離れよう‼」
「アタシたちに注目を集めさせるのネ!来なさいヨ!オラオラ‼」
ヒヨリとカマは連携を取りながら、少しずつ施設からアロンエドゥを遠ざけていく。
―――――――
サクタは恐る恐る、サンクミー飼育施設の入口から顔を出した。
(…銃声が遠くから聞こえる。思ったより離れた場所で交戦してるのかな。どうしよう。とりあえずこの入口で待つ?なにかあったらすぐ施設に入れるし、軍人にも怒られないだろうし…。うん。ここにいよう)
サクタは日陰に座り込み、なるべく体を小さくした。
(…ああ。ちょっと懐かしいな。内陸に住んでた頃も、お父さんが帰ってくるとこうやって陰のあるところで丸くなってた)
サクタの父は沈没都市との契約で作物を育てていた。
沈没都市の食品は培養食品だ。肉も野菜も、その細胞を培養して調理する。最低限の資源で最大限の供給ができる技術だが、同じ細胞を何度も培養すると、しだいに栄養価が失われるとされる。
そのため、内陸の土でオリジナルの食材を育てる必要があった。
そんな畑を、家族三人で管理していたのに。
(特別儲かる仕事じゃなかったけど、他の仕事をするより真っ当で最低賃金だって悪くなかった。…でも麻薬を作る方が儲かるって知ったら、お父さんの様子も変わった)
だから沈没都市の契約は速攻で打ち切られたのに、父は以前より収入が増えたことを喜んでいた。
しかしその頃から帰ってくると妻や息子に手を上げるようになった。
なにが狂ってそうなったのかは知らないが、父に殴られた右目は視力が落ち、目の下に痣が染みついた。
そして母は。
サクタは右目あたりを手で触り、そして体育座りで顔をうずめる。
「沈没の時代を否定する。証明する。我らがエード。神の名を取り戻すまで我らは箱となり、真実の時代を導かん」
近づいてくる誰かの呟き、サクタは顔を上げた。ついでに悲鳴を上がりそうになったので自分の口を強く抑える。
サクタは顔を上げ、青ざめた。
砂時計を仕込んだ爆弾の箱を持った、アロンエドゥが一人近づいてきていた。
(――今の宣言、アロンエドゥ⁉なんで日本に!…やばい‼あれ絶対爆弾だよな⁉爆弾を投げ込まれたら施設に入っても俺、死ぬ!)
サクタは辺りに目を配らせた。
この施設は森の中だ。
木々を盾にして走れば、銃弾もある程度防げる。
銃相手に逃げるとしたら、障害物の多い方へ向かうしかない。
サクタはポケットに入っていた鉛筆を、自分が逃げる反対側の方へ投げた。
「――あ⁉」
アロンエドゥが鉛筆の落ちる音に気を取られ、そちらの方を向いた。
その隙にサクタは走り出した。
森林まで3秒あれば辿り着くが、サクタの足音に気が付いたアロンエドゥはすぐに拳銃をサクタに向けた。
パンパン‼
と連続で2発続いたが、サクタは無我夢中で森林へ逃げこんだ。
――――――
マナに撃たれたアロンエドゥは地面に両ひざをつけ、倒れた。
爆弾は丈夫な箱で囲われているため爆発しなかったが、砂時計がひっくり返って砂を落としている。
砂の重さでスイッチをオンオフできるシンプルな構造だ。内陸の武装集団が好んで使う設計である。
砂を落としきれば爆発してしまうので、マナは砂時計をもとの位置に戻した。
そして〝ラダル〟でサクタの方向を捉え、速やかに彼の後を追った。