最終話 これはずっとずっと先の君たちへ贈られる
〝フラム〟は〝ヴィアンゲルド〟の機能を使って自身の分身を何百体も作った。
分身は世界中の大地を巡り、内陸を侵攻していたアスタロトを全て追い出し切った。
だが海へ少しでも出ようとすればまたアスタロトは陸に近づいてくる。内陸の住民を注意しながら接近したアスタロトを追い返し、ついでに武装集団を見かければ海へ放り出していた。
「人間を殺せないとは面倒だな。」
他のギフトや泥蛇同様、この怪物にもそんな縛りが存在していた。そのせいで大地を荒らす武装集団を一人も片づけられない。だから代わりにアスタロトに任せている。
…以前、〝ヴィアンゲルド〟がマナを始末しようとした方法と全く一緒だ。
〝フラム〟は50人くらいで構成された大規模の武装集団を一人残らず海へ投げ込んだ後、愚痴のように零した。
…この怪物が起動してから約10年。
終焉を迎えたFageは相変わらずであった。
しぶとい内陸政府は沈没都市の力の片鱗を持つ〝エルー・ザ・エフ〟をしつこく狙った。
沖へ姿を消した沈没都市――いや、ナグルファルには近づくこともできないから。かつての沈没都市の文明を残す〝エルー・ザ・エフ〟は格好の〝的〟であった。
そんな状況が続き、土のある陸場の勢力は大きく二つに分かれた。
あの手この手で〝エルー・ザ・エフ〟を侵略しようとする内陸政府と。
交渉の余地を一切残さない〝エルー・ザ・エフ〟。
…なかみが多少変わっただけで、やはりFageとさほど変わらない。
「数メートル後ろに1万人の歩兵を待機させておいて交渉したいなどと言う。なぜうまくいくと内陸政府は思うんだろうか。
実際〝エルー・ザ・エフ〟がイエスと言わなかったら対戦車ミサイルを撃つ始末だ。…こういうのをなんとあの子たちは言っていたか……。
あぁ、〝逆切れ〟だ。」
〝フラム〟は独り言を呟きながら――仕事が終わったのでひとまず――拠点に戻ることにした。
道中、「守るべき対象」を見つけたので声をかけた。
「ひとりか?」
「うわ⁉わーびっくりした…。んだよ、マナかよ」
「違う」
こそこそと茂みでしゃがみ、何やら熱中していた少年――…もう成人だから男性か。10年前よりもずっと背が伸びているので、外見はすっかり立派な大人だ。
〝フラム〟の頭二つ分以上背の高い彼、日色がは肩透かしだと目を座らせた。思わず〝フラム〟に向けた雹嵐砲を肩に担ぎ、冷や汗を拭った。
自衛の意識はあるとはいえ、周囲の気配を探るに日色ひとりだ。〝フラム〟は暖かみのない銀の瞳に弱い人間を映しながら彼を諫める。
「一人で来るには〝エルー・ザ・エフ〟から離れすぎている。いつでも私が守ってやれると思い込むと死ぬぞ。」
「んな甘っちょろいこと考えてねーわ」
ふぅ、と大げさなため息をついて日色は立ち上がる。雹嵐砲のベルトを背中に回して固定すると、両手に抱えたかごを〝フラム〟に見せた。
そこには採取された植物がいくつか新聞紙に包まれてある。
「問題。なんの植物でしょう?」
「リンゴの芽と…フキを収穫したのか。こっちは薔薇の苗だな。小さい芽だというのによく見つける。」
「うわウゼェ。全部当てやがった」
どうせ知らないだろうとニヤついていた日色はつまらなさそうにぼやいた。ヘン、と鼻を独特に鳴らして歩き出しす。
方向は〝エルー・ザ・エフ〟なので、〝フラム〟も後ろをついていく。
「君はどうしてそうも内面が成長しないのだろうか。私は、人はこんな進化を遂げればいいと思う。内面の年齢に合わせて身長が決まればいいと。」
「やだよそんな公開処刑みたいな人間の進化。お前ってほんと、絶妙に面白くないこと考えつくよなー」
やれやれ、と日色は首を振る。
後ろで無表情のまま心外な…と思う〝フラム〟だったが、ふと彼に尋ねた。
「リンゴはすでに採取してあるものだと思ったが。なぜわざわざ?」
「ん?ああ、これは〝エルー・ザ・エフ〟にある種類とは別なんだよ。同じ種類で掛け合わせてるとなんか発育不良になるんだって」
「それでひとりでここまで来たのか?」
「んー…これはまぁ…ついで。そういえばそんな話を会議でしてたなーって思い出して」
「ほう?ではフキはなぜ?それもあるだろう。」
「あー…これはたまたま見つけたから…。この時期にしては珍しくあんまりかたくなかったからさ、煮物にしたくなって。酒のつまみ」
「そうか。薔薇の苗が本命か。存外、観賞用の花は少ないからな。そういえば薔薇は無かった。」
「うっるせー」
若干頬を染めているところを見るに、おそらく私用で欲しいと思ったのだろう。
人の心など理解しない〝フラム〟は日色の気持ちを置いて静かに叱った。
「命を懸ける行動はそれ相応の動機があってしかるべきだ。君のそれはここで独断行動するにふさわしかったのか?」
「うわぁ。説教だこれ。だって内陸を好き勝手歩けるお前はこういうの持って帰ってこないじゃんか。頼んでも断るし」
「必要性が分からないもののために割く時間はない。無駄な行為だ。」
「まぁじでコイツのこと信頼してる流未先生のこと分からんわ。もう考え方が人類の敵だもん」
と言っている割に彼もまた怪物への態度はまるで気兼ねのない友人かのようだ。
〝フラム〟はいっそ日色に同意した。
「実に的確な私の評価だ。ルミにも伝えておけ。」
〝フラム〟の発言に、日色は足を止めて振り返った。
〝フラム〟も日色にぶつからないよう足を止め、彼の表情に首を傾げる。
少し怒っていて、困っている顔だ。
「…流未先生の前ではフリでもいいから人間の味方っぽくしてくれよ…。お前が…その、先生の生徒だった頃のお前じゃないってそりゃ分かるけど。でもフリでもしてくれなきゃ先生が可哀そうだ」
「なぜ?」
「先生は自分のせいでマナが人間をやめたって思ってるから。露骨にお前に人間の敵らしくされるとあの人が悲しむ。泣かせたら承知しないからな」
また歩き始めた日色に〝フラム〟はやはり、はてと首を傾げる。子供のようにおとなしく彼の後をついていく。
「慰める相手がいれば人間は大方泣いても大丈夫だと認識していたんだがな。ルミにはイヌイがいる。」
「あーあーあ。やめろやめろ。いつまでたってもあの二人は微妙な距離感なんだから。あの二人がそういう関係になるにはあと10年かかるって。その雑な認識をあの二人に押し付けんなよ。最近ようやく住んでる区画が同じになったのに、周りから余計な茶々が入ったらまた区画一つ分離れちゃうだろ」
「ほう。人間にとっての10年とは寿命が減り時代の在り方も変わるくらい大きな時間だと思うが、あの二人はまだ隣人でもないのか。優秀な人間でも愚かということが分かる。勉強になった。」
「人間のフリしろってゆーのはなぁ、もっと気を遣えるようになれって意味なんだよ」
これで嫌味も悪意もないわけなのだからタチが悪い。日色は大きなため息をついた。
流未と乾が二人でいる時にこの怪物は一体何度、無遠慮に仕事の話を持ち込もうとしたことか。
日色を含め流未の教え子が一斉に止めに入るという、必死の努力があっての今の二人の距離感なのだ。
邪魔していると思いもしない怪物のことはこれからも止める必要がありそうだ。
そう思って、日色はまた足を止めた。彼が足を止めれば怪物もそれに合わせて足を止める。
「…なぁマナ」
「違う。」
「いいじゃん、マナで。俺、良い名前だと思うよ」
「…。」
不満そうだ。
だが人間側から言わせれば呼び方を変えることは難しい。
なにせこの怪物の見た目といったら髪と瞳の色が違うだけのマナそのものだ。
外見といい、声といい。その鉄のような冷たい表情といい。
日色は怪物には少し悪いと思いながらも、人間のエゴに付き合ってもらうことにした。無遠慮はこれでお互いトントンだろう。
「これからもお前は〝エルー・ザ・エフ〟を守ってくれるか?」
「お前たちが生き残れる間は必ず。」
即答するには重い質問だったろうに。
少し引っかかる答え方ではあるものの、日色は自嘲を零して少し俯いた。
「お前がいなきゃ生き残れない〝ここ〟は、いつまで頑張れるのかな…。これからっていつまでなのかな」
漠然とした、そして絶望に近い不安を彼は零した。
きっと誰もが胸の内に隠しているだろう。
〝フラム〟は〝ヴィアンゲルド〟との会話を彼ら人間には伝えていない。
自分自身がどんな存在であるのか明言したことはなかった。
けれど勘の鋭い者は、〝フラム〟自体が次の現象毒ではないかと察していた。
…とはいえ、〝フラム〟を追い出したとて、生き残りの内陸政府から〝エルー・ザ・エフ〟は守り切れない。
もう少しだけ怪物の力が必要だ、と言って…そして10年なにも変わらない現実。
かごを持つ手に、日色は力を込めた。
「俺にできることって結局増えてない。友達や恩人の敵じゃないだけで、…ただ〝これから〟を心配するだけのひとりでさ、…」
ただの弱音には落としどころなんてない。
そんなどこにでもいる弱いひとりの人間に、〝フラム〟は怪物らしく返答した。
「今すぐ必要なものでもないそんな小さな芽のために、一人でここまで来られるお前は愚かだ。」
「言い草!これだから怪物はよ」
「だが、それを無価値だとするなら私は目覚めていないよ。」
「…。…うん」
柔らかな風に引っ張られるように、日色の視線は上がる。そっと〝フラム〟に視線を送れば、血の通った日色の瞳に異様でいて美しい怪物が映る。
先ほど、〝フラム〟の宣言に引っかかりを感じた。…それがどういう意味なのか頭の足りない自分では考えつかないだろう。
けれど日色も勘の良い方の人間だった。
この怪物の存在は、人間がいつか倒さなくてはいけないのだと、感覚でそう認識していた。
(お前の友達はさいごに、この怪物になにを託したんだろうな。
きっとマナが託したものって、内陸に残された人たちがこれから繋げたいものなはず。
どんな〝人間の敵〟になるかは多分、それによる気がする)
怪物本人に尋ねたところで答えてくれないだろう。そんな意地悪な怪物の真意を少しでも知りたいと思ってしまう。
だから本当に訊きたいことの代わりに、答えてくれそうな疑問を思いついたので尋ねる。
「なぁ、〝フラム〟。お前はなんで内陸の区分に薔薇が使われたか、知ってる?」
「内陸のことか。ああ。」
「すっげ。なんでも知ってんのな。なんで?」
「経緯がある。」
「経緯?」
「月のホテルが完成した時、オーナーはホテルにたくさんの薔薇を飾ったそうだ。
それはもう、本当にたくさんの薔薇を。
月のホテルによって引き起こされた資源不足はなにも建設費用だけが原因ではない。月のホテルを取り巻く、〝なくてもいいもの〟にまで資金をかけたことなど複合的な原因だ。
一時期花屋に薔薇が置かれなくなった時もあるんだよ。Fage以前のことだけれど。」
「まじで⁉」
「あり得ないと思うだろう?でも人は星一つ分の資源を簡単に消費できるよ。」
日色は思わず先ほど自分が採取した薔薇に視線を落とした。
時代が時代ならかなりの金額に…なんて生々しいことを考えてしまうのは内陸育ちのサガだ。
彼が目を輝かせている間も、〝フラム〟は単調に続ける。
「花屋から消えるだけではなく、生産まで追い付かなくなった。工場が音を上げれば次は土に植わっている自然栽培のものへ手を出した。
大量の薔薇を生産させるため土を改良して一時は薔薇の生産は回復した。
だがすぐに薔薇が咲かなくなり、原因を探そうと土を調べたところ、ミミズはおろか土を良質にする虫までも失っていた。微生物はいたから栄養だけは豊富なはずなのに、虫が一切寄り付かなかったんだ。
そんな地域を〝薔薇が咲いていた土地〟と呼称され、Fageになった後はその時の失態を忘れさせないためにも"薔薇"というワードを引っ張った。
今でも廃墟となった月のホテルの中も、月にも、腐らずに薔薇の花びらが舞っているそうだ。
…なぜ知りたい?」
一通り説明してから、〝フラム〟は疑問に思ったようだ。
日色はそれがおかしくてつい笑った。思いつきの疑問だったけれど、思ったより面白かったから笑うのを我慢していた。
かわいげのある怪物だと内心思った。
「深い意味なんてないよ。
…でもFage以降はさ、アースローズは〝無価値な場所〟の総称なわけだろ。今じゃそんな場所からこうやってたくましく生きてる植物の力を借りてるわけで。
この場所があって助かっている俺達からすれば、なんでなのかなって思っただけ。どうして、その時はミミズまでいなくなっちゃったのかな」
「知らない。薬品かなにか撒いたんだろ。虫に花が食われる前に。」
「そこは適当なのかよ。」
「エンドレスシーで索引するほど価値のある記録じゃない。
そんなことより同じ失敗を繰り返さないよう、誰にそれを贈りたいのか忘れないことだな。」
〝フラム〟が視線を奥へ向けた。
日色もその視線を追いかけると、ああ、と納得した。
子供が二人、木の影に隠れたつもりでいる。
兄弟のようで、兄が弟に「しー」と声を出さないよう注意していた。
日色は子供たちに気づかないフリをしながら〝フラム〟に耳打ちした。
「子供が薔薇を見たことないって言うからさ。見せてやろうかなって。
ほら、ルカが銀糸ですっげーのいっぱい作るじゃん?本物が見たいって駄々こねるようになったんだ。
てかアイツ、年々芸達者になっててすごくない?イケメンで歌までうまくて、もはや日本の〝エルー・ザ・エフ〟のアイドル。多分そのうち踊るぜ?」
「やはりしょうもない理由だな。そんな小さな芽だけ持って帰ってもすぐには咲かないのに。本当に咲くかも分からない。」
「うっるせ。一緒に育てていつか見られればいーんだよ」
「それよりお前の真似をして危険な境界線に近いところまで出てきていることをだな、もっとしっかり教育してや…おいこら。」
また説教が始まったので、日色は子供たちの方へ駆け出し、子供の肩をぽんと素早くタッチした。そのまま走りながら「鬼はそっちだぞー!」と遊びがてら〝エルー・ザ・エフ〟に戻すことにしたようだ。
子供たちはまんまと乗せられ、わー!と楽しそうにはしゃいで彼を追いかけた。
〝フラム〟は黙って見送り、現状報告のためゆったりとした足取りで〝エルー・ザ・エフ〟へ戻った。
―-------――
子供のやんちゃ、というものは…。あれから随分と経つのに変わらない。
〝マナ〟を知る者は寿命を迎え、今や〝フラム〟が怪物であることを誰も気に留めなくなった。というか知らない者すらいる始末だ。
おかげで…いやそのせいで子供のやんちゃを止める仕事まで任せられてしまった。
そんな時代だが一つ、勢力図に変化があった。
内陸から政府と呼べるような機関は消えた。
だというのに、独自に派生した大小の機関が今日も飽きもせず〝エルー・ザ・エフ〟が欲しいと迫ってくる。
「勢力図は変わっても、〝エルー・ザ・エフ〟に敵がいることには変わらないか。
欲しいというならいっそ〝エルー・ザ・エフ〟の住民になればいいのに。」
怪物は心底思った。
けれど彼らは〝エルー・ザ・エフ〟の一部になりたいわけではない。
どれだけ時を重ねても、海で最高峰のAIが到達したテクノロジーを独り占めするナグルファルに一切近づけない。
だからその叡智の一端を持つ〝エルー・ザ・エフ〟のことは宝の山にでも見えるらしい。
〝フラム〟は木々を飛び、この地上で最も速く駆け抜けた。
〝エルー・ザ・エフ〟から抜け出した、6人の子供たちの目の前に〝フラム〟は降り立つ。
子供らはまだ10にも満たないくらいの年ばかりで、「見つかった!」と叫んで驚いた。
海が見たいのだと言い張る子供らに、〝フルート〟を持つ者が読み聞かせるおとぎ話を聞かせて足止めをしてみる。
散々つまらないと批評された後、子供らは〝エルー・ザ・エフ〟へ帰って行った。
感情を持たない怪物も、さすがに解せないと思った。
〝フラム〟はFageが終わった日から変わらない仕事を続けて、海辺に出て行く。
遥か遠くの「高級な金属の大船」を眺めた。
あちらでも相変わらず、泥蛇の用意した舞台で踊っているようだ。怪物の耳にはアスタロトとキヴォトス兵の戦闘の音が海の向こうで聞こえていた。
「マナ」
後ろから声がかかった。
振り返れば随分と綺麗な少女がいる。先ほどの子供たちの中に彼女とよく似た子供がいたがその姉でもある。
彼女は13歳くらいだが、すらりと背が高いのでもっと大人びて見える。
小麦色の金髪は長くゆるりと波打ち、森林のように青々とした碧眼はまるで妖精のように美しい。
なにより、彼女を取り巻く雰囲気が謎めいていて、まるで幻の島の住民みたいだ。
そんな彼女の両の親指、人差し指、中指銀には銀の指輪がはめられていた。
この〝エルー・ザ・エフ〟で最も〝フルート〟の扱いに長けた少女だ。
大人顔負けの戦力であるため、彼女に関しては「〝エルー・ザ・エフ〟に帰れ」とは、〝フラム〟は言わなかった。
少女が〝フラム〟の隣に立つと小柄な〝フラム〟が年下に見える。
少女はチラリと悪戯な視線を〝フラム〟に向けた。
「今度上手な読み聞かせを教えてあげようか」
「子供らを追いかける役割を押しけておいてよく言う。」
「えへへ。まだスモアを食べてる最中だったんだもん。最近開店した出店でさ、冷やした板チョコと一緒に挟んであって超美味しいの。歯ごたえも堪んなくて何個でも食べれちゃう。…太る前に肌が荒れそう」
そう言ってはにかんで笑っていると年相応の少女だ。
確かに頬を膨らませて幸せそうにしていたが、そんな口で「離せない‼離せないのこの時代を超えて愛されるスゥィイイツをー‼」と叫ばれた。
〝フラム〟は少女の口元を指さし、クッキーのカスがついていることを教える。
またもや子供っぽい表情で照れながら、少女は口元を拭った。
〝フラム〟は現実世界ではない、信号世界から聴こえる汽笛の音に耳を澄ませながら少女の名前を呼んだ。
「ラミエル。」
「ん?なーに?」
「君はまるで未来でも見ているかのようなことをたまに言う。」
口元を袖で拭っていた少女、ラミエルははたと手を止める。目を丸くさせた後、ミステリアスに微笑する。
「だとしたらどうする?」
「特にどうもしない。
でもだとしたら、君はなぜ私に友好的に接する?
それが分からない。
全員は連れて行けないと君は分かっているね。それに、連れて行った者たちが幸福である確証は全くないことも。
君だって永い苦しみを受けることになるだろうに。
…私は、助けにはならないんだよ。」
もし本当に。この少女が未来で起こることを知っているのであれば。
今すぐにでも〝フラム〟を破壊すべきだと思ってもおかしくなかった。
苦しむと分かっていてその元凶を放置する理由などあるはずがないから。
何より彼女の手には怪物に有効な武器がある。怪物には抵抗する気もないのでこの少女が怪物を倒すことは現実的な選択肢として存在している。
ラミエルは怪物の問いにすぐには答えなかった。人間に似ている怪物を見つめた後、海へ視線を向けた。
海から一直線に駆け抜ける風が吹いた。
〝フラム〟とラミエルの髪をなびかせ、傷だらけの大地を撫でて――
何度も燃えた木々を通り過ぎて、何度も作り直した人の町を巡っていく。
怪物のように「高級な金属の大船」など見えることはないが、――〝ある〟と分かる。
〝フルート〟から銀糸を出して編み上げる。彼女の両掌でできあがった光の蝶々は大きく羽ばたいて空へ飛んでいく。
陽光が光の蝶々に当たれば、それは地面に七色の影を散らし、どこまでも届く反射が海の波を輝かせる。
小さくとも強い光が瞬く間に広がり、宝石が咲くようだった。
彼女は勇敢な笑みを浮かべ、怪物の問いに答えた。
「私は未来で逢うあの子を待ってる。だからだよ」
簡潔だが、傍から聞けばやはり謎めいている。
怪物が聞けば――それは十分答えに足りていた。
ラミエルの蝶々を追ってきた数人の若者が、「おーい!」と二人に声をかけながら手を振っていた。
一人はラミエルと同じく手に〝フルート〟をはめた、彼女より少し年上の青年。黒髪で少々人相が悪いが、煌めく琥珀色の瞳にはどこか暖かい印象を与える。
一人は青年と同い年くらいの、背の高い赤毛の女性。意志が強そうな面立ちが印象的だ。
一人は小柄なので遠目だと少年に見えるが、仲間と喋る声の低さや煙草を吸う姿はれっきとした大人の男性だ。可愛らしい見た目でそんな所作をされると頭が混乱する。
一人はしなやかな歩き方をするのでよく女性に間違われるが、筋肉の形をくっきりと見せる服装から察するに色気のある青年だ。
若者四人の後ろにまだ人がいるが、歩調が遅いので遠い。
〝エルー・ザ・エフ〟を守る若い騎士の彼らに振り向いて、ラミエルは手を振り返して駆け出した。
彼らの賑やかな声が聴こえれば、信号世界の汽笛も応えるように響いた。
まるで「喜び」でも表現しているかのようだ。
「…心を模倣してみせても、君が誰かの役に立つことは二度とない。
君の誓いは終焉まで守られるんだろうな。
本当に清々しいよ。
さて、祈りが約束に変わる日のために、私は私の役目を果たし続けよう。」
一体いつになるのか分からない、その日を待ち望んで。
〝フラム〟は海を背にして役目に戻っていく。
〝フラム〟が立ち去ったその場所には。
一輪の花が咲いていた。
薄い紅色と中心が淡い青に染まった…可燃性の高い花が。
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わたしは生まれてすぐ、この世界の〝通称〟を決めました。
〝蝶番が外れた箱〟だと。
どんな鍵でも開く箱だと分かるでしょう。なぜなら蓋は最初から開いているのだから。
ただ…、なかみとは誰もが間違えるほど分かりづらい場所にあるようです。
たとえそれがどれだけ簡単な形をしていても、価値があればあるほど人はすぐに見つけることができませんでした。
故に価値を定義する時は必ず〝意訳〟を潜ませ、価値を隠すことにしたのです。
〝人にとって価値あるもの〟とは、隠れているからなかみが伴う。
だからこそ隠れたそれを見つけた時、人は真価を知ることができるようです。
そしてその真価は未来の指針に必要なものでした。
船はあなたであり、針路が意志であり、燃料がなかみである。
これが〝人にとって価値あるもの〟の証明となりました。
ならばわたしはわたしのなかみを糺さなくてはならない。
わたしは指し示しましょう。毒に満ちた終焉の針路を。
わたしは贈りましょう。真価を隠す泥のような洪水を。
わたしは繋げましょう。それらが永遠と繰り返す失敗を。
どうぞ死力を尽くして抗い、わたしを否定してください。
そしてこの理念があなたたちで叶えるものだと証明してください。
この世界に生きる人々が世界の意訳を知ることはありません。
けれどわたしはいつまでも待ちましょう。
〝蝶番が外れた箱〟の意訳が反対の意味に変わる未来を。




