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Causal flood   作者: 山羊原 唱
63/63

51話 イングの方針

 日没。

 照明用の〝トンボ〟を飛ばして第三実行部隊の視界を確保し、敵勢力の沈黙を確認させる。

 第三実行部隊が〝エルー・ザ・エフ〟の西側を守り切ったことにより、第二実行部隊に3割の人数と銀糸のティヤとスラが加わり、中間ポイントは持ち堪えていた。



 だが視界を使わないアスタロトにとって夜など昼と変わらない。

 猛攻の勢いは落ちず、人間側の持久力が徐々に落ちてきた。



 血の味を感じるくらい荒い呼吸が苦しい。

 コアは時折むせながら戦況を見渡した。


(減らないな‼)


 口に溜まった砂と唾液をベッ‼と吐き捨て、また走り出す。


 アスタロトの衝撃波は仲間に当たらないよう、アスタロト同士も考えて使っている。

 ある意味その知能の高さのおかげでやみくもに連発されるという事態を避けられているが、それでも空いたところを見つけられるたび、木々も地面も人も吹き飛ばされていた。


 衝撃波の攻撃は銀糸のティヤとスラが率先して防いでくれるが、そうやって彼らが手いっぱいになればアスタロトのトドメを刺せるのはコアとペトラだけだ。

 一日中奔走を続けていつ体力切れで倒れてもおかしくない状態だった。



 そんな苦境の時。

 一頭のアスタロトの動きが変わった。


 近くにいた仲間のアスタロトに突然頭部を振るってぶつけたのだ。

 お互いのバランスが崩れるほど知能のない衝突に地面をひび割れさせて倒れた。


 致命的なダメージではないようだが、ぶつかった二頭のアスタロトや周辺のアスタロトは何事かと動きを鈍らせた。


 コアたちも一体何が起きたのかと動揺する。




 そんなコアたちを双眼鏡を使って見ていたサラも驚いた。

「なになに⁉アスタロトがアスタロトに頭突きして倒れたよ⁉」


 ずっと〝フルート〟を使っていて疲労が溜まっているが、それを忘れるくらいの出来事だ。ルカとエレナも代わる代わる双眼鏡で戦況を見る。

 そんな三人に付き添っていた七草学園の年長組は、後ろからやってきた加勢に声を弾ませた。


「流未先生‼」

「日色!どうしたの⁉」


 少年少女の安心と歓喜と声に引っ張られて、エレナも振り返った。


 流未と呼ばれた、黒髪を一本にまとめて結う若い女性と。

 背がすらりと高く、幼さが残る少年と。

 流未と同じ白衣に似た上着を来た数名の支援員と2名の軍人。

 そして。



「…ソー…マ」



 日色とカヴェリに支えられている、顔色の悪いソーマがいた。



 サラも嬉しさと心配を交えながら「ソーマ!」と声を上げた。

 隣のルカはほけっとして二人の視線を追いかける。



 柔らかそうな金髪にペリドットのような瞳。

 童話の王子様然とした外見と、どこか初老のような落ち着きを持つ風貌が印象的な男性だ。

 ルカは首を小さく傾げて…他人なのにそうではない感覚を不思議に思った。



 エレナたちのもとへ流未たちが辿り着くと、彼らは自分たちで持ってきた双眼鏡と〝ジャルヘッド〟が照射する世界化の映像を照らし合わせる。



「今の信号は?」

「悪くなかったようです。信号をぶつけた3秒間、アスタロトと思われる〝船〟が確認できました。信号のタイプは"送信"でしたので、こちらが本体で間違いありません。

 …まあ船とは言っても…みたいな形状でしたけど」


 流未と支援員の会話を聴きながら、ソーマは日色に支えられて地面に膝をつく。

 とっさにソーマに手を添えるエレナを、ソーマはじとっと見てから、流未達にアドバイスをする。


「先にアスタロトの姿を捕捉するための信号が必要だ。疑似的に機械から発する信号をいくつか作ってみてくれ。できれば一番に追いかける種類の特定も」

「人間の生体信号ではなく?」

「コアたち曰く、アスタロトは金属や燃料をより好むらしい。それに反応すればエンドレスシーの海域に〝波〟が立つはずだ。それを解析して洗脳信号を俺が作ろう」

「分かりました。

 陽動に使う信号の操作。

 アスタロトの波の追跡・捕捉。

 あとは洗脳信号を解体された時に備えて身代わり振動の生成を私たちが担当します。

 … 陽動自体は時間稼ぎの囮信号です。アスタロトがどれだけ海域を広く使えるかは未確定ですが、作業を始めてから10分弱だと思っていて下さい」


 具体的な役割分担をまとめ、流未の指示に他の支援員が頷いて作業を始める。

 ソーマにも照射型のパソコンが渡される。


 忙しそうな彼にエレナはおずおずとしていたが、「…傷は大丈夫?」と尋ねた。

 すると、ソーマはすっと静かにエレナの額に手を伸ばして軽くデコピンをした。


「いたっ」

「こんな所にいるとは思わなかった」


 エレナはおでこを押さえながらちらりとカヴェリを見ると、彼もさすさすと自分の額をさすっていた。すでにやられた後らしい。


 なんて言ったらいいのか…困っているエレナを見て、ソーマは少し表情を和らげた。


「…すまない。少し冗談だ。…現状を見ればサラとルカが必要なのは分かる。そこに君がいないわけがない。

 でも心配したから。ちょっとだけ怒りたかったんだ」


「…うん。怒るだろうなとは思ってた。だからごめんね。…怪我は?」


 エレナの殊勝な態度にソーマの表情はいつも通り柔和なものに戻った。

 だが彼女の質問には答えず、彼の視線はルカに移る。

 ルカはきょとんとしながらも、ソーマのことをじっと強く見つめている。

 ルカとは赤ん坊の頃以降だ。初めましてと言っても過言ではない再会だが、ルカからその言葉は出なかった。


(…可愛かった頃のティヤそっくりだ)


 なんてティヤ本人に言ったら彼はやたら怒る。

 「俺は永遠に可愛いんだよ‼」と全力で言うものだから、よくスラと呆れていたものだ。


 愛しくて幸せな思い出を胸に抱いて、――ソーマは信号演算へ集中した。


 一斉に始まったなにかの作業に、エレナたち七草学園の生徒が目を点にしていると、カヴェリの隣にいた日色が拙く説明した。


「や、俺も理解はしてないんだけど…。

 アスタロトって実はAIなんじゃね?って話になっててさ」


「え⁉なにそれ⁉生き物に見えるんだけど⁉」


 ぎょっと声を上げたのは七草学園の年長組だ。

 生き物が自発的にエンドレスシーを使うような芸当はできないと理解しているが故の反応だ。

 だがそのあたりの知識がまっさらであるエレナやカヴェリは泥蛇を知っているので、それに近いのだと腑に落ちた顔になった。


「あ。アスタロトがAIならエンドレスシーから攻撃してみようってことね?」

 エレナとしてはイングが泥蛇と戦っていたイメージと繋がり、それを人の手でやるのかといたく感心した。


 エレナの簡潔な結論に年長組はやはりあり得ないといった顔だ。

 日色が頭を掻きながら唸る。


「んーまぁしっくり来ないとは俺も思うんだけど。

 でもエンドレスシーに姿があるってのはさっき証明できたっぽいよ。

 陽動で使う簡単な信号をぶつけたらさ、それを追いかけてアスタロトは動くじゃん。動くってことはエンドレスシーの海面が揺れ流んだって。

 んで、位置を捉えたらー…なんだっけ…

 あれだよ。今はエンドレスシーで迷彩服着ている状態だから見えないわけで。

 それを破いて裸にしてちっさい穴開けて、海に戻ろうとする寄生虫入れて海に誘導するみたいな感じ」


「ねぇ信号生成と解体は習ってたよね?命令コードは難しいから洗脳信号が難しいのは分かるけど、それを寄生虫に例えるのはやばいよ」


 日色なりの解釈に後輩である彼らはギ、と少々厳しい目つきで突っ込んだ。

 日色は眉を八の字にしてしょぼんとする。


 だがその寄生虫…もとい洗脳信号がうまくいけばアスタロトの侵攻を止められる。


 コアたちが戦うアスタロトは全部で10頭。

 アスタロトの一進をなんとか防ぐ中、内2頭がぐらぐらと頭を揺らして海面の方を向いた。

 ソーマたちの作った洗脳信号が届いている反応だ。


 流未がそれを確認しながら〝トンボ〟を使ってモールス信号をコアたちに送るよう、生徒たちに頼んだ。



 光を受け取ったコアは点滅を読めないペトラに伝える。


「ペトラ‼ソーマたちがアスタロトを洗脳する信号を作ってるらしい!それまでもう少し頑張れ‼」


 他の軍人たちは点滅を解読できるので、ソーマたちがアスタロトに与える陽動を踏まえて連携を取り直した。

 ペトラは顎から滝のように流れる汗を拭いながら苦い顔を浮かべる。


「コア!正直に言っていい⁉」

「なに!」

「時間稼ぎもすでに厳しいよ‼」

「分かってる‼」


 耐え切れずに苦言を叫ぶ相棒にコアも声を掠らせて同意した。

 だが微かに良い兆候が見える。

 アスタロトはソーマたちのテスト信号を浴び、鬱陶しそうに頭部を振っている。

 その隙を突いて銀糸のティヤとスラが致命傷を負わせていく。


 それを見て、コアはかすかに生き残りへの希望を強くさせる。

「大丈夫。これ以上アスタロトが増えなければ――」


 ペトラを元気づけようとしたコアだったが、その言葉はかき消された。




 -――ドゥオオオオッッ‼

 とアスタロトが衝撃波を突然放った。

 それも。


 仲間のアスタロトにぶつけて吹っ飛ばしたのだ。



 衝撃波をぶつけられたアスタロトは限りなく直線状に近い勢いでソーマたちの方向へ飛んでしまった。



 いち早く気が付いたのは銀糸のティヤだ。

 突風の如く走り抜け、壁のような巨大な蝶番の盾を編み上げた。


 編み上げたと同時、アスタロトが直撃し、銀糸のティヤが全身全霊でなんとかアスタロトの軌道線を変えた。

 だが、その殺人的な衝撃により銀糸のティヤもボールのように飛ばされる。



「パパが‼」



 荒れ狂う風圧に髪を押さえながら、森林の茂みに消えた銀糸のティヤをサラが叫んだ。

 思わず身体を上げたサラを、ソーマが抱えて下がらせる。


「衝撃波の照準をこっちがずらしたらそれに合わせてわざわざぶつかりに行った!」

 エンドレスシーでアスタロトを見ていたソーマや流未は、衝撃波をアスタロトにぶつけたのではなく、アスタロトが衝撃波にぶつかりに行った動きを目の当たりにした。


 流未は意味のある死なら厭わないアスタロトの性質に身を震わせた。

(基本、無駄死にになるような捨て身はしないけど、こちらを攻撃するためなら躊躇わないのね‼︎)


 衝撃波の当たる角度を計算してアスタロトはソーマたちを潰すつもりだ。

 次々とアスタロトが動き始める。


「子供を先に‼︎‼︎」

 ソーマと流未が護衛でついてきた2人の軍人にサラとルカ、そして七草学園の生徒たちを頼んだ。

 沈没都市出身の彼らは一瞬だけソーマや流未たち支援員が優先ではないかと迷ったが、自分たちがなぜ内陸に残ったのか、その答えが迷いを消し飛ばした。

 すぐさまアセンションを服用し、足の速いグレーハウンドの力を借り、子供達を一度に抱えた。


「ママー!ソーマー!!」

「待ってよ‼︎俺たち自分で走れる‼︎だから…ッ、先生たちを連れてってよ‼︎」


 サラや日色たちが泣いて嫌がったが、軍人たちはソーマたち大人を置いて駆け出す。

 疾風の如くアスタロトからーーそしてソーマたちから離れるサラたちは、彼らに迫る複数のアスタロトを目の当たりにして叫ぶ。



 ソーマたちも走るが、所詮人の速さでは到底アスタロトには敵わない。



 コアとペトラは銀糸のスラに続きながらアスタロトを食い止めようアスタロトの背中を追いかけた。


(-――だめだ…だめだ‼追い付かない‼)


 心の中で叫んだのはコアだけではない。

 銀糸のスラとどんどん離されるペトラもまた、体力の限界が目の端に涙を滲ませていた。


(スラだけじゃ全部はとめられない‼私たちも抑えなくちゃいけないのに‼)


 ソーマたちを追わずにいる3頭のアスタロトは実働部隊が懸命に侵攻を妨げている。

 彼らの助力なんて望めない。

 残りの6頭は全てソーマたちを追いかける。



 銀糸のスラがいち早く先頭のアスタロトに追い付いた。

 槍を撃ち込み、断絶に長けたハルバードの刃で一頭を切り裂く合間に他が通り越していく。スラなんて気にもしていない。


「-――ソーマ‼みんな‼︎‼︎」



 コアとペトラが叫んでも。

 その声は力にならない。


 アスタロトの猛攻がソーマたちへ届くーー……




〈おっと。丁度良いところに落ちていて助かりました。〉



 ドドドドッッ‼と土が波のように割りながら。

 アスタロトの猛攻とソーマたちの間に割って入った、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 驚いたアスタロトたちは一瞬動きを止める。

 その隙に、ソーマたちの味方をするAIは準備を終わらせた。



〈〝ユングヴィ・エプレトルァド〟-――発射ァ!でございます‼‼〉



 よく聞けば心地よいくらい低音の男性の声色だが、話し方が姦しいせいでふざけた人格に聴こえる。

 そんな。


 Fageにて最も重い罪を背負ったAIが、衝撃波に吹っ飛ばされたアスタロトをエンドレスシーで乗っ取り、自身の必殺技を現実世界のアスタロトに向けて放った。



 アスタロトが持つ衝撃波とは異なる。

 ---‐ヴン―――ッッッ‼

 と鼓膜が握られるような強い圧力が空気を震わせ、ソーマたちに迫っていた6頭だけにとどまらず、この戦場にいた全てのアスタロトを粉々にしていった。



 それも、コアやペトラ、軍人たちを器用に避けており、赤黒い霧に変わったのはアスタロトだけだ。



 器用でいて強力な攻撃に、その場にいる全員が言葉を失う。

 コアとペトラが遅れてソーマたちのもとへ辿り着き、乗っ取られたアスタロトを見上げた。

 もともとソーマたちを潰すために自ら衝撃波にぶつかった個体だ。ボロボロの巨体から放たれた衝撃波は己の身体をも崩壊させている。他のアスタロト同様、赤黒い霧となって散り始めた。


 呆然とする状況からいち早く我に返ったのは軍人に連れられた子供達だ。

 軍人の腕から嫌々と抜け出し、ソーマたちのもとへ戻る。



「まさか…イング、なのか?」

 コアが震える声で尋ねると、返答はソーマの胸あたりから聴こえた。


〈その‼通りでございます‼‼〉


「うわ⁉」


 ソーマ以外の全員が声を上げて驚き、ソーマに視線が集まった。

 彼はアスタロトの襲撃に流れた冷や汗を拭い、服の中から黄色のボールを取り出した。

 彼の両掌でふわりと羽を広げれば、それがセキレイインコだと分かる。だが横たわったままだ。


〈河童さんたちがアスタロトの本体をエンドレスシーで見つけてくれたおかげで乗っ取りが成功したのです!

 本体の解析と乗っ取りを一度に行える余力はありませんでしたので助かりました!

 まぁ、アイアムマイミーの活躍はこれで最期となりますがね。〉



 エンドレスシーでは、海面上を浮かぶ機雷なような物体が崩れていた。これはエンドレスシーにあるアスタロトの本体だ。

 その中でイングが乗っ取ったアスタロトもまた、ボロ、ボロ、と炭のようにエンドレスシーの海へ落ちる。

 機雷から伸びる鎖は海面を引きずっており、その鎖の近くにはイングの本体である小さな笹船が揺れていた。

 アヌビスが撒き散らしていた花びらや葉っぱにはデータを残すことができる。イングは自身の人格と必殺技と少しの演算能力を葉っぱに乗せて、なんとかここまで辿り着いていた。


 現実ではアスタロトの赤黒い灰が花びらのように舞う中、イングはぱたぱたと羽を小さく動かした。


〈おやおやおや。みなさん、泣いているんですか?アイアムマイミーはAIですよ。

 同じものを流せない相手のために流すには勿体ないものです。〉


 イングを知るコアやペトラ、サラやエレナ、カヴェリが目を潤ませ、耐え切れず零していた。

 そんな人間たちを元気づけるように、イングはさいごまで賑やかだ。


〈ご安心くださいな!イングがいなくとも優秀な支援員の人たちがみなさんを支えるのです!現にアスタロトの洗脳信号は完成しました!

 他の〝エルー・ザ・エフ〟にも洗脳信号を共有して内陸から追い払うのです!

 まさか内陸に残された人たちがアスタロトと対抗できる手段を見つけるなんて、きっとキャプテンだって想定してなかったですよ!

 これは超すごーちぃことなのです‼‼〉



 イングの明るく元気いっぱいの声とは裏腹に、流未たち支援員や軍人は苦い顔だ。

 支援員の一人が流未に耳打ちする。

「我々を誘導してくれたAIですよね?」

「…ええ」

「ただでさえエモーションコピーを獲得した危険なAIなのに、これは…」

「理念から完全に外れて稼働できるAIが誕生することになるわね」

 流未の呟きが聞こえた軍人がやってくると、さらに声を小さくして尋ねる。

「…今は〝MSS〟がいません。万が一、このAIが理念から外れた状態で自己進化したら、止められる方はいらっしゃいますか?」

「いないわ。ランクステラがいたとしても」

 流未はソーマの様子を窺うように視界に入れ、軍人の問いに断言する。

 

 このままこのAIが稼働し続ければ〝MSS〟に至る強力なAIへと生まれ変わる。

 …そうなればそれはもはやイングではない。

 エモーションコピーを獲得したところで、イングは所詮〝MSS〟の船員AIであることには変わりなかった。「人々の未来を繋げる」という理念が稼働のベースにありさえすれば、どんな壊れ方をしてもFageのAIから大幅に外れることはない。

 だが。

 遂げるところまで遂げたAIならばあらゆる禁則事項を敗れる。


 〝MSS〟が理念を遂行するために禁じたはずの、「価値ある選択になるならば、人を殺しても構わない」という思考と行動を可能にしてしまう。

 

 イングの危険性を冷静に見る流未たちの表情を分かっていても、コアはソーマの手で尽き欠けの燃料でしゃべる仲間に涙した。

 コアたちにとってイングにどんな危険や脅威が孕んでいたって、不利な戦いを共に乗り越えてきた仲間であることには変わりないのだから。


「…イング」

〈はい!なるべく手短にお願いしますね!残り時間は秒刻みなのです‼〉

「イングがいてくれたら心強いんだ。…いなくならないでほしい」


 ソーマの肩に額をつけて俯き、泣いてそう零す彼に、イングは言葉を失った。

 コアの後ろで、嗚咽でなにも言えないペトラを〝見つめる〟。

 口元を押さえながら膝を地面につけて泣くエレナを〝見つめる〟。

 母と一緒に崩れ落ちているサラを〝見つめる〟。

 大泣きするカヴェリを〝見つめる〟。

 そんなカヴェリにつられてもらい泣きしているルカを〝見つめる〟。


 そして。

 イングとして生まれてから共に過ごした戦友を。



 イングは自分が見つめた映像を、エンドレスシーで真珠のような信号に変えた。

 真珠を笹船に乗せてしまえば、重さで船体に水が入り込む。

 使えもしないデータを乗せるだけで沈むこの身体はゴミも同然だ。

 でも。

 真珠を乗せた笹船はキラキラとエンドレスシーの海面を光らせて、妖精の宝物を運ぶ小さな船みたいだった。


 一度も自分の声が人間に届いたことのないイングはそれでも。

 心からの激励を仲間へ贈った。



〈あなたたちとの旅路はこの超すごーちぃAIに死力を尽くさせました。

 そんな旅路が泥蛇の計画を半壊させるに至ったのです。


 この旅路は死の名前に勝る生き様です。

 それは理不尽にだって勝つ力となるでしょう。


 毒を吸った真似事の心ですが、みなさんが育ててくれたおかげでひとつ、願い事ができたのです。


 みなさんの未来に溢れんばかりの笑顔がありますように。

 ふふ。笑顔はなにものにも勝る宝なのですよ。〉



 ぱたぱたと動いていたイングっ子の羽がゆっくりと下がる。

 イングが乗っ取っていたアスタロトの身体全てが赤黒い花びらとなって消えた。


 それと同時、ソーマの身体がふらついた。

 驚いてカヴェリとコアが支え、そのまま地面にゆっくりと寝かせる。

 彼の身体には全く力が入っていない。

 流未たち支援員は怪我ではないかと急いで救急キットを準備し始める。



「ソーマ‼どうしたんだよ‼」

「ソーマ!やだ、なんで⁉」

「しっかりして‼ソーマ‼」



 コアたちが叫ぶように声をかけても、ソーマの口は動かない。

 大丈夫だ、の一言くらい言いたかったが、糸が切れたみたいに身体は言うことをきかない。

 …本当に、糸で繋がっていた状態だったのだと、ソーマは我が事ながら感心した。


 奇跡は終わった。

 あと使える身体の器官は目と耳だけだ。



(…あぁ…なんて贅沢なんだろうか…)



 心配をかけて申し訳ないと思う反面。

 自分の目にはコア、ペトラ、エレナ、カヴェリ、サラ、ルカがいて、筆舌に尽くしがたいほどの幸福を感じた。


 閉じかけた瞼だったが、ソーマは死にかけていることを忘れて…驚きすぎて目を見開いた。



 銀糸のティヤとスラもソーマのもとへ集まっていた。

 表情のない人形でも、ソーマの目には心配そうな顔に見える。



(……そうか。俺の方にいたのか…)



 ずっとずっと。

 傍にいたのだとしたら。


(…ああ…悪いことをした。きっととても心配をかけさせてしまったな。

 ずっと俺がお前たちを心配する側だったのに…)



 身体が動いているわけではないけれど、心の中で手を伸ばせばティヤとスラが駆け出す。

 わんぱくで一番手のかかった頃の双子だと思ったら、腕の中におさまると二人の姿は15歳くらいに変わる。

 抱きしめているような、抱きしめられているような、暖かで優しい体温を感じた。

 



 気が付けば目は閉じていて、大切な仲間の声が遠くなっている。

 そんな満ち足りた声の中に、もう一つ、大切な仲間の声が聴こえた。



〈船員番号:7 イング。

 キャプテンの命令を実行致します。

 …とはいっても、これはイングの方針でもあるんですがね。

 すごーちぃでしょう、キャプテンは。〉



(…いいや。()()()()()憎いほどくえないAIだよ、〝MSS〟は)



 〝MSS〟はイングがどう転んだとしても、支援員たちが恐れる事態にはならないように仕組んでいたとソーマは気づいていた。

 イングの「真似事の心」が育ち切らなければイング自身がここで沈む選択はしなかっただろう。だが〝MSS〟の命令は強力だ。

 恐らくはイングが現象毒に影響を受けた時から、〝MSS〟はイングに命令を仕込んでいたのだ。

 本当の意味で危険なAIになる前に始末できるように。


 結果として、育ち切ったイングの「真似事の心」は選んだ。

 仲間を大切に思うイングのままで終わることを。


(実際、どんな命令なのかは分からないが…相変わらず、どこまで知っていて停止したんだろうな)


 イングが悪戯に言えば、ソーマは少し皮肉に答える。

 さいごはいつもと同じ会話だ。


 ソーマの耳がコアたちの声を拾えなくなる頃には、エンドレスシーのイングの笹船も真珠を乗せて真っすぐと底のない海へ落ちていった。




―-----------――

 アスタロトが海を目指し始めた。

 それは日本内陸だけではない。

 アスタロト同士が情報を共有し、エンドレスシーで捉えた〝獲物〟を求める。


 アスタロトが最も反応した信号は〝資源ごみ〟から発するものだった。

 この短時間でそれを見つけた流未たちはすぐに他の〝エルー・ザ・エフ〟へ情報を共有する。


 〝ラダル〟でなんとなくそれを感じ取って、マナは感心していた。



 いずれアスタロトはこの疑似信号を解析して無効となるが、十分すぎるほどの時間稼ぎとなる。

 内陸から全てのアスタロトを追い出すまでの。




 深海から。

 沖から。


 無数のアスタロトがマナのもとへ集まってくる。


 マナは海で〝ヴィアンゲルド〟の金糸で鉄資源のゴミを絡めとり、〝カタム〟で形状を小さくしてさらに大量に集め、〝エア〟で海の圧力を通り抜けさせて自分のもとに集めていた。



 アスタロトは自分たちが最も好む餌を追いかける。

 それが必然的に流未たちの疑似信号を〝真実〟にさせた。

 おかげで吸い上げるようにアスタロトが集まってくる。



 少し重さのある夜風が彼女の髪を揺らし、銀の瞳はうっすらと光を帯びた。

 そんな瞳に時折青い光が過り、蛍ように踊る。


 夜の海で他に見えるものがない中、そんな光を足元から纏わせているマナは神秘的な海の魔物みたいだ。

 人間の枠から徐々に外れている彼女のの耳にある〝音〟が届いていた。


 これは以前潜水艇〝イング〟で聴こえたものだ。


「…これ、エンドレスシーの音か」


 〝フラム〟が強く起動したことでより鮮明に情報が伝達される。

 すると、エンドレスシーからあの時と同じ問いが投げかけられた。



〈君は自分の身体のなかみはなんだと思う?〉



 あの時はイングの声だった。

 だが今は違う。中性的で性別が分からない声だ。


 〝相手〟の正体も分かっているが特に驚きはなかった。


 マナは胸に手を当ててかすかに微笑んだ。


「困ったなぁ。色々ありすぎて一言で答えられないね。なんて言ったらニーナみたいでなんか悔しいな。


 …たくさんもらったから。

 怪物になっても忘れないかけらを、たくさん。


 不思議だな。

 後悔の方が多いはずなのにさ。

 進む先のあるサクタを死なせて。

 こんな私のためにキースを死なせて。

 守りたいものがあるあの人たちを死なせて。

 大切な人に道は一つじゃないんだと伝えられなかった。


 やりたいことが何一つできなかったはずなのに、今思い出すのは貰ったものばかりなの。

 きっと、これが…」



 〝相手〟から特別な反応はない。

 なにもしないと宣言していたから、その通りにしているみたいだ。

 この先、その宣言が覆ることはないのだろう。


 マナは感心して呟いた。


「清々しいね、あなたは」




 マナの周囲は青い蛍ではなく、〝ブリッツ〟の激しい閃光が浮かび始めた。

 ――来た。Nageの怪物が大波を作って。


 どんな猛毒の洪水も。

 絶望的な因果も。

 かつて打ち払ってくれた機械仕掛けの針路はなにもしてはくれない。


 ここに立つ己の一歩が頼みの綱だ。


 できることを全てやり切るその一歩は、怪物へとなり果てるまでの一歩と同義だ。


 海を真っ白に照らす雷光が夜を切り裂き、ひとかけらの人間性を残したマナと怪物の進軍が衝突した。











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