宰相の息子マット・ファイアストン
ロバートには、「好きにしていい」と言われている。
(好きにするって?)
ふと考えてしまう。
ダルトリー王国に来てから、二、三日は無為にすごした。文字通り、なにもしなかった。厳密には、ボーッとしたり料理をしたり読書をしたり、王宮内の森を探検したり、ロバートの愛馬サンダーに会いに行ったりした。
が、それもすぐに飽きた。飽きた上に、退屈し始めた。
森で畑を作ろうかと思った。が、それも以前と変わらず、それだったらここにやって来た意味がない気がする。
ロバートの役に立って恩返しがしたい、という望みとはかけ離れている。
そんなとき、そのロバートが王宮を離れなければならなくなった。わたしの祖国での復興支援や、いまだ暴れまわっている反乱軍や暴徒鎮圧の指揮を執る為である。とはいえ、さほど長期間ではないらしい。
その間、王太子妃であるわたしが留守を守ることになった。
というわけで、ひとりになったわけだけど、みんなが放っておいてくれない。とくに国王と王妃は、なにか理由をつけてはいっしょにすごしたがる。それから、執事長や侍女長も。小言や嫌味を言いつつ、絡んでくる。
宰相もまた、なにかにつけ攻撃してくる。とくに政治的なことに首をつっこんでいるわけではないのに。もちろん、いまのところは、だけど。
すでに資料を取り寄せ、自分なりに調査を始めた所である。
そんなふうになんやかんやと忙しくしていると、あらたな刺客が現れた。
宰相の子息で、いまは外交官をしているという。別荘に行っていたらしく、その日初めて会った。
名をマット・ファイアストン。父親と違い、ふさふさした金髪に澄んだ碧眼を持つ美男子である。
彼の存在は知っていた。
ロバートからきいていたから。
「ユア。マットには気をつけろ」
ロバートは何度もそう言っていた。
そのマットにやっと会えたわけである。
とはいえ、出来れば会いたくはなかった。
どうせ鬱陶しいことこの上ないだけだろうから。
「はじめまして、王太子妃殿下。マット・ファイアストンです」
場所は庭園。陽光溢れる中、キラキラ輝きながら現れたマットは、美と健康を象徴しているかのよう。ついでに、爽やかさもまき散らしている。
「はじめまして、マット」
今朝も厨房でスイーツ作りに精を出していた。最初のぶちかまし以降、宮殿内の人たちの為にスイーツ作りをしている。
働いてくれている人たちの為のお茶の時間を設けた。ひきこもる前に先進的な他国の資料を読んだことがあり、そのときに労働者についての権利を知った。その中に、休憩や休暇や福利厚生といった労働者が得られる、あるいは与えなければならない当然の権利のことが書かれていた。それを思い出し、さっそく取り入れたのである。もちろん、国王の許可を得てだけど。
許可を得てお茶の時間を設けることが出来たので、そのお茶の時間に提供する為にスイーツを作っているわけである。それだけでなく、厨房の棚にクッキー缶を設置し、だれでも小腹がすいたらつまめるようにしている。
現在、スイーツだけでなく、料理もいろいろかえていっている。もちろん、料理長といっしょに。祖国の皇族ほどではないけれど、王族の人たちも運動不足や偏食によって健康が害されている。それを解消する為、なにかしら手を打とうというわけ。
それはともかく、マットと握手をしながらキラキラ光る彼を見上げ、あらためてこの国には美男子や可愛い系が多いのねと実感した。
親しくなったのがごつい系のロバートだったから、余計にそう思うのかもしれない。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ありません」
「わざわざありがとうございます。まだここに来たばかりでなにもわかりません。なんでも外交官をされているとか。いろいろ教えていただければ、心強いですわ」
わざと宰相の息子であることには触れなかった。
親の七光りを示したい者と逆にそれを嫌う者がいる。
あの宰相の息子だったら、前者の可能性があるけれど、なんとなくそうではないような気もする。
「おれもまだまだ勉強中なのですが、もちろん、あなたのお役に立てることならなんでもいたします」
どうやら、わたしの勘はあたっていたみたい。
(彼は、宰相の息子を表に出したくないタイプのようね)
「マット、ほんとうにありがとう。殿下がデイトン帝国との戦後処理に忙殺されているので、ひとりでどうしようと心細かったところなのです。殿下は、今後本格的に政務にのりだされます。それで、わたしもさまざまなことを学んでおきたいというわけです」
どうしようかと迷ったけれど、わたしに接触してきたマットの真意を探りたくて言ってみた。
これまで、ロバートは将軍という立場上軍務に重点を置いてきた。そのロバートが、今後は王太子として積極的に政務に携わることになる。
そのことは、いまや秘密でもなんでもない。