焔星
「お集まり頂きありがとうございます」
小さな会議室の壇上に田中は立っていた。座席に座り彼の声に耳を傾けるのは、ヒエムス・ヤマト帝国領の重鎮やその使者達だ。
田中は映写機のリモコンを操作した。照明が消え、背後にあるスクリーンに神獣達の写真が投影される。
赤い目をした車ほどの大きさのある黒い犬、エスケレト、グリュプス、サーベラス、ヴォジャノーイ、スクロプ……。
「ヤマト帝国ヒエムス植民地は現在未曾有の危機に襲われています。今御覧頂いた超常の巨大生物がそうであります。彼等は人間の悪意によって操られる存在であり、第○八警邏部隊の壊滅や、エーデルシュタイン邸襲撃事件、総督息女拉致未遂事件で猛威を振るったことは皆様の記憶に新しいと存じます」
「警邏部隊の全滅はどうかしら? 陸軍が体罰問題による犠牲者を怪物の所為にしているだけではないの?」
「言いがかりだ。我が軍に体罰問題などない。確かに過酷な訓練を課すこともあれば部隊秩序を乱す行為には厳罰を処することもあるが、妥当な範囲である」
「自分で言われてもねえ」
「事実だ!」
事ある毎に軍部を罵らねば気が済まない女性議員とそれにいちいち反応する若い軍人が口論を始める。いつも通りの展開だった。
「あー、すみません、話を続けてよろしいでしょうか」
田中の言葉など誰も聞く耳を持たない。これもいつも通りだ。
「やめろ、少尉」
若い軍人の隣に座る隻腕の男が発したたった一言が不毛な言い争いに終止符を打った。よく躾けられた犬のように若い軍人は着席し、気圧された女性議員はそっぽを向いて黙り込む。
「部下がすまなかった、田中君。続けてくれ」
少佐の階級章をつけた壮年の男はヤマト帝国陸軍ヒエムス駐屯部隊の最高司令官である。結果的に引き立て役にされたようで不満はあったが、田中は気を取り直して原稿を読み進めることにした。
だが、まだ一言も発しないうちに制止の声がかかる。
「言っておきますが、予算はこれ以上出せませんよ。前回の会議でお話ししたはずですが」
総督府での財政を一手に握るメガネの男が有無を言わせぬ勢いで割り込んできた。
「既に軍にはテロリストの増加を理由に多数の戦車とテクターの導入資金を提供しました。今度は我々に戦果という形で返して頂く番です。それもなしに次から次に予算を求められては困りますね」
「軍への装備拡充は早計でしたな財務官。最初から我々武装警察にお任せくださればよかったものを」
武装警察の署長が財務官に乗っかるかたちでいつものこき下ろしを始める。つい先日の宝石オークションの事件では、その軍の支援によって部下の命が救われたというのに。
おそらく何をもってしても自らの方針を変えることのないであろう署長の生き様に田中は感動すら覚えた。
だが、呑気に感動している場合ではない。
「これを見ても考え直して頂けないでしょうか?」
田中は映像ファイルを再生する。スクリーンに2倍速で映し出されたのは、サーベラスとスクロプの戦闘シーンだ。
「戦闘に参加した禍啄004のカメラが記録した映像です。音声はありません。この巨大な人型ヘルゲイター、第6号は総督の御息女を拉致しようとした犯罪者が使用したもので、つまり我々の敵です」
ワゴン車が崖に突き落とされたあたりで田中は倍速を停止。通常速度で再生する。
スクリーンいっぱいに一つ目の巨人が映し出される。禍啄のテクターインナーの視点映像だ。まるで山と対峙しているかのようなその巨大感に、聴衆からどよめきが起こる。
「テクター用ハンドガンが通用していない……ッ!」
先程の若い軍人が驚きの声を上げた。その顔からは血の気が引いている。財務官をはじめとする議員達は彼の取り乱しように怪訝な表情を浮かべた。対戦車兵器が通用しないということがどれほど絶望的なことか、軍事に疎い議員達にはわからない。
画面に巨人の持つ棍棒が迫る。急速にズームアウト。禍啄が後退したのだ。だが舞い上がった土煙の中から飛び出してきたアスファルトの破片が、運悪く機体に直撃した。
カメラの映像が天に地にめまぐるしく切り替わり、傾いた状態で止まった。
手前には道路。こちらに向かってゆっくりと近づいてくるスクロプの足が見えた。その後ろには突き破られたガードレールがある。巨人が一歩を踏み出すごとに画面が揺れ、映像にノイズが走った。
「禍啄004はこの時点で戦闘不能。着用士は負傷、気絶しました。ですがカメラの録画は続きます。皆さんに見て頂きたいのは、ここからです」
スクロプの足は動きを止めた。禍啄に背を向ける。
何故? それはすぐに判明した。
ガードレールの向こう、崖の下から何かが滑るように上昇する。
それは、燃え上がる五芒星だった。それは道路の上に移動すると、姿を変えた。
変形した。
全体的な形状としては人に近い。ただし『それ』には2枚の翼と5枚の背びれ、1本の長い尻尾があり、その表面は黄金色の炎で出来た鎧のような外骨格で覆われていた。
体長は20メートルほどだろうか。精度の粗いカメラの映像ではこれ以上のことはわからない。機械とも生物とも判別がつけられない。
「これもヘルゲイターかね?」
「不明です」
スクリーンの中で、炎の巨人はスクロプに対して構えを取る。
* * * * * * * * * * * * * * *
「何だよ、あれは……」
スクロプの戦いを見守っていたランゾウは呆然として言った。
その刹那、炎の巨人が叫んだ。
『彼』の言葉を解読出来る者はいないだろうが、もしその場に居合わせたならば何を言わんとしているかは肌で感じ取れただろう。それは呪詛だった。言語も文化も種族も超越する、背筋が凍るほどの剥き出しの憎悪。
スクロプは棍棒を振り上げ、横殴りに振り回した。だが炎の巨人はジャンプして回避。空中で宙返りをした炎の巨人のかかとがスクロプの右肩に振り下ろされる。
肉が潰れ骨が砕ける音が渓谷に響いた。半身を粉砕されたスクロプは苦痛の叫びを上げる。力を失った腕から棍棒が落下した。
着地した炎の巨人は間髪入れず右の拳を突き出す。拳はスクロプの左脇腹に突き刺さり、背中側の皮膚を風船のように弾けさせた。拳を引き抜くと、炎の巨人はくるりと一回転した。鞭のようにうねった尻尾がスクロプの足をしたたかに打ち、曲がるはずのない方向にへし曲げる。
地響きをあげて単眼の巨人が倒れ伏す。
仰向けになったスクロプの上に炎の巨人がまたがった。サイズ差的に父親に遊びをせがむ幼児のような構図だが、そこに微笑ましさなど全くない。仮面の隙間から覗く昆虫のような目がぐにゃりと細められ、噛みついたものを傷つけるためだけに存在するような乱杭歯だらけの口が三日月を描く。
炎の巨人は――笑ったようだった。
両腕の炎が剣の形に変化する。炎の巨人はそれを滅茶苦茶に突き立てた。スクロプの上半身は刺し傷だらけになる。血は出ない。炎の剣を突き刺すと同時に傷口が炭化するからだ。
ランゾウは周囲を見回す。あれもヘルゲイターなら、デウステイマーが近くにいるはずだ。
しかし周囲に人影はなかった。
いや、見つけてどうする。ランゾウは頭を振る。誰が操っているかなどどうでもいい。あいつがスクロプを解体するのに躍起になっているうちに、この場を離れた方がいい。
ランゾウは千華を抱え上げた。ワゴンが崖から落下したのを見た時に彼女は気絶してしまった。静かでいいが、自力で歩いてくれればもっと助かったものを。
カーブを曲がった時、強いライトが彼を照らした。
「何……?」
「お疲れ様でした。ですがここまでですよ」
眩しさに手で目をかばうランゾウに対して、田中がニッコリと笑う。その後ろには胸部のライトを眼光のように光らせた青いテクターが控えていた。
ランゾウは千華を下ろすと、ゆっくりと両手を挙げた。
その背後で、一筋の光が天を昇っていった。
* * * * * * * * * * * * * * *
田中は映写機のスイッチを止める。スクロプを灰に変えた炎の巨人がまた五芒星型のオブジェに変形し飛び去るところで映像はストップした。
室内に灯りが点る。
「我々はスクロプを打倒したヘルゲイター第7号を『星』と命名しました」
人々は無言だ。スクロプを圧倒するアステリオーの戦闘力か、残虐性のどちらかに呑まれていた。
「アステリオーがこれまでに出てきたヘルゲイター、そしてテクターや戦車と一線を画する戦闘力を持っていることは明白です。早急な軍備増強が必要と判断します」
田中の言葉に異論を唱える者はいない。たった1人を除いて。
「戦力を増加してどうなる相手ではないと思いますが?」
「久下淵監察官……」
久下淵知久監察官――本国から派遣されてきた、オールバックのいかにもやり手といった風情の若者はブランド品らしいメガネを指で押し上げる。
何故か財務官はそれを見て悔しそうに顔をしかめた。メガネ同士何か対抗意識があるのかもしれない。
「私はむしろこう考えています。ヒエムスを放棄するべきだと」
「ヒエムスを放棄だと……?」
「わからんでもないが、緋魅狐様が何と仰るか……」
「そもそも監察官が口を挟むようなことでは……」
列席者達がどよめく中、壇上へゆっくりと歩み出た久下淵はもったいぶった所作で彼等の方を振り返る。ひどく芝居がかった御仁だな、と田中は思った。
「確かに私のような若輩者には差し出がましい発言でした。ですが私もヤマト帝国国民の1人なのですよ。国の未来を憂うのは当然のことです」
一同、無言。
「資源の宝庫、宝の眠る山だったヒエムスはもうない。こんな場所、ただ持て余しているだけの土地ではないですか。原住民も返せ返せとうるさいですし、いっそ売りに出してしまえばいいのです。化物の出る危険地帯というマイナスイメージが根付いてからでは高く売れない。急いで売りさばくべきだ。でなければ、次にアステリオーとやらに襲われるのは我々かもしれない」
「そうだな、君の意見ももっともだ」
あちこちで賛成の声が続く。
「いや、なにもそこまでしなくとも……」
反対するのは武装警察署長だ。武装警察内では『ヒエムスの平和はヒエムス人の手で』をモットーに掲げているが、実際に帝国が撤退し組織が再編されでもすれば、自分の地位が危ういのをわかっているのだ。
だが警察署長の反論は周囲の声にかき消される。助け船を出したのは、意外にも折り合いが悪いはずの陸軍司令官だった。
「しかし久下淵君、反対するわけではないが、現実問題、緋魅狐帝の神託はヒエムス売却を否定していらっしゃるのだぞ。君も知っているだろう」
少佐の指摘を久下淵はこともなげに跳ね返す。
「我々は緋魅狐帝の臣下であっても人形ではない。緋魅狐様がヒエムス売却に反対されるのは結構ですが、そこに住み続けるか否か決めるのは我々の自由だ。皆さん1人1人が自分の意志でヒエムスから離れればよいのです。行動をもって意思表示するのですよ、ここにいたくないと。イヴェールがもぬけの空になれば、緋魅狐様もわかってくださいます」
「――それは緋魅狐様の方針に異を唱えるのと同義。クーデターを持ちかけたと言われても否定出来ませんわよ、久下淵監察官」
そう言いながら会議室のドアを開けて入ってきたのは、鳳千華だった。
「これはこれは千華さん。もう怪我はよろしいので?」
「特に傷など負っていません。お気遣いして頂く必要は何もございません。それより久下淵監察官、私とあなたはいつ名前で呼び合う仲になったのですか?」
千華に睨まれて久下淵は苦笑いを浮かべる。
「これは失礼しました、鳳様」
千華はつかつかと壇上に移動。久下淵を押しのけるように中央に陣取る。それで場の主役は交代した。
「ここにいる田中さんから聞きました。私が総督府で父の代理を務めるようになってから1度、軍から対ヘルゲイター組織の発足とその予算要求があったそうですね。……私、何も聞いていないのですけれど?」
「そうですか? きっと何かの間違いか、失礼ながら総督代理がお見落としをされたのでは……」
「それを聞いて安心しました。正式に議会で否決されたわけではないということですね。では早急に正式な審議をいたしましょう。といっても、今更部隊設立の必要がないとは皆様仰らないでしょうね?」
千華が会議室の面々を睨むように見回す。異議を唱える者はいない。
「部隊設立を前提として、その権限と予算の振り分けについての緊急会議を開きます。まさかまた書類が紛失したり、うやむやに終わったりはしないでしょうね?」
「待ってください」
凶眼と呼ぶに相応しい千華の視線に気圧されながらも、財務官が異議を唱える。
「予算だって無限に湧いてくるわけではないんですよ、総督代理。彼等に屈辱を受けたからと言って、私怨に市民の血税を注ぎ込まないでください」
「私怨? イヴェールの人々をヘルゲイターの脅威から守りたいと思うのが私事ですか? むしろ反社会的なデウステイマーを放置する方が行政を司る者として怠慢でしょう」
「し、しかし、軍にこれ以上力を与えるのは危険過ぎますッ!」
身を乗り出したのはさっきの女性議員だ。
「総督代理はまだ若いからわからないでしょうが、武器を持った男というのは危険な生き物なのです。女を食い物にする事しか考えませんッ!」
「……あんたは我々を何だと思ってるんだ」
先程の少尉が呆れたように言う。ここまで偏った意見を堂々と発言されると真面目に取り合うのが馬鹿馬鹿しくなってくるものだ。
「軍では駄目なら、武装警察でもかまいません」
千華は警察署長を見た。署長は目を逸らす。アステリオーの凄惨な戦いぶりを見た後では強がりを言う気にもなれない。
「陸軍の方々は、まだ戦う気はありますか?」
「……それが仕事ですからな」
少佐が頷く。しかし目をつむったままなのが若干の弱気を感じさせる。
「では対ヘルゲイター機関設立について再審議を行います。見積りは最短でいつまでに出せますか?」
「書類の原本はありますから、なんでしたら明日にでも」
「本日中に」
「……わかりました」
「では、明日の午前10時に総督府にて会議を開きます」
「――日曜日ですよッ?」
列席者全員からブーイングが飛ぶ。会議が始まって以来、列席者――1名除く――の心が初めて1つになった瞬間だった。
「黙りなさい。1日遅れれば1日分、市民の犠牲が増えます。仮病など使ったら総督権限で給料を防衛費に注ぎ込みますので」
「独裁者がいる……」
田中は絶句した。
「ちょ――ちょっと待ってくれ」
久下淵が千華の前に立つ。
「そもそも君にそんな権限はない。総督の娘だからって、総督代理を勝手に務めていいはずがないだろう」
「父からの委任状ならありますけど?」
「職権乱用だッ!」
「職員も黙認してくれましたよ。総督府の職員全員、更迭しますか?」
会議室にいる総督府勤務者全員の顔が引きつる。
「……考えさせて頂く」
「ではこれでおしまいですわね」
久下淵は肩を怒らせて部屋を出て行った。他の出席者もぞろぞろと後を追う。休日出勤が決定して、みんな顔が暗い。
千華は深く息をつく。委任状など真っ赤な嘘だし、本当に全職員が更迭されたら大スキャンダルだ。ヒエムス放棄を強行させる口実にまではなるまいが、父に汚名を着せるところだった。
そもそも久下淵が言ったように、勝手に父の職務を代行したこと自体まずかったのだ。たとえ委任状が本当にあって、それが有効だったとしても、娘に仕事を替わってもらう父親なんて不名誉極まりないではないか。
そしてそれ以上に、自分に代役が務まるのか。大切な人をのこのこ危険に巻き込んでしまったうっかり者の自分に。
皆が父を無能と蔑むから、自分が父より有能なはずと勝手に思い込んでしまった。自分が父と同等かそれ以下である可能性だって充分にあり得るというのに。もしかしたら父親の味方のつもりで、その実、最も父を見下していたのは自分なのかもしれない。
――ごめんなさい、お父さん。
窓ガラスに映る夜景を見つめながら千華は呟く。
――でも、今あなたは何処で何をしているの?
千華が救出されてから今まで、父は家にも帰ってきていない。




