臨戦
時間は、アステリオーがスクロプを倒した直後にさかのぼる。
○△□は目を覚ました。凍った湖に隣接する砂地の上に彼は横たわっていた。むっくりと上半身を起こしたところで、彼は違和感に気付く。
痛みが消えていた。
あれだけ悲鳴をあげていた身体はすっかり健康な状態に戻っている。まさか天国に来てしまったのか、とか、今までのことは全て夢だったのか、とか、そういう可能性も考慮したが、最終的にそれらを却下したのは、手の甲にこびりついた血の痕を見たからだ。
こめかみに手をやる。傷はない。しかし爪でひっかくと乾燥した血液がぱらぱらと零れて落ちた。怪我をしたのは夢ではないし、天国にしては迎え入れが杜撰ではないだろうか。
少なくとも生きてはいるはずだ。寒さは感じるし、自分の手足は青く光ってもいなければ透けて見えたりもしていない。
周囲を確認。
左右に1人ずつ、人が横たわっていた。
1人は誘拐されていた栗色の髪の女性――丑峰貴咲だ。手錠はもう無い。目を閉じて静かに横たわっている。呼吸に合わせて上下する豊かな胸。相手が眠っているのをいいことにうっかり触れてしまいそうになり、○△□は意志の力を総動員して顔を反対側に向けた。
反対側に寝転がっているのは禿頭の見知らぬ男性であった。服装はワゴンの中にいた不気味な男と同じだったが、顔は似ても似つかない。ごく普通の顔だ。
風が吹いた。
貴咲が寒そうに身を縮こまらせる。○△□は上着を脱いだ。しかし脱いでみると泥まみれでおまけに獣臭い。相手が寒がっているとはいえ、これをかけるのは逆に嫌がらせにならないだろうか?
「これを使うといい。というか、起こした方がいい」
いつの間にか、見知らぬ男が起き上がっていた。着ていたジャケットを○△□に突き出す。
「あ、ああ、ありがとうございます」
○△□の返答に対して、男は何故か意外そうな顔をした。
「……礼なんかいい。あ、あと、今度から外に出る時はもっと着込んでおくんだな。街中ならまだ暖かいが、ここでそんな軽装じゃ風邪をひく」
男が言い終わるのと、○△□が大きなくしゃみをするのは同時だった。○△□は慌てて泥だらけの上着を羽織り直す。
振り返れば、男は森の中に入っていくところだった。声をかけたが無視して去って行く。追いかけるか、と立ち上がった○△□だったが、男の姿は既に鬱蒼と生い茂った木々の向こうに見えなくなっていた。
「あれ……?」
貴咲が目を覚ました。不安げに周囲を見回し、傍らに立つ○△□に気がつく。
起き上がった貴咲を見て、○△□は唾を呑んだ。
――似ている。
長い髪、と顔の輪郭、豊かな胸、それくらいしか共通点はなかったが、○△□の単純な脳味噌はそれだけで彼女にクズノハを重ねてしまっていた。
朦朧とした意識で2人を混同したのも、当たり前のことだったのかもしれない。
「あの?」
貴咲が首をかしげた。○△□は我に返る。
気がついたんですね、お怪我は――などと当たり障りのないことを言おうとした○△□だが、何も言うことが出来なかった。貴咲が突然飛びついてきたからだ。
肩を掴まれ、美女の顔が目前に迫る。少年の顔が真っ赤に染まった。
「チカちゃんは無事なんですか!?」
「え、チカ……?」
「チカちゃんに何かあったら、私……!」
貴咲の目から大粒の涙が零れ始めた。○△□は困惑する。降神師としての技術なら幼い頃から叩き込まれてきたが、泣きじゃくる年上の女性をあやす手管はその中にはない。
たぶん、力強く抱き寄せて、何も心配はないとでも囁けばいいんじゃないかと思う。テレビでそんなシーンを見たような気がする。でもテレビの主人公は○△□よりずっとハンサムで背丈が高かったし、○△□がそのままやってもサマにならないだろう。服も汚れきっているし。第1、現実でそれをやったら後で痴漢扱いされたりしないだろうか。
○△□が考えあぐねているうちに、貴咲はすっくと立ち上がった。
「あの、お姉さん、どこに?」
「私、知り合いを探してきます」
「ちょっと待ってください! あなた、此処がどこだかわかるんですか?」
貴咲はもう一度周囲を見回す。
「いいえ」
「だったら、闇雲に動き回っても……」
「救助のアテがあるんですか?」
「……いいえ」
だったら、此処に座っていても座して死を待つだけだ。夜になって気温が下がりきったり吹雪が来たりしないうちに移動した方がいい。
○△□は湖の向こうに立つ崖を見る。その上にある半壊したガードレールには見覚えがあった。
自分達はあそこから落ちたのか。落ちて命があるのが信じられないくらいの高さだった。それにどうやってこちら側の岸に辿り着いたのか。それに傷ついた身体が回復しているのも謎だ。
やはり、あの男を呼び止めておくべきだったか。
「移動しましょう、都市部はあっちです」
ガードレールの位置からイヴェール市街のある方向を特定し、そこで○△□はあの男が消えていった方向が都市部でもなければ隣のドーム都市でもないことに気付いた。
――何者なんだ、あいつは。
「あの、私、丑峰貴咲です」
「童嶋○△□です」
2人は歩き出した。会話がほとんどないのは、体力を温存するべきだという暗黙の了解があったからだ。一抹の気まずさはあったが、それを差し引いても○△□はある種の高揚感を抑えきれないでいた。
我ながら現金なものだ、と思う。しかしこれはクズノハへの裏切りにならないだろうか。いや、裏切りも何も丑峰さんと俺はただの他人じゃないか、ちょっといいなと思っただけで裏切りになるとしても、此処で彼女を突き放して1人で遭難しろとでも言うのか。
とりとめのない思考が○△□の脳内を駆け巡っていった。
幸いにも半時間後、2人はランゾウを護送中の田中達によって発見され、総督代理誘拐未遂事件は一応の解決を迎えることとなる。
鳳千華が事件の報告会を兼ねた予算陳情会議に乱入し、その強権を行使したのは、それから3日後のことである。
ヤマト帝国陸軍ヒエムス駐屯基地、取調室とプレートのかかった小さな一室にランゾウはいた。粗末なパイプ椅子に手錠で繋がれた彼の前には、泣く子も黙るような強面の尋問官が睨みを利かせて座っている。
「てっきり鞭でも打たれながら問い詰められるのかと思ったら、まるで刑事ドラマみたいなところに連れてこられたもんだ。最近の軍隊ってのは随分と日和ってるな。人権委員会が怖いか?」
「昔が懐かしけりゃ今すぐてめえの懐古趣味に付き合ってやってもいいんだぜ、ええっ、三井蘭蔵さんよ。ヤマト帝国兵の面汚しが」
「なんだ、自己紹介は要らねえか、助かったよ」
三井蘭蔵――ヤマト帝国陸軍の脱走兵。それがランゾウの経歴だ。
素性がバレたところで今更何を怖れることもない。平然としたふうのランゾウに、尋問官は青筋を立てた。
「全身包帯とは洒落た格好じゃねえか。だがハロウィンパーティはとっくに終わっちまってんだよ。おい、脱がしてやりな」
尋問官は顎をしゃくった。ランゾウの背後に立っていた2人の兵士がランゾウを押さえつけ、頭の包帯を剥がしにかかる。
「嫌がらせのつもりなら、やめた方がいいぜ」ランゾウは忠告してやった。「しばらく夢に出てくるぞ」
そして――。ランゾウの『素顔』を見た尋問官は、胃の内容物をゴミ箱の中にぶちまけることになった。
「だから言ったのに、なあ?」
ランゾウは後ろの2人を振り返る。1人は即座に目を背けたが、うっかり直視してしまったもう1人はゴミ箱を引き寄せる余裕もなく、盛大に床に嘔吐した。
尋問官が衛生兵を呼ぶ。やってきた衛生兵は流石に吐くようなことはしなかったが、露骨なまでに嫌悪の表情を浮かべた。
「傷つくなぁ……。まあ、オレ自身そうだったから文句は言えねえか」
一瞬だけ、ランゾウは泣き笑いのような表情を浮かべたが、すぐにいつもの殺伐とした目に戻った。
○△□はイヴェール中央総合病院のベッドの上にいた。入院事由は高熱を伴う風邪と軽度の凍傷だ。今はもう熱は収まったが、一時期は肺炎の可能性もあった。『軽装』で山間部に行くからだ、凍死だってあり得るものを風邪で済んだのは奇跡だと思え、と医師からはこっぴどく叱られた。
首筋をひっかく。ガーゼの下にはユキマムシの名で知られる、雪の中を掘り進んで移動する吸血ムカデに噛まれた傷がある。これと凍傷は砂地で目覚めてからついたもので、意識を取り戻す以前に負っていたはずの傷はやはり身体の内からも外からも綺麗さっぱり消えていた。
事件の顛末は田中やアシータから聞いたが、アステリオーなる謎の神獣がスクロプを惨殺していた間、○△□の身に何が起こったかは誰にもわからなかった。
「それにしても楽しそうだったね、あの時の○△□君は?」
ベッド横に置かれた見舞客用の椅子に腰掛けたアシータが含み笑いをして言った。
あの時、とは貴咲で2人山道を歩いていたところを保護された時のことだ。
「……楽しそうでしたか。気のせいでは?」
「裸で温め合うイベントとかなくて残念だったね? まあ、あったとしても○△□君に脈はないけど」
「…………」
再会を果たし、抱きついて泣き合う丑峰貴咲と鳳千華の姿を○△□は思い出す。あの2人の間には入っていけない、そんな強烈な印象を抱いた。
「別に、俺はクズノハがいればそれで充分ですし……」
「しょげないしょげない。……あら」
「こんばんわ。だいぶよくなったみたいですね。よかったよかった。流石若い人は元気だ、治りが早い」
この世の終わりのような顔でそう言いながら、田中が病室に入ってきた。
アシータはさっと椅子を立った。立ったまま話を始めそうになった田中が、椅子の存在に今気付いたような顔をして腰を下ろした。アシータはベッドに座り直す。どことなくがっかりしたような顔をしているのは、田中がいると自分の発言に対して○△□が基本返事をしてくれないからだ。
彼女を可哀想だとは思うが、○△□だって田中達から変人と思われたくない。田中達の方だって、見えない隣人が側にいると知ったところでどうしようもないのだから、不安感を抱くことはあってもプラスになるようなことはないだろう。
「何があったんですか」
「童嶋さんはいいですよね、毎日が日曜日で。いいなあいいなあ、美味しいご飯にぽかぽかお風呂、あったかい布団で眠るんでしょうねえ」
「……本当に何があったんですか」
「明日は日曜日だってのに、仕事が入りましてね……。テロリストの所為で土曜休みが隔週に切り替わったばかりだというのに、あんまりですよ……慰めてください童嶋さん」
「そんなことですか」
「――そんなことッ? そんなこととはなんですか、休みが1日潰れるんですよッ? 何とも思わないんですかッ! おかしいですよ童嶋さんッ!」
田中は○△□の肩を掴んで揺さぶる。
「『1日仕事が遅れれば1日分犠牲者が増える』だなんて、そんなこと言ってたら永遠に休めないじゃないですかッ! 私達は人間なんです、義務と責任果たしてればそれだけで生きていけるマッシーンじゃないんですよッ! 公僕にだって人権はあります! サービス提供側を奴隷と見なす人間などテロリストにも劣る社会のゴミですよ! まともな人間の心があるなら、誰かの大切な休日を邪魔してまで助けて欲しいとは思わないはずだ! そうでしょうッ!?」
「ここは個人部屋じゃねえんだ、騒ぐなら出て行けやッ!」
同室の患者からクレームが飛んできた。田中はヘラヘラと頭を下げる。
「……いけないいけない、私としたことが取り乱してしまいました。あ、これ見舞いのバナナです」
「またですか……」
「そんな露骨に嫌な顔をしちゃ駄目だよ○△□君」
病院に搬送されてから、田中は毎日のように見舞いに来てくれるが、常にバナナの房を見舞い品として持ってくる。アシータがたしなめるのもわかるが、流石に食べ飽きた。昨日食べきれなかった分がまだ冷蔵庫に残っているのを考えるとウンザリしてくる。
「たまにはリンゴとか……いや別に買ってこなくていいんですけど」
「まあいいじゃありませんか。バナナは栄養あるんですよ。ささっ、どうぞ1本。……ところで、頼んでいた件ですが」
「悪いですけど、やっぱりあんな神獣に見覚えはありませんね。特徴だけならデカラヴィアというのに似ていますが……」
アステリオーと呼ばれるあの炎の巨人について知っていることはないか、何でもいいから思い出したら教えて欲しい――と頼まれていたのだが、何度記憶を手繰っても○△□の中にあの神獣に関する情報を見たおぼえはなかった。
「俺が記憶してないだけで、養祖父の蔵書の中には記されていたのかもしれませんが……。すみません、あの養父の所為で……」
「仕方のないことです。他に、神獣関連に詳しい、出来れば辞典のようなものを持っている降神師に心当たりは?」
「…………」
○△□は首を横に振る。降神師としての英才教育を受け、才能を持ち合わせていても、上には疎まれ下には妬まれ、人脈的には孤立無援なのが童嶋○△□だ。
「黄寺は? あいつの方がまだ顔は広いですよ」
「彼はまだ意識が戻っていません」
スクロプとの戦闘中、飛んできた岩にぶつかったことで黄寺のテクターは大破、黄寺自身も一時は命が危ぶまれるほどの重傷を負った。
○△□は眉をしかめる。事ある毎に喧嘩を売ってくる鬱陶しい奴だが、死ねばいいとまでは思っていない――そこまでの関心はない。
暗くなった空気を吹き飛ばすように、田中は別の話題に切り替えた。
「しかし、童嶋さんが意識を取り戻した時に見たという男も気になります。私、その男がアステリオーのデウステイマーじゃないかと思うんですよ。しかし、なにぶん禿頭、くらいしか情報がないとどうにも……」
「すみません……」
あの男の顔に関して○△□はもうほとんど覚えていない。禿頭の他には輪郭が四角張っている以外にこれといって言い表せる特徴がない顔だったのだ。
昨日警察が持ち込んできた福笑いのような似顔絵作成キットで可能な限り再現してみたが、似ているか似ていないか組み立てた本人にもわからない始末だった。
「記憶を画像か映像に出力できるヘルゲイターっていませんかねえ」
「いるわけないですよ、そんな都合のいい神獣。……ところで、丑峰さんの方はどうしてます?」
「ああ、童嶋さんは彼女の方が気になりますか。まあ――わかりますけどねえ」
田中、そしてアシータは意味ありげな笑みを浮かべた。○△□の頬が赤く染まる。
「何のことでしょう? 僕は純粋に拉致誘拐の被害者が心安らかに暮らしていけているかどうか心配しているだけですけど?」
「汗腺から嘘の香りが漂ってますよ、童嶋さん」
その時、病室のドアがスライドした。○△□達を含め、中にいる患者達の目が一斉に扉に向けられる。
「『悪魔の話をすれば悪魔が来る』……か」アシータが呟く。
おずおずと部屋に入ってきたのは丑峰貴咲だった。○△□の顔を見つけて近づいてくる。○△□は慌てて病院服で顔を拭い、手櫛で髪を整えた。
「こ、これはこれは、牛ムネさん――」
「丑峰です」
「……失礼しました。丑峰さん、どうしてここに?」
「ここに入院してるって聞いて、お見舞いに来たの。あ、これお見舞いのバナナ」
「ありがとうございます。僕、バナナは大好物なんですよ。うれしいなぁ」
「…………」
「…………」
田中とアシータの何か言いたげな視線は意識からシャットアウトする。
「童嶋君があの大きな犬を使って私とチカ……総督代理を助けてくれたんだよね? 本当にありがとう」
「いえ、童嶋さんは実際のところあんまり役に立っていませんし、お気になさらず」
「田中さんはバナナでも食べててください。……そちらはどうですか、元気でやれてます?」
「うん、私は健康そのものだよ、ありがとう」
貴咲は空手家のように左右の腕を交互に突き出して健康ぶりをアピールしてみせた。それに伴って揺れる胸に○△□の視線が釘付けになる。記憶を画像か映像に出力できる神獣、草の根分けても探し出さねばなるまい。
「うわ、目がいやらしいですよ童嶋さん。引きます」
「田中さんはバナナでも食べててください。というか明日は会議があるんでしょう、さっさと帰ったら如何ですか」
「じゃあ帰りましょうか丑峰さん、丑峰さんも会議の準備があるでしょうし」
「えっ?」
貴咲がきょとんとする。
「『え?』って、明日の対ヘルゲイター対策組織の会議ですよ。丑峰さんも出るんでしょう?」
「私は……戦力外通告を出されたので……」
「あ……そうでしたか」
田中は頭を掻く。千華が会議に乗り込んできたとき、貴咲を連れていなかったことで気付くべきだった。自分の軽率な行動で親友を事件に巻き込み、一時はその命を喪いかけた後悔から、千華が貴咲を遠ざけようとしたのは容易に想像がつく。
「今度の日曜、総督府で会議があるんですよ。丑峰さんが来られると総督代理も喜ぶと思いますよ」
「田中さん?」
「どうも今の総督代理は自分を追い込んでいらっしゃるようでして。彼女にはあなたが必要だ」
「チカちゃんが……?」
「ちょっと待ってください田中さん、俺――僕は反対です」
そもそも千華と貴咲が拉致されたのは何故か。
田中の組織――陸軍の対ヘルゲイター機関――は何度も部隊設立のための予算申請と設備購入の許可を総督府に打診していたが、その全てが総督の承認を得られないか、審議中扱いで黙殺されていた。
それを総督府の職員の中に敵の内通者が存在し、妨害工作を行っているからだと考えた田中達は直接総督に直訴する計画に出た。
工作員に気取られぬよう、手紙を使って総督代理を総督府の外に呼び出すつもりだったが、その慎重さが裏目に出てしまった。手紙に気付いた敵のスパイは逆にそれを利用して総督代理を誘拐する計画を実行したのだ。拉致に成功した暁には、きっとゴミ箱の中の手紙を『発見』し、軍に濡れ衣を着せる算段だっただろう。だからこそ田中はサーベラスの姿を人目にさらしてでも早期解決を図ったのだ。
そういう話を田中から聞いている○△□には、貴咲を総督府に戻す案は受け入れられない。
「総督府には敵のスパイがいるんでしょう? 丑峰さんをそんな危険なところに連れて行くつもりですか!」
「私のことなら大丈夫よ童嶋君」
いや大丈夫じゃなかったでしょうが、と反駁する○△□の視界の片隅で何かが光った。○△□達、そして彼等の言い争いに眉をしかめていた同室の患者達が光の源を見た。
暗い窓の外、遠く離れた向こうで何かが燃えている。火事だ、と誰かが呟いた。
「あれは……陸軍の基地ですよ」
田中が呻く。通信機をオン、通信機に向かってやりとりを交わす。
窓の外に群がる患者達が天を見上げる。その視線の先で何か光る物体が放物線を描いて落下、爆発。戦争だ、と誰かが叫んだ。大戦時のトラウマが癒えないでいる者は今でも多い。何処かの病室で誰かがパニックを起こし、医者や看護師が廊下を足早に移動する音が響いた。
「――そうだ。ありったけシールドを着せて総合病院に。直掩は浅間とトリア。以上だ」
田中が早口で手短に、しかし明瞭にテキパキと通信機に向かって指示を出す。
「童嶋さん。病み上がりで申し訳ありませんが来ていただけますか? 貴咲さんは病院の指示に従ってください」
「あ、あの、また……?」
貴咲が顔を曇らせる。
「大丈夫ですよ。俺があなたを守ります」
○△□は貴咲に向かって親指を立ててみせた。
「……お気をつけて」
不安げな表情の消えない貴咲を残し、○△□達は病室を飛び出した。田中が○△□の脇腹をつつく。
「『俺があなたを守ります』ですか。かっこいいですねえ、露骨な点数稼ぎですねえ童嶋さん」
「いくらおっぱいに目が眩んだからって」
アシータが軽蔑の眼差しを向ける。
「そうですよ、いけませんか」
器用にも○△□は一言で両方に返事をしてみせる。それに対しアシータは呆れたような顔をし、田中は愉快そうに笑った。
「いいえ。まあ、あんな啖呵を切った後で聞くのは野暮でしょうが、童嶋さん、我々と一緒に戦ってもらえますか?」
入院したことで、○△□の入隊は延び延びになっている。
「何を今更。元々そのつもりだったでしょう?」
「今死んでも殉職扱いには出来ませんよ?」
「死んだ後のことを心配しなくちゃならない身内はいませんし、降神師というのは死んだ後のことは考えないものです」
3人は廊下を走る。何度か病院のスタッフに制止されたが、田中が軍のIDカードを提示すると敬礼して道を空けた。
病院の玄関を出てしばらく後、戦闘指揮車と軍用トレーラーが一台ずつ病院の敷地内に入ってきた。トレーラーの後ろにはテクターが3台、数珠繋ぎになって牽引されていた。
「状況は?」
田中が指揮車に乗り込みながら問う。副官と思わしき軍服の男が敬礼で迎えた。
指揮車の中央に置かれた大きなテーブルの上には地図が広げられており、赤と青のマグネットがその上に乗っていた。
「陸軍基地が砲撃型ヘルゲイターの攻撃を受けています」
川上に置かれた2つの赤いマグネットを差しながら副官が言った。
「砲撃型は未確認の個体です」
「……第8号か」
「迎撃に向かった部隊が第1号、及び新型の群れと交戦中」
隣り合わせになっている赤と青のマグネットがそれだろう。砲撃型のヘルゲイターがいる位置からはだいぶ離れている。
緊迫した空気に気圧されていた○△□は突然肩を叩かれた。いかつい顔をした迷彩服の男が戦闘服を差し出してきた。
「童嶋さんですね。これを着てください。申し訳ありませんが着替えスペースはないので、その辺の隅で」
病人服の上から着るのは無理があった。やむなく、女性兵士もいる指揮車の隅で下着1枚になって着替えることになる。アシータが気を利かせて出て行ってくれたのと、指揮車の中はエアコンが利いていたのが数少ない救いだ。
お姫様を守る騎士、あるいは正義のために戦うヒーローとして今の自分の姿は客観的に見てひどくかっこ悪いだろうな、と思うと闘志が萎えていくのがわかる。
「着替えながらでいいので、これを見てください」
プリントアウトされた敵ヘルゲイターの画像が○△□の目の前の壁に貼り付けられる。車よりも大きい黒い犬と、ライオンの頭を持つ6本足の巨大な亀、そして翡翠色の翼が生えた2本足の牡鹿。
幸いにも、その3体の記憶はあった。
「犬はバーゲスト、亀はタラスクス。鹿はペリュトン。バーゲスト、ペリュトンはサイズが大きいだけの猛獣と考えていいでしょう。タラスクスの主武装である『燃える泥』は接近すれば当たりませんが、その場合口からポイズンブレスを使ってくると思います。すぐに大気中に拡散して無害化されるので効果範囲は広くありませんが、迂闊に近づかないようにしてください」
「全部隊に通達ッ! 現時刻をもってヘルゲイター第1号を『バーゲスト』、第8号を『タラスクス』、第9号を『ペリュトン』と呼称するッ! 斥候隊にガスマスク着用を呼びかけろッ!」
装甲が付いている分、重量のある戦闘服を着るのは難航した。モタモタしながらなんとか着替え終わる。ひどくブカブカだ。
「すみません、モタモタして……」
「初めて着たにしては上出来ですよ」
田中は○△□の装甲服の首筋にあるボタンを押す。空気の抜ける音がして、大きめだったスーツは○△□の体格にフィットするサイズに縮んだ。
「では、トレーラーでテクターを受領してもらえますか」
「テクターを? 俺が?」
「何のためにインナージャケットを着せたと思ってるんです?」




