第三十五章 嵐の中の道
翌朝、空はまだ晴れていた。
四人は早朝から山道を進み始め、標高が上がるにつれて空気が薄くなっていくのが分かった。
息がいつもより浅くなり、歩くたびに心臓が大きく音を立てた。
正午を過ぎた頃、空の色が変わり始めた。
遠くに見えていた渦巻く雲が、すぐ近くまで迫っていた。
だからなのか風が急に強くなった。
「ここから先が嵐の領域になるから気をつけて進む。手を離さないように」
そう言って、ノクスは凪沙の手を取った。
その手の強さに凪沙は少し驚いたけれど、すぐに握り返した。
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嵐の領域に入ると、世界が一変した。
風が、悲鳴のような音を立てて吹いていた。
雨が横殴りに降ってきて、視界が急に悪くなった。
岩肌が雨で滑りやすく、カインが先頭で道を探っていた。
ノアは地図を風で飛ばされないよう、必死に押さえていた。
「これ以上は……視界が」
カインの声が、風にかき消されそうになっていた。
凪沙は手の中の鏡を、強く握った。
これまで鏡は道を示してくれた。
今こそ、その力が必要だった。
鏡を開くと、鏡面が強く青白く輝いた。
「見える!」
凪沙は、思わず声を上げた。
鏡面の中に、道が見えた。
風の渦の中に一筋だけ静かな空間が続いていた。
それは目で直接見るのとは違う、鏡だけが教えてくれる道だった。
「こっち!こっちに道がある!」
凪沙が指す方向に、ノクスが目を凝らした。
「……俺には何も見えないが、凪沙を信じる」
その言葉に、凪沙は強い決意を感じた。
迷いのない信頼の言葉だった。
皆、凪沙が示す方向へ一歩ずつ進んでいく。
風が強く吹きつける中、鏡が示す道だけが不思議と風が弱まっているように感じられた。
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進むにつれて、確かに風が和らいでいくのが分かった。
視界も少しずつ開けてきて、ある瞬間、四人は嵐の中心に入った。
そこは、信じられないほど静かだった。
周りでは、依然として激しい嵐が渦巻いていた。
でも四人が立っているその場所だけ、まるで時間が止まったような静寂があった。
風の音すら、ここには届かなかった。
「……これが」
ノアが、震える声で言った。
「『嵐の中心に静寂がある』。文献の通りです」
凪沙は、周りを見渡した。
岩場の中央に小さな祠のようなものがあった。
古い石で作られていて、表面には見覚えのある涙型の紋章が刻まれていた。
「あれ……」
凪沙は、その祠に近づいた。
中を覗くと小さな台座があって、その上に涙の形をした結晶が置かれていた。
三粒目の、女神の涙だった。
聖堂のティアよりも小さく、海で見つけた涙晶とも、また少し違う輝き方をしていた。
風のように、軽やかで揺れるような光だった。
「見つけた……」
手の中の鏡が強く輝いた。
その光が結晶に応えるように共鳴していった。
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凪沙は両手でそっと結晶を持ち上げると、思ったよりもずっと軽かった。
でも、その軽さの中に確かな力が感じられた。
「全部、揃ったね」
凪沙が言うと、ノクスが頷いた。
「ああ。これで……」
その時だった。
静寂の中に何かの気配が走った。
風ではなくて、もっと別の何かの存在感。
凪沙は思わず周囲を見渡したけど誰もいなかった。
でも確かに何かを感じ、見られていたような。
「……どうした」
ノクスが、凪沙の様子に気づいて聞いた。
「何か、見られてる気がして」
ノクスとカインが直ぐに警戒の姿勢を取った。
でも何も現れなくて、静寂は変わらず続いていた。
「気のせい、かもしれません」
ノアが言ったけれど、その声には確信がなかった。
凪沙は結晶を布で包んで鏡と一緒に大切に持った。
何かが見ていたという感覚は、まだ消えていなかった。
今はそれより、見つけた結晶を無事に届けることが大事だった。
「戻ろう。嵐が、また強くなる前に」
ノクスが言うと、皆は再び鏡の示す道を通って嵐の中を進んでいった。
振り返ると祠のあった場所が、もう嵐の中に見えなくなっていた。
それでも、凪沙の腕の中には確かに結晶があった。




