ベクトルは分解出来るんだぜ?
放課後の部室。
机の上には、見慣れない巨大パックのインスタントコーヒーがドンと置かれていた。
国枝先生が湯気の立つ紙コップを配りながら言う。
「予算の関係でな、今日はこれだ。我慢しろ」
佐伯が首をかしげる。
「前の高いやつじゃないんですか?」
「今年は備品費が削られた。嗜好品はこれが限界だ」
袋のデザインを見た高橋が、くすっと笑う。
「結局、予算も“欲求”に従って配分されるってわけだな」
⸻
西村がノートを広げ、ペン先をトントンしながらさらっと言う。
「実際、人間の行動はほとんど“欲求”で説明できる。
生存、安全、地位、承認、帰属……だいたいこの5つで分類可能」
俺はコーヒーをひと口すすり、微妙な顔で言う。
「例えば先生が高いコーヒーから安いのに変えたのは、“予算を守る”っていう安全欲求。
佐伯が前の味を惜しんだのは、“快適さを維持したい”っていう生存欲求の派生」
山本が控えめに口を開く。
「……高橋が笑ったのは、“分析して優位に立ちたい”っていう地位欲求……ですかね」
高橋がニヤリとする。
「正解。で、山本がそれを言ったのは、承認欲求だな。
“ちゃんと観察してる”って俺に認められたい」
⸻
佐伯が腕を組む。
「じゃあ森下さんが前に“課題の分離”頑張ったのも欲求ってこと?」
西村が頷く。
「そう。衝突を減らして安心したい、安全欲求。
でも突き詰めると、人間のほとんどの行動は欲求の組み合わせになる」
俺はふと窓の外を見てつぶやく。
「……つまり、欲求のスカラーを掛け合わせて行動のベクトルにする。
ベクトル分解すれば、“これとこれとこれ”が俺をこうさせる……か」
国枝先生がカップを片手に笑った。
「なら、お前らの“コーヒーを飲む欲求”も予測できるな。俺が来る前に減ってる理由も」
高橋が平然と言い放つ。
「生存欲求と嗜好欲求の複合です」
先生はため息をつき、安いインスタントをもう一杯注いだ。
——欲求の地図は、今日も部室の中にくっきり描かれていた。




