第19話会いたい【信玄】
上杉は、8月15日に善光寺に着陣し、荷駄隊と兵5000を善光寺に残した。俺は兵1万3000を率いて更に南下を続け、犀川・千曲川を渡り長野盆地南部の妻女山に陣取った。妻女山は川中島より更に南に位置し、川中島の東にある海津城と相対する。
俺は、海津城の武田氏家臣・高坂昌信から謙信が出陣したという知らせを受け、16日に甲府を進発した。
そして、24日に兵2万を率いて長野盆地西方の茶臼山に陣取って上杉軍と対峙した。これにより、妻女山を海津城と共に包囲する布陣となった。そのまま膠着状態が続き、俺達は戦線硬直を避けるため、29日に川中島の八幡原を横断して海津城に入城した。
膠着状態は俺達が海津城に入城した後も続き、士気の低下を恐れた重臣たちは、上杉軍との決戦を主張し始めた。しかし、謙信は強い。
だから、勘助と馬場信房に上杉軍撃滅の作戦立案を命じた。
二人は、兵を二手に分ける、別働隊の編成を俺に提案する。別働隊に妻女山の上杉軍を攻撃させ、上杉本軍を麓の八幡原に追いやり、これを平野部に布陣した本隊が待ち伏せし、別働隊と挟撃して殲滅する作戦である。これは啄木鳥が嘴で虫の潜む木を叩き、驚いて飛び出した虫を喰らうことに似ていることから、「啄木鳥戦法」と名づけられた。
9月9日深夜、高坂昌信・馬場信房らが率いる別働隊1万2000が妻女山に向い、俺率いる本隊8000は八幡原に鶴翼の陣で布陣した。
順調に進んでいる。だが、胸騒ぎがする。何故だ……?
俺は一応警備を怠らないようしっかり命じたが、胸騒ぎが収まる気配は無い。
10日午前8時頃、川中島を包む深い霧が晴れた時、いるはずのない上杉軍が眼前に布陣しているのを見て、俺は目を見開く。しかし、昨日の胸騒ぎの正体はこれかと納得する。
まことに呑気だ。壊滅してしまうかもしれなというのに。
流石だと思う余裕がある俺だったが、家臣たちは動揺した。
謙信は、柿崎景家を先鋒に、車懸りで俺達に襲いかかった。鶴翼の陣を敷いて応戦したものの、上杉軍先鋒隊の凄まじい勢いに俺達は防戦一方だった。
乱戦の最中、手薄となった俺の本陣に白手拭で頭を包み、放生月毛に跨がり、名刀小豆長光を振り上げた騎馬武者が床几に座る俺に三太刀にわたり斬りつけてきた。俺は床几から立ち上がると、軍配をもってこれを受けた。御中間頭の原大隅守が槍で騎馬武者の馬を刺すと、そいつはこの場を立ち去った。
威勢のよい武者だ。あのまま続いていれば、危なかったかもしれないな。
名を知りたいと、自分を殺そうとした武者に思う。
しかし、……遅い。別働隊はまだなのか。
そう思っていると、謙信に出し抜かれ、もぬけの殻の妻女山に攻め込んだ高坂昌信・馬場信房率いる別働隊が、上杉軍のしんがりを務めていた甘粕景持隊を蹴散らし、昼前に八幡原に到着した。別働隊の到着により、上杉軍は挟撃される形となった。形勢不利となった謙信は、兵を引き、犀川を渡河して善光寺に退却した。
前半は上杉の勝ち、後半は俺達の勝ちという風になり、明確な勝ちにどちらも出来なかった。家臣たちは、自分の勢力の勝ちというが、俺も謙信も何も言わなかった。別働隊が少しでも遅れていたら、俺達は負けていた。
この戦による死者は4000余で、多数の死者を出してしまった。
そして、信繁や勘助、諸角虎定、初鹿野忠次達が討死してしまった。
そう思うと、涙が出てしまいそうになる。だが、あいつらと同じ釜の飯を食ってきた、もっと泣きたいであろう家臣の前で俺が泣くわけにはいかない。
俺は、「疲れただろ、俺の警備は大丈夫だから休憩してこい」と言い、護衛の武士を下がらせる。部下を気遣ったように見えるが、俺が1人になりたかっただけだ。
……信繁や勘助、諸角虎定、初鹿野忠次達が討死してしまった。勘助も。
勘助が討ち死にしてしまったことを、悲しく思った。
他の奴らを大切にしていないというわけではない。そいつらには、「すまんな、読み間違えて。死ぬまで戦ってくれてありがとな」と謝りながら感謝を伝えるだろう。死なないでくれた、他の奴らもそうだ。
だが、勘助だけは無理なんだ。あいつは、軍師として、友として、ずっと側に居てくれた。あいつは、俺の、数少ない本音をぶちまけることが出来る奴だった。時には叱られたり呆れられたりしたが、少なくとも俺は仲が良かったと思う。
……覚悟を決めた眼で、突っ込んでいったらしい。何やってんだろうな、あいつは。足が不自由なくせに。だけど、あいつらしい。
あの時、俺が胸騒ぎの正体に早く気づいていれば、大切な仲間や民達が討ち死にすることはなかった。
武士として、戦場で死んだのは正しいことだと、誇らしいことだとは分かってる。
そう分かっていても、死んでほしくなかった。もっと、一緒に居たかった。
天下統一をして、民達は幸せそうで、その様子を勘助と笑い合って。どっちかが結婚しても変わらず仲良くて、冗談を言い合って。勘助と一緒に幸せになりたいと、思っていた。
いつからあいつがそんな存在になったかは分からない。そんなことはどうでもいい。
……っ…ただ、側に居てほしかった。こんな所で、死んでほしくなかった。勝ちと断言できない戦で、勝ちと断言できても!……戦場で死なないでほしかった。「ありがとうな、お疲れ様」と涙を流しながらも笑える時が良かった。せめて。
「勘助」
俺は、もうこの世には居ない奴の名を呼ぶ。
「お前と出会えて、幸せだった」
いつも喧嘩して、最後には仲直りして。
「会いたい」
これから、もう会うことが出来ないなんて、地獄だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……夢か」
俺の部屋だ。
俺は、布団からむくりと起き上がる。そして、異変に気づく。
「体が、軽い」
体の痛みや熱が無くなり、腕や足をスムーズに動かすことが出来る。
「凄いな、あいつは」
俺は感嘆の声を出す。そして、床に手をつき立ち上がり部屋から出る。
出たすぐ横には、あいつが居た。
「おはようございます。信玄様」
彼は言う。
「ああ、おはよう。といっても、夜だがな」
「あはは」
俺の言葉に、彼は苦笑する。
「ん?幸村、信之、お前ら何でここにいる?まあ、今はいいか」
俺は彼と向かい合う。
「ありがとな。お前のお陰ですっかり元気になった。というか体力が増えたような」
彼は「それは良かったです」と笑顔で返してき、俺へグイっと体を寄せた。
「し・ん・げ・ん・さ・ま!治療しちゃいましたけどさっきの事続いてますからね!」
彼のジトーという視線に、俺はやれやれと演技がかった仕草をした。
「いいだろう。しかし、5年だ」
「5年……」
少し不満そうだが、これより長いのは認められない。
「ありがとうございます」
彼はそう、ぺこりと頭を下げた。
その後、話をしていくうちに今日から3日間氷室をここに置かせ、稽古に参加させることが決まった。
「あ、私はどこで寝ればいですか?」
「それは……」
「俺と兄さまの部屋にしましょう!」
言おうとしたが、幸村に声を被せられる。
幸村は、相変わらずやることが凄い。主人の声に自分の声を被せるとは。いくら俺が気安く接しても良いと言っても、他の家臣達は、声を被せるという気性の荒い大名が主人ならば切腹させられることはしない。
文句の一つを言いたくなったが、氷室が承諾したので言うのを諦めた。
次の日、俺は氷室を皆に紹介した。強いかは知らないが、何故か知らないがあいつに懐いている幸村が居るから大丈夫だろう。
公務を果たし、部屋で木刀を持って俺は剣の練習をしていた。
木刀を振る。
もっと、強くならなければ。
振る。
民の為に。
太刀筋を意識して。
……前に、勘助と剣の練習をしたな。勘助、左足が不自由な割には上手かったな。……やっぱり、勘助と会いたい。
刀を降ろす。
一呼吸して心を整えまた剣の練習をしようとすると、「失礼します」と声をかけられる。
「信玄様、貴方に紹介したいものがおります」
氷室だ。
「隣の男か?」
「はい」
彼はそう頷く。
「勘助」
そう氷室の口が動いた。
勘助……?




