6.繋がる糸の先
朝から決意していたローゼは、午後の休憩の際、配下たちと談笑するダリュースの元へまっすぐに歩いた。
神殿へ立ち寄り、オッドから聖剣の主に関する話を聞いた日は少し軟化していたものの、翌日になるとレオンの態度はまた元通りに、つまりは人に対して険悪な態度に戻ってしまった。
話しかけても互いに不幸になるだけなので、ローゼはもう何も言わない。
レオンの方もローゼの気持ちが分かっているのか、あるいは人であるローゼと話をしたくなくなったのか。呼びかけられない限りは特に何も言ってくることはなかった。
以前は初めて見る場所で珍しいものを見つけると「これはすごい」「あれは綺麗」などと感想を述べあっていたのだが、静かになってしまった今の聖剣とはそんな会話を望むことなどできない。
(……ううん、違う)
思い返してみればもっと前、フィデルに入った辺りからレオンは何も感想を述べてくれていない。それどころか鬱陶しそうに「だから何だ」「俺はなんとも思わん」と言われるばかりだったのに、ローゼは「たまたま機嫌が悪くなってるんだ」と思い込み、無理に目を背けて一方的に話をしていたのだ。
だからこそ今日は、と思いながら、ローゼは地を踏みしめて歩く。
先日はダリュースとの会話に失敗した。
もしかすると今回も失敗するかもしれない。
だが、失敗しても構わない。何が悪かったのか反省して、次に成功すればいい。次が駄目ならその次に。成功するまで何回でも。
レオンを変化させてまでジェーバー領へ呼び出したかったカーリナにどんな話をされても冷静に対応するため、あらかじめ心の準備をしておかなくてはならない。そのためにもランドビックへ着くまでの間にダリュースと可能な限り話をして、ひとつでも多くの情報を入手する必要がある。
レオンの助けがもらえない今、ローゼは自身の力だけで何とかしなくてはならないのだから。
「ローゼ様。いかがなさいましたか?」
近づくローゼに真っ先に気付き、話しかけてきたのはオッドだ。
聖剣の主にランドビックで会って欲しい、と言った翌日から、オッドがローゼのことをチラチラと窺っていたのは知っている。彼は「聖剣の主に会うことを、ローゼがダリュースに言ってしまうのではないか」と不安なのだろう。
「ダリュースさんにお話があって来ました」
何か言おうとするオッドより先に、ローゼは先を続ける。
「以前の川辺でした話をもう一度するだけです。他の用事はありません」
川辺の時点ではまだ、オッドから話を聞いていない。つまりオッドには「内密にとの約束は守る」という意味で、他の人には言葉通りの意味で口に出した言葉だった。
オッドは瞳に困惑の色を浮かべながらもうなずき、他の配下と同様にダリュースを見る。
視線を受けたダリュースは、いつもと同じような笑みを柔和な顔に浮かべる。
「どれ、私はローゼ様と少し散歩をしてくるよ。お前たちはそろそろ出立の準備をしていてくれるかな?――ああ、もちろん妙な真似はしませんから、安心なさい」
前半を配下に、後半をローゼの傍にいるメラニーに言ってダリュースは立ち上がる。誘うようにローゼを見つめて彼は歩き出したので、ローゼは小走りで近くへ寄った。
「聞きたいことがあります」
「なんでしょう」
「あなたは、ジェーバー家の使用人なんですか?」
カーリナの伝言を携え、シグリと共に城へ来たダリュースを、ローゼはジェーバー家の使用人だと思っていた。シャルトス家を出た後に、仕える家をジェーバー家へ変えたのだと。
しかしダリュースは、フィデルへ向かう道中も何かにつけシャルトス領への親しみを隠そうとはしなかった。彼の様子を見るうちにローゼは、ダリュースがジェーバー家に仕えている人物だとは思えなくなってきていた。
前回のダリュースが答えをくれなかったのは、カーリナの用事に関わる質問だったためのような気がする。だとすればダリュースは、彼自身のことなら答えてくれるのかもしれない。
(遠回りでもいいわ。もしかすると、いつかカーリナの真意の一端が見えるかもしれないもの)
そう思って投げかけた質問は、ダリュースにとってほんの少し意外なことだったらしい。彼は珍しく、わずかなあいだ真面目な表情を見せた。
「……ご質問には、いいえ、とお答えした方が良いでしょうね。私がお仕えしているのは、ジェーバー家ではなくカーリナ様個人。それも仮初の主従関係です」
「仮初……永続的なものではなく?」
「はい。ローゼ様をカーリナ様にお引き合わせするまで、との約束になっています」
これにはローゼが驚く番だった。
「じゃあ、今のダリュースさんは、私をカーリナ様のところへ連れて行くためだけにジェーバー家……じゃなくて、カーリナ様に仕えているんですか?」
「そういうことになりますね」
「そんな。なんで――」
なんでカーリナはそこまで自分に関わりたがるのかとローゼは聞きたくなったが、ぐっと堪える。これは聞いたところで返事がもらえない事柄だろう。
「――なんで、ダリュースさんはカーリナ様に仕えようと思ったんですか」
「ああ……」
深く息を吐いてダリュースは前を見つめる。
「私はシャルトス家にお仕えしていた20年以上の間、たくさんの人物と面識を得ることができました。中にはジェーバー家の使用人たちもおりましてね。彼らはよく、シグリ様の自慢話をしていたものです」
「……はあ」
「同じ事柄でも、話をする人が多ければ多いだけ、見方が変わって内容が変わる。ですが一方で、変わらない話もある。そういった変わらない話を集めるうち、私はシグリ様の人となりが何となく分かりました。そのとき強く思ったのです。この方にシャルトス家へ嫁いでいただきたい、とね」
「……それで、今回の話になったんですか」
うっかり口にしてからしまったと思うが、もう遅かった。
柔和な笑みを浮かべるダリュースは振り返り、馬の方を示す。
「――さて、そろそろ時間のようです。出発しましょうか」
* * *
以降もローゼは折を見てダリュースに話を持ち掛けた。
彼はいつも嫌な顔をせずにローゼと話をし、頃合いを見計らって打ち切る。
それは情報を小出しにして引き延ばしているようにも、あるいはローゼと話をするのを楽しんでいるようにも見えた。
だが、少しずつローゼは、ダリュースについて情報を手に入れて行く。
今日は森の開けた場所で小休止した際に「あなたにとってフロランの結婚は重要だったのか」と尋ねてみた。
「次代の公爵となられる方でしたからね、もちろんです」
ダリュースは何のてらいもなく答える。
「お相手にはぜひシグリ様をと望んでいたのですが、残念ながらジェーバー家へ出した打診の手紙は突っぱねられました」
「どうして」
「簡単な話です」
ローゼへ顔を向けたダリュースは、おどけた様子で肩をすくめる。
「当時のシャルトス家は、古の大精霊が消滅の危機にありましたからね。『大樹が健在ならいざ知らず、存亡が危ぶまれる家に引く手あまたの麗しい令嬢を嫁がせるつもりなどさらさらない』ということでした」
「……そんな風に書かれてたんですか?」
「おっと、これは私の失言ですね。もちろんもっときちんとした文面でいただいてます」
秘密にしてください、といって口の前に人差し指を立てるダリュースを見ながら、ローゼは小さく笑ってうなずく。
確かに分からなくもない話だ。何しろ昨年のシャルトス領は、端々から退廃的な暗い雰囲気が感じ取れた。城内ですら荒廃を感じさせる空気が漂っていたのだから、そんな所へ力のある家が娘を出そうとは思わないだろう。
「閣下もシグリ様との婚姻を第一にお考えのようでしたが、どうせ無理だろうとすぐ諦めておいででした」
ふう、とため息を吐くダリュースが黙ったので、ローゼは思い出したことを何気なく口に出す。
「……そういえば、王都へ移った後にどこかへ婿に入りたいって、本人は言って」
あれはローゼが初めてイリオスへ行った時のことだ。
北方神殿でシャルトス家の誰かを、いや、本当は褐色の髪をした青年を呼び出そうとしたときに、代わりとして現れたフロラン自身がそう話した。
あの時にシャルトス家の思惑を、エリオットの役目を聞かされ、ローゼは怒りで頭が真っ白になった。そのたびにレオンが代わって話をしてくれたおかげで、フロランとの交渉もうまくいったのだ。
(……レオン)
今のレオンとはなんという差だろうか。言葉に詰まるローゼが黙ったままの聖剣の柄を握り締めた時、ダリュースの声がした。
「ご本人が? 婿に入りたいと仰った?」
「え? あっ……は、はい、そう言ってました」
思いに沈みそうになっていたローゼが慌ててうなずくと、しばらく首を傾げていたダリュースは「ああ」と言って晴れやかな笑みを浮かべる。
「私が申し上げた閣下とは、ラディエイル閣下のことです。実はラディエイル閣下も、フロラン様のご結婚については随分と考えておられたんですよ。――おや、もしや意外に思われましたか?」
顔に出ていただろうか、と思いながらローゼは首を横に振る。森の清涼な空気がわずかに熱くなった頬に心地良い。
「閣下は、情勢から鑑みて外との婚姻は厳しいだろう、と仰せでした」
微笑むダリュースは、ローゼの気持ちも見通しているように思えた。深く追求することなく彼は話を続ける。
「ですから、分家か、あるいは領内の有力者の娘で良い方を探しておくようにと私に命をくだされたのです。ただ、きちんと詰める前に大精霊が消滅してしまわれましてね」
「……フロランの結婚話は立ち消えになってしまったんですか」
「はい。何せご結婚を考えることなどできないほどの大騒ぎでしたから。……ですが銀狼が大樹の守りとなりました。状況が変わった以上は何とかなるかもしれないと思い、ジェーバー家へ赴いた私は、改めてシグリ様とフロラン様の婚姻を申し出たのです」
今までならここで話を止める。今回もきっとそうなるだろうとローゼは思った。
しかし、ダリュースは栗色の髪を風になびかせながら、そのまま話を続ける。
「すぐには色よい返事がもらえませんでしたが、粘り強く交渉を続けるうち、更に状況が変わりました。しかもその時にジェーバー家が欲する情報を、ちょうど私が持っていたのです。おかげで『シャルトス家さえ了承すれば、シグリ様を嫁がせても良い』との約束を取り付けることに成功しました」
「……シグリの結婚と引き換えにできるほどの情報なんてすごいですね。一体どんなものだったんでしょうか」
質問というより、確認をする気分でローゼは尋ねる。尋ねてから「答えをもらえない質問だったかもしれない」と思ったが、ダリュースは人好きのする微笑みを浮かべたまま口を開いた。
「あなたに関する情報ですよ、ローゼ様」




