チキンステーキ
私は子野寺 優作。
機械部品の製造を請け負う株式会社キノエトで働く三十四歳従業員。
趣味は――料理。
料理が趣味と言ってもネットに写真やレシピを投稿する訳でも、腕前に確固たる自信を持っている訳でもない。
ただただ料理を作るのが好きな趣味人だ。
黙々とレシピ通りに作るも良し。
新たな料理に挑戦するも良し。
思い付きでアレンジを加え、結果に一喜一憂するも良し。
これほど実益を伴った趣味はないだろう。
日々生きていれば食事は必須。
趣味を満喫するだけで食事が用意され、お金は月の食費内に収めるので小遣いは圧迫されず、外食など控える為に安く済む。
その日も私は八時間の勤務を終えて帰路についた。
運動がてら自転車で二十分の道程を漕ぎ、午後六時前に帰宅。
ジャケットをハンガーに掛け、脱衣所の洗面台で手洗いうがいを済ませて台所へ移る。
精神的にも肉体的にもやや疲労している今、休む間もなく米を保管しているペットボトルから二合ほど取り出し、研ぎ用に使ってるバケツで手早く混ぜるように洗っては水を注いで流すを繰り返す。
ここで一息つく。
肩の力を抜き、思考を緩めて何も考えず、手だけは動かし続け、穏やかな心持ちで濡れた米同士が擦れる音、流れる水音に耳を傾ける。
短くもこの一時が私にとって最高の癒しだ。
ある程度濁りが薄れたところで米を炊飯器の内釜に移し変え、三十分浸しておく。
「さて、今日は何を作ろうか」
冷蔵庫を前に独り言ちる。
気分的にはガッツリ肉が食べたい。
献立を決める際、その時の気分や体調にも影響されるが、一番重要なのは食材の有無だろう。
牛肉は一昨日使い切ったし、豚肉はあるにはあるが夕飯分には足りない。
確か鶏もも肉が何枚かあった筈。
なら鶏料理だ。
唐揚げも良いけど漬け込むには時間が掛かるし、チキン南蛮は数日前に作ったので次の機会に。
「チキンステーキにしよう」
悩んだ末に思い浮かんだのはチキンステーキ。それも味付けは塩コショウのみのシンプルなやつ。
そうと決まれば冷蔵庫から鶏もも肉を一枚取り出す。
肉は火が入ると縮んでしまう。
筋切りするしないで縮み具合は大きく変わる為、まずは鶏もも肉をまな板の上に広げ、丁寧に筋を切り、塩コショウを満遍なく振り掛けて軽く擦り込む。
次はフライパンにサラダ油を敷いて、皮目を下に鶏もも肉を置いて火を点ける。
皮はパリッと香ばしい食感が好みなので、なるべく動かさずにじっくり火を通す。
この間に他の料理を用意するとしよう。
炊飯器の炊飯ボタンを押して、スープにインスタントコーンポタージュ、サラダにはレタスを手で千切ってゴマドレッシングを垂らしたものを用意する。
そうこうしているうちに熱で溶け出しだ脂がパチパチと弾け、食欲を掻き立てる鶏肉の焼ける良い匂いが漂い、鶏もも肉の側面が白んできた。
上下を返してみればキツネ色に焼けた皮が姿を現し、そのまま菜箸で撫でればカリカリカリと堅い感触が伝わってくる。
「今日は良い具合に焼けたな」
焦げも焼き斑も無く、綺麗に焼き上がった皮に頬が緩む。
すでに中まで十分に火が通っており、下面に焼き色が付けばチキンステーキは完成だ。
丁度、米も炊けたようで炊飯器から鳴り始めた電子音を止めて、炊き立てのお米を茶碗に盛る。
焼き上がったチキンステーキを切り分けて、共に食卓へ運べは今日の夕飯の出来上がり。
早速、冷めない内に頂こう。
「いただきます」
手と手を合わせて感謝の言葉を口に出して、茶碗と箸を手に取る。
まずはチキンステーキから。
一切れ持ち上げて徐ろに齧りつく。
パリッと小気味良い音が鳴り、皮から旨味の詰まった脂が、柔らかくジューシーな肉からは肉汁が溢れ、程良い塩気が引き立てた鶏の味が口いっぱいに広がる。
これは米が欲しくなる。
急くように米を口の中へ放り込む。
口内でふわりと米特有の香りが舞い、噛めば噛むほど仄かな甘みが増して、チキンステーキと合わさっていく。
米は良い。
強い存在感を放ち、味わい深いも主張し過ぎる事はない。
だからこそ多くの食材、料理と相性が良く、お互いに引き立て合って高みに至る。
当然、本日のチキンステーキとも合い、いくらでも食べらそうだ。
一口、二口、三口。
肉と米を交互に食べ進めると口の中に残る鶏の味が強くなってきた。
ここらで一旦口直しにレタスを口にする。
胡麻の風味が利いたまったりと後を引くゴマドレッシングが味に変化を与え、瑞々しいレタスが口の中を洗い流す。
さっぱりとしたところで今度はコーンポタージュを含む。
とろりと濃厚なトウモロコシの甘味が舌に絡まり、喉を伝って熱と共に胃へと降って行く。
「旨い」
今日の夕飯の出来を噛み締めながら感想を零し、熱を帯びた息を吐き出す。
再びチキンステーキを齧って、米を頬張り食事を続ける。
一時間弱掛けて調理した夕飯は、僅か十分ほどで胃に納まった。
―――割に合わなくね?
最後にお茶を飲み干し、「ご馳走様でした」の一言を口にして食事を終えた私は、空になった食器を洗いながら、以前友人に言われた言葉を思い出した。
友人は食べるのは好きだが、作ったり片付けたりする手間を嫌い、常に弁当や外食で済ます人だったので、真逆の私に疑問を抱いたのだろう。
確かに苦に思うことはある。
夏場に火を使えばより暑く、揚げ物など以ての外。
冬場は洗い物をする度、氷水のように冷たい水道水で手が凍てつく。
体調が優れない日は料理を休みたい。
この時間で読書やテレビを見てゆっくり過ごしたい時もあるが、趣味の料理を辞めることは決してない。
やはり料理は楽しいし、その日の疲れを癒やしてくれる至福の一時。
その為ならば苦も呑み込もう。
…ただ、独り暮らしを始めてから抱く不満は別だ。
私が料理に抱く不満。
それは量である。
食事は一人前だけで作り足りない。
米は夕飯と翌日の弁当分の二合のみで洗い足りない。
汁物に関しては一食分だけでは作るにしても少な過ぎる。
なら大量に作ったら作ったで消費し切れない上に、懐事情の問題まで発生する。
何処かに懐が痛まず、満足するまで料理が出来る理由でも転がっていないものだらうか。
解っている。
何事においてもそんな都合の良い話が早々ある筈がない。
洗い終えて濡れたままの食器類を布巾で拭きながら、胸中に渦巻く不満と諦めを溜め息と一緒に吐き出した。
……翌日には自身が望むような都合の良い理由が転がっているとも知らずに…。




