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AIが変えた世界で、僕らはもう一度働き始める  作者: 北野風人
『余った時間』

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第43話 庭の約束

 一舟は、教室の前に立っていた。


 今日は、地域センターの庭の発表だった。


 画面には、自分で撮った写真が出ている。


 花壇。


 煉瓦の間の草。


 そして、奥の白い花。


 「この花は、張さんが前に植えたものです」


 一舟は言った。


 「咲いたのは、五月の終わりでした。僕たちが最初に行った日は、葉だけでした」


 先生が尋ねた。


 「花の名前は、分かった?」


 一舟は、首を横に振った。


 「調べました」


 端末の図鑑。


 センターに残っていた、昔の活動記録。


 どちらにも、同じ花は出てこなかった。


 一舟は、探し方を説明した。


 端末の図鑑では、白い花の形から探した。


 花びらの数。


 葉の形。


 出てくる花は、どれも少しずつ違った。


 センターの活動記録は、古い紙の束だった。


 写真は白黒で、花の色は分からなかった。


 それでも、咲いた月の記録だけは、残っていた。


 「色は分からなくても、咲く季節は比べられました」


 一舟は言った。


 「でも、名前までは届きませんでした」


 一舟は、写真の画面に戻った。


 葉だけだった日の写真。


 その隣に、咲いた日の写真を並べた。


 「名前は分かりませんでした。でも、咲く前と咲いたあとが、並べて見られます」


 「見ていた人がいたからだね」


 先生が言った。


 「はい。張さんと、当番の人たちです」


 「張さんも、名前は覚えていないそうです。誰かから苗をもらって、植えたそうです」


 「じゃあ、発表ではどうするの」


 友達の一人が言った。


 「分かったことだけ、言います」


 一舟は画面を切り替えた。


 植えた人。


 咲いた日。


 水をやっていた人たち。


 分かったことは、三つあった。


 その下に、一行あった。


 花の名前は、まだ分かりません。


 「分からなかったことも、発表に入れました」


 先生は黒板に、二つの欄を書いた。


 分かったこと。


 分からなかったこと。


 一舟の発表は、両方の欄に一行ずつ入った。


 「分からなかったことを残すのも、調べた人の仕事です」


 先生は言った。


 「誰かが、あとで続きを調べられます」


 先生は頷いた。


 「それでいいと思います」


 一舟は席に戻った。


 変な気持ちだった。


 答えられなかったのに、怒られなかった。


 隣の席の子が、小さな声で言った。


 「花の名前、僕も気になる」


 「咲くのは、来年だって」


 「じゃあ、来年また調べよう」


 一舟は頷いた。


 分からなかったことは、来年への宿題にもなった。


***


 週末、庭に集まった。


 水やり装置の点検結果が、届いていた。


 保守の担当者が確かめて、使用できるという。


 フィルターの清掃が済んでいること。


 水の量は、土の様子を見て決めること。


 注意書きが、二つ付いていた。


 職員が、点検の書類も見せた。


 管の詰まりは、なかった。


 水の量は、手動で合わせること。


 暑い日に長く回すと、止まることがあること。


 注意は、三つ書かれていた。


 美玲が装置の箱を見た。


 「じゃあ、もう使えるんだ」


 「使えます」


 職員が言った。


 「活動の日に、どう使うか決めてください」


 子供たちは顔を見合わせた。


 張さんは、いつもの椅子に座っていた。


 「毎日これに任せたら、私たちは何を見に来るんだい」


 張さんが言った。


 「花が咲いたのも、誰かが見ていたから分かったんだよ」


 一舟は花壇を見た。


 土は、今日は湿っていた。


 「見るだけじゃ、分からない日もあるよ」


 張さんが言った。


 「指で、触ってごらん」


 一舟は土に指を入れた。


 表面は乾いていて、中は冷たかった。


 「中は、まだ湿ってます」


 「そう。だから、水の量は土が決めるんだよ」


 美玲も、指を土に入れた。


 「上は乾いてる。中は冷たい」


 「一舟と、同じだね」


 張さんが言った。


 「土は、正直だよ。触れば、分かる」


 「装置は、触らないもんね」


 美玲が言った。


 「装置は、決めた量を出すだけだ」


 張さんは、じょうろを手に取った。


 「だから、使う日は、人が決めるんだよ」


 「今日は、水は要らないと思います」


 「僕も」


 写真を撮りたい友達が言った。


 話し合いは、長くなかった。


 決まったのは、三つだった。


 装置は、暑さの厳しい週だけ使う。


 使う週は、前の週に皆で決める。


 ふだんは、当番がじょうろで見て回る。


 美玲が、当番の表を作ると言った。


 名前を書く欄と、土を見た印の欄。


 「水をやったかどうかだけじゃなくて、見たことも残そう」


 張さんは、じょうろに水を入れた。


 花壇の端まで運び、土に少しだけかけた。


 「今日は、これで十分だね」


 張さんが、じょうろを置いて言った。


 「この花ね、名前は知らないけど、誰からもらったかは覚えてるよ」


 「誰からですか」


 美玲が尋ねた。


 「向かいの家のおばあさん。今は、遠くの娘さんのところへ行った人」


 張さんは花壇を見た。


 「引っ越しの前の日に、『庭のある家にあげる』って、持ってきたんだよ」


 一舟は、その話を活動表の余白に書いた。


 花の名前は書けなかった。


 代わりに、苗を持ってきた人のことが、一行残った。


 職員が、活動表に書き加えた。


 約束の文が、表の一番下に残った。


 張さんはそれを読んだ。


 「機械は、休ませてもいいんだね」


 「うん」


 一舟は答えた。


 「僕たちも、雨の日は休むし」


 張さんは笑った。


 帰り際、一舟は白い花の写真を撮った。


 名前は、まだ分からなかった。


 写真の隅には、今日の日付が入った。


 張さんが、椅子から手を振った。


 「また来週ね」


 「当番、僕です」


 一舟は答えた。


 「土、見てきます」


 来週の当番は、もう決まっていた。


 装置の箱は、今日も静かだった。


 誰も、箱を開けなかった。


 開けない日も、決めたうちに入っていた。


 使う日だけが、約束ではなかった。


 その静かさも、約束のうちだった。


 使う日と、使わない日。


 どちらも、皆で決めたことだった。


***


 家に帰ると、夕食の支度が始まっていた。


 一舟は、学校の話をした。


 花の発表のこと。


 それから、発表のあとの質問のこと。


 「先生が、みんなに聞いたんだ」


 「何を」


 葉寧が尋ねた。


 「大きくなったら、何になりたいか」


 「一舟は、なんて答えたの」


 「答えられなかった」


 一舟は箸を置いた。


 「ほかの子は、決まってた。僕だけ、なかった」


 「パパは、子どものとき書けたの」


 一舟が尋ねた。


 「覚えてないんだ」


 林は言った。


 「書いたかどうかも、覚えてない」


 「ママは、書いたつもりって言ってた」


 「大人も、そのくらいだよ」


 林は、答えを急がなかった。


 葉寧が言った。


 「私も、子どものころに書いたことがあるよ。何を書いたか、覚えてないけど」


 「ママも?」


 「うん。決めたつもりで、書いたんだと思う」


 林が言った。


 「決まってないと、言えた?」


 「言った。分からないって」


 「それでいいんじゃない」


 「でも、宿題なんだ。将来のことを書くやつ」


 一舟は鞄から紙を取り出した。


 一行だけの欄があった。


 大きくなったら。


 その先は、白かった。


 一舟は紙を机の端に置いた。


 「今日は、書けない」


 「今日は、ね」


 葉寧が言った。


 「ご飯にしよう。冷めるよ」


 紙は、机の端に置かれたままだった。


 食べ終わるまで、誰もその話をしなかった。


 葉寧が、湯呑みを運んだ。


 林は、流しで皿を拭いた。


 机の端の紙は、まだ白かった。


 誰も、急がせなかった。


 急がせないことも、今日の答えの一つだった。


 片づけのあと、一舟は紙を引き寄せた。


 欄には、まだ何も書かれていなかった。


 代わりに、紙の裏に小さく書いた。


 ――分からない、と書いた日。


 日付を入れて、鞄に戻した。


お読みいただき、ありがとうございます。

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