第36話 残せるもの、待つもの
提示された金額を見て、林遠は家計の表を開いた。
退職後に不足する分を、しばらく埋められる。
簡易端末向けの教材機能を開発する依頼だった。
家で見た場面と、そこに残した疑問を、学習室の視覚端末へ引き継ぐ。
周敏から相談されていたことと、重なっていた。
回答期限は、翌日の正午。
受注できれば、退職後の委託業務として始める。契約と作業環境は雲衡が用意し、林遠は技術部分を担当する。
予定表へ作業を置いた。
最初の週が埋まる。
その上に、既存教材の移行支援が重なった。
修訂版を使い始めた施設から、照会を受ける時間も必要だった。
同じ時間に、自分の名前が二つある。
窓口へ確認すると、返事が来た。
『現時点では両方をお願いする想定です。調整案があれば、本日中にお願いします』
林遠は見積もりを開き直した。
金額は、変わらずそこにあった。
昼過ぎ、周敏から連絡が入った。
「来月の案内を出したいんです。今使っている教材は、予定どおり続けられますか」
旧版は、引き続き使える。
ただ、約束した範囲の問い合わせや移行確認には、人の時間が要る。
「夕方までに、窓口から返事を出します」
「お願いします。見守りを頼む人数も、そこで決めるので」
通話を終え、林遠は作業記録を並べた。
保存した場面を開く。
設定を合わせる。
同じ入力を与える。
結果を残し、差を調べる。
繰り返している操作は多かった。
河図に共通する手順を拾わせ、機械で再生できる部分を選ぶ。
固定した条件で場面を開く。
既知の値を持つ形状を測る。
期待する範囲から外れた結果を残す。
必要な設定が欠けていれば、測定前に止める。
林遠は、小さな試験手順を組んだ。
既存の記録を入力し、複製した環境で動かす。
仮想の机に、最初の部品が現れた。
測定線が伸びる。
値が保存され、次の場面へ移った。
隣の窓では、違う端末構成で同じ試験が進む。
三つ目で、一方が止まった。
必要な基準設定がない。
警告の横に、足りない項目が表示された。
以前なら、開いてから気づき、条件を確かめてやり直していたところだった。
林遠は椅子を寄せた。
止まるべきところで、止まっている。
設定を戻すと、最後まで進んだ。
次に、意図して異なる値を与える。
結果の差が残った。
手作業で確かめた記録と、順に照合する。
一致していた。
「ここは減らせる」
実行記録を窓口へ送った。
仕組みを作り、確かめる時間は費用に入れる。
それでも、次回からの反復操作は短くできた。
予定表を組み直す。
空白が少し戻った。
新しい仕事を置く。
まだ、重なる。
林遠は調整案へ打ちかけた。
一部の確認は、夜間に対応可能。
そのとき、エマから記録が届いた。
開発側の修正を調べるには、担当者が結果を読み、再現する時間も必要だという。
自分が夜に試験を終えても、そこで仕事は終わらない。
不備があれば問いが戻る。
説明を急げば、相手の時間も使う。
林遠は、書いた一行を消した。
予定した短い通話で、エマに自動再生の結果を見せた。
「反復する操作は、ここまで減らせます」
エマが記録を追う。
「差が出たものは、人が確認するんですね」
「はい。施設で手順を追えるかの確認も残します」
「では、その分は残して計算しましょう」
林遠は予定表を示した。
「それでも、全部は入りません」
エマは重なった帯を見た。
「新機能のうち、今ある検証結果を使える範囲は?」
林遠は依頼内容を開いた。
複数の教材。
複数の端末構成。
表示の改善と、学習記録の引き継ぎ。
そこから、一つずつ対象を絞る。
一つの基礎教材。
一つの簡易端末構成。
保存した疑問と観察位置を、施設側で再開するところまで。
新しい測定機能や、実物操作の評価は含めない。
小さくすると、必要な作業が見えた。
金額も、小さくなった。
「この案で、相談します」
窓口が先方へ送り、出資側の担当者から通話が入った。
「対象が減ると、予定していた利用先の全部には配れません」
画面には、最初の提案が出ていた。
広い範囲で使えることを期待して、予算を確保したという。
「残りは、いつできますか」
林遠は見積もりを見た。
「今の体制では、期日を約束できません。この構成で使えるところを確認し、その結果から次を見積もりたいです」
担当者が資料を読む。
「初期の金額は下がります」
「はい」
「その後の開発も、保証はできません。次の予算で改めて判断します」
林遠はうなずいた。
「分かりました」
担当者は、縮小した範囲で予算を組み直せるか確認すると言い、通話を終えた。
夕方、既存教材の支援枠が先に確定した。
反復操作を短くする分を織り込み、必要な確認と照会の時間を残す。
担当者と代替の窓口も入った。
周敏へ、予定した範囲で継続できると案内が送られた。
『ありがとうございます。開催の連絡を出します』
返事のあとに、準備の日程が届く。
林遠は保存した。
新規案件の最終回答は、まだ来ていなかった。
夜、葉寧に二つの金額を見せた。
最初の依頼と、範囲を減らした案。
葉寧は仕事の日程も開いた。
「小さい方で、家の支払いはどうなる?」
林遠は家計表を示した。
当面の支払いはできる。
余裕は減る。次の仕事を探す時間も必要だった。
「大きい方は、今の支援と重なる」
「人を増やせないの?」
「会社も探している。ただ、すぐ全部を任せられる状態にはならない」
葉寧は数字を見た。
「じゃあ、この額で来月の予定を考えよう。足りなくなってから知らされると、私も動けないから」
「うん。途中で一度、見直そう」
二人で日付を決めた。
葉寧が、空いた日の一つを指す。
「ここは、仕事を探す時間にする?」
「そうするつもり」
「分かった。私は、その日の学習会を申し込むね。迎えの時間も入れておく」
家計の横で、二人の予定が埋まっていく。
林遠は、自分が担当する迎えの時刻を確かめた。
翌朝、調整された依頼書が届いた。
一つの教材と、一つの端末構成。
表示と学習記録の引き継ぎを確認し、使える範囲を報告する。
続けて開発するかは、その結果から判断する。
提示額は、話したとおり下がっていた。
林遠は最後まで読み、契約担当へ同意を返した。
受領の連絡が届く。
予定表には、既存教材の維持と、小さくなった新しい仕事が並んだ。
重なりはなくなっていた。
昼前、周敏から開催案内の控えが来た。
参加する人。
指導する人。
子供を見守る人。
使う教材の版。
それぞれが確定している。
林遠は案内を読み、新機能の作業欄へ戻った。
家で残した疑問を、学習室の机の上で開く。
まずは、一つ。
完成させるものが、昨日よりはっきりしていた。
陳凱から連絡が入った。
「最終出勤日の確認を送った。明日、少し話せるか」
林遠は予定表を開いた。
退職の日は、通知を受けたときに入れたままだった。
「はい」
「退職後の作業環境も切り替える。今の社内権限は、そのまま残らないから」
「使う資料の範囲も、確認します」
「一覧を付けた。委託で必要なものは、別の権限で使えるようにする」
通話を終え、添付を開く。
返却する端末。
終了するアカウント。
会社に残す資料。
委託業務で利用を認めるもの。
昨日、試験を動かした環境は、返却する側に入っていた。
林遠は新しい仕事の一覧を横へ置いた。
同じ試験を、次の環境で再現できるか。
必要な資料は、承認された範囲へ移せるか。
設定と手順を、一つずつ結びつけていく。
委託用アカウントの欄には、発行予定とだけあった。
利用確認は、まだ済んでいない。
林遠は陳凱へ返した。
『最終出勤日の前に、新しい環境で一度、試験を動かしたいです』
送信して、確認済みの小さな形状を選んだ。
次の場所へ、最初に持っていく試験だった。
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