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AIが変えた世界で、僕らはもう一度働き始める  作者: 北野風人
『仕事を失った日』

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第11話 必要とされる人間

 返信が来たのは、午後五時を過ぎてからだった。


『技術支援は続けてもらいたい。ただし、退職予定の変更はまだ決まっていない』


 林遠は、その一文を二度読んだ。


 続けて、陳凱からもう一通届いた。


『明日、東都精機との技術会議を予定している。先方から、お前の参加を希望されている』


 林遠は画面の右上を見た。


 退職予定日まで、あと一か月あまり。


 十年以上前に自分が承認した変換仕様が、海の向こうの工場で使われている。


 その仕様を調べるために、自分が呼ばれている。


 なのに、会社の人員計画からは、もう自分の名前が消えかけていた。


「林さん」


 背後から声がした。


 振り返ると、陳凱が立っていた。


「まだいたのか」


「見積を整理していました」


「メッセージ、見たか」


「はい」


 陳凱は隣の空席に腰を下ろした。


「先方は、技術担当者を指定してきた。名前まで書いてある。林遠、と」


 林遠は黙っていた。


「今回の仕事は、会社としても大事にしたい」


「分かっています」


「ただ……」


 陳凱は一度、言葉を切った。


「人員削減の計画は、俺だけで変えられるものじゃない」


「はい」


「期待させるようなことは言いたくないんだ」


 林遠は陳凱の顔を見た。


 目の下に、薄い隈ができていた。


 最近、会議室で顔を合わせるたびに、少しずつ疲れが増している気がした。


「陳さん」


「何だ」


「明日の会議には出ます」


「ああ」


「ただ、退職後のことまで、今の立場で約束することはできません」


 陳凱はうなずいた。


「それでいい。契約は会社が考える」


 林遠は画面に目を戻した。


「一つ、聞いてもいいですか」


「何だ?」


「今回の仕事が終わって、次に同じ問題が出たら、誰が対応するんでしょうか」


 陳凱は答えなかった。


 林遠も、それ以上は聞かなかった。


 窓の外では、配送用の無人車両が道路を走っていた。


 以前は、あの時間になると運転手たちが建物の裏で煙草を吸っていた。


 今は、充電設備の表示灯だけが並んでいる。


     *


 夜八時十五分。


 林遠が帰宅すると、玄関に小さな運動靴が脱ぎっぱなしになっていた。


「一舟」


 返事はない。


 居間をのぞくと、息子の林一舟が机に向かっていた。


 画面には、学習用AIの説明が表示されている。


『解答の正確性:98.6%』


『推奨学習時間:あと12分』


「宿題か?」


「うん」


「難しい?」


「難しくないよ。AIが教えてくれるから」


 林遠は上着を脱いだ。


「じゃあ、父さんに一問教えてくれ」


「え?」


「今日、何を習ったんだ?」


 一舟は画面を見た。


「……ちょっと待って」


 指で何度か操作する。


「これ」


「読んでみて」


 一舟は問題を読み上げた。


 途中で止まった。


「答えは分かるんだけど」


「うん」


「どうしてそうなるか、忘れた」


 林遠は椅子を引いた。


「じゃあ、一緒に考えるか」


「AIに聞けば早いよ」


「そうだな」


「なのに、考えるの?」


「父さんが知りたいんだ」


 一舟は不思議そうな顔をした。


 林遠は紙を一枚取って、問題の図を描き始めた。


 息子はしばらく見ていたが、やがて鉛筆を持った。


「ここ、違うよ」


「どこだ?」


「この線。問題と長さが違う」


「あ、本当だ」


「父さん、ちゃんと見てよ」


 一舟が笑った。


 台所から葉寧が顔を出した。


「帰ってたの?」


「今帰った」


「ご飯、温めるね」


「ありがとう」


 葉寧は机の上を見た。


「珍しいね。二人で勉強?」


「父さんが問題を間違えた」


 一舟が先に答えた。


「それは大変だ」


 葉寧が笑う。


 林遠も笑った。


 食卓には、冷めた夕飯が並んでいた。


 少し前までは、帰宅すると仕事の通知を確認し、そのまま端末を開いていた。


 今夜は、息子の描いた線を見ていた。


     *


 一舟が寝たあと、葉寧は食卓に二つの湯飲みを置いた。


「会社の方、何か変わった?」


 林遠は、しばらく考えた。


「新しい仕事の話が来た」


「そうなの?」


「東都の会社から、俺を担当にしてほしいって」


 葉寧の表情が少し明るくなった。


「じゃあ、退職の話は?」


「それは変わってない」


「……そう」


 葉寧は湯飲みを両手で包んだ。


「今月の家計、整理してみたの」


 林遠は顔を上げた。


「住宅費と一舟の教育費。しばらくは大丈夫。でも、ずっと収入がないと困る」


「分かってる」


「転職の方は?」


「二社、返事待ちだ」


「前に面接したところ?」


「ああ」


「AI関連の経験が足りないって言われた会社?」


「そこも含めて」


 葉寧は小さく息を吐いた。


「あなた、毎日AIの仕事をしてるのにね」


「向こうが求めてるのは、別の経験なんだろう」


「そういうもの?」


「そういうものらしい」


 林遠は湯飲みを手に取った。


 茶は少し熱かった。


「今日、東都の人から名前を指定されたんだ」


「うん」


「ちょっと、うれしかった」


 葉寧は顔を上げた。


「それなら、うれしいって言えばいいじゃない」


「でも、仕事が決まったわけじゃない」


「分かってる」


 葉寧は少し笑った。


「うれしいことと、心配なことは、別でいいでしょ」


 林遠は湯飲みを置いた。


「そうだな」


「明日、ちゃんと話してきて」


「ああ」


「それと」


「何だ?」


「来週の土曜、私、勉強会に出たいの。一舟と留守番できる?」


 林遠は、すぐには答えなかった。


 葉寧は空になった湯飲みを食卓へ戻した。


「仕事が決まるまで、家のことを全部あと回しにはできないでしょう」


「分かった。予定を空ける。洗い物も、今日は俺がやる」


 林遠は湯飲みを二つ持って立ち上がった。


 葉寧は勉強会の案内を開き、参加の返事を送った。


     *


 翌日、東都時間の午前十時。


 佐藤と村瀬が会議室に入ると、大野は接続を終えていた。


 今回は陳凱も加わる、追加支援の正式な打ち合わせだった。


 共訳端末の画面に、林遠の顔が映った。


「これまでの調査、ありがとうございました」


 佐藤が頭を下げると、林遠も応じた。


「こちらこそ。今日は共有済みの表を使って進めましょう」


 村瀬が点検写真を開いた。


 機械側の変化と評価条件の問題は、関連を決めつけずに調べると説明する。


 林遠はうなずき、旧仕様の対象用途を示した。


「当時、補正評価への転用は考えていましたか」


 佐藤が聞いた。


「具体的には考えていませんでした。だからこそ、対象用途を残したつもりでした」


 林遠は一行を拡大した。


『履歴参照および保守診断用途を対象とする』


「ただ、書いて残しただけで、将来も伝わると思っていました。今の使われ方までは、追えていなかった」


「更新のたびに、前提が見える仕組みが必要ですね」


 村瀬が言った。


「僕も、今回の表がなければ同じ資料を探し直すと思います」


「次の人が使えるか、試してもらえますか」


 林遠が尋ねた。


「私の説明を聞いていない人にも」


 大野は少し考えた。


「成果物に入れましょう。調査結果だけでなく、参照先と判断条件を残す。確認作業の工数も見積にしてください」


 佐藤は画面の林遠を見た。


「林さんがいなければ、もっと時間がかかりました」


「今回はそうかもしれません。でも、次も私を探さなければいけないなら、終わったことになりません」


 陳凱がメモを取った。


 林遠は自分の名前が何度も残る資料を、別の人でも使える形へ直そうとしていた。


     *


 会議が終わる直前、大野が言った。


「林さん。追加支援については、正式な契約手続きを進めています」


「ありがとうございます」


「可能であれば、継続して担当していただきたいと考えています」


 林遠は一瞬、言葉を止めた。


 画面の端で、陳凱が姿勢を正した。


「担当体制については、弊社で調整いたします」


 陳凱が答えた。


 大野はうなずいた。


「承知しました。契約と担当者の確定は、会社間で進めましょう」


 林遠は軽く頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 佐藤は、画面の向こうの林遠を見た。


 何かを言いかけて、やめた。


 技術の話なら、いくらでもできる。


 だが、相手の会社の雇用について、自分が軽々しく口を出すべきではない。


 代わりに、佐藤は言った。


「林さん」


「はい」


「また、技術の話をさせてください」


 林遠は少し驚いたような顔をした。


「もちろんです」


「今度は、もう少し時間を取って」


「そうですね」


 二人は笑った。


 接続が切れた。


 村瀬が椅子にもたれた。


「林さん、すごいですね」


「何が?」


「昔の仕様を、あんなに覚えてるなんて」


「覚えているだけじゃない」


 佐藤は資料を閉じた。


「何を確認できて、何を確認できていないか、ちゃんと分けて話してた」


「ああ……」


「そこが大事なんだ」


 村瀬は少し考えてから、うなずいた。


     *


 瀾華時間、午前九時五十分。


 会議を終えると、林遠は小趙へ共有表を渡した。


「説明なしで追えるか、読んでほしい」


「分からないところに印を付けていいですか」


「そのために渡すんだ」


 数分後、小趙は二か所を示した。


「ここは旧番号しかありません。あと、この『同条件』が何を指すか分かりません」


 林遠は自分の文を読み直した。


 知っている人間には短くて済む言葉が、後から来る人には通じない。


「ありがとう。そこから直そう」


 人事の引き継ぎ通知を開き、成果物へこの表を追加した。


     *


 瀾華時間、午後二時十分。


 小趙が製品系列の照会一覧を示した。


『評価モデル更新後の応答差異について』


 アステラ地域技術支援窓口。


 三週間前の問い合わせだった。


「共通仕様の概要だけ見られます。設備データは別管理です」


 林遠は概要を読んだ。


 旧履歴データを使った評価で、予測と現地計測に差があるという。


「同じ変換系列か、製品担当に聞こう」


「版が違う可能性もありますね」


「そこも含めて」


 小趙は顧客固有データを求めず、仕様と適用範囲の確認に絞って照会した。


 林遠の端末に、陳凱から契約協議を始めたとの連絡が入った。


 雇用の扱いも人事に確認するという。


 まだ何も決まっていない。


 それでも林遠は返信を書き、次の調査を予定表に入れた。


 東都の比較表の隣に、アステラの照会番号が並んだ。


 この変換処理が使われている場所は、ほかにもある。


 林遠は製品系列図を開いた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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