第一話
あれはまだ、学院の初等部に通う前だった。
『ペトラは友人だ』
そうきっぱりと言われて散った淡すぎる初恋を終え、学院の高等部まで卒業した私は現在、男女の友情は成り立つのか、という至極どうでもいい議題を下地に婚約者から詰られている。
「――だから、ヨランダは友人なんだ。性別なんて関係なく、大切な」
「はあ」
「ペトラ様、本当なんです。わたしたちに疚しいことなんて一つもありません。神に誓って噓偽りなく」
「はあ」
これが始まって、かれこれ一時間くらいだろうか。いや、意外とたっていないのかもしれない。詰まらない時間はひどく長く感じると言うから。
今日、私は同性の友人と最近流行りのカフェにやってきていた。貴族用に作られたそこは、各家が開く大規模であったり格式高かったりするサロンとは違って、数人でのお茶会が気軽にできると特に若い貴族令嬢たちに好まれている。彼女とは、半月前から約束をしていた。しかし彼らがやってきてごちゃごちゃと騒ぐので、謝罪をし帰ってもらった。彼女は「あたくし、残ってもよろしくてよ」と、私を一人にすることを心配してくれたが、そんな申し訳ないことはできない。
自分たちの主義主張をするのが精一杯の彼らは、ここがカフェであるのに注文の一つもしないので仕方なく私が二人分の紅茶を頼んだ。その際、控えている自家の侍女に指示してカフェの給仕に迷惑料も含めて支払うと伝えた。貴族が使う店は基本的に後払いであるから、迷惑をかけた分も家に請求してくれと言ったのだ。給仕は一瞬だけ同情したような視線をこちらに寄越したが、そこはプロである。すぐに笑顔で引き下がってくれた。
「……さっきから生返事ばかりだが聞いているのか、ペトラ」
「ええ、まあ、そうですね」
聞いてはいない。けれど、内容は分かっている。代り映えのないその主張を聞かされたのは今回が初めてではなかったから。私は、友人と飲むはずだった紅茶を口に運んだ。ぬるくなったそれは、それでもいい香りがしてほんの少し心が和んだ。
私の前で顔を顰めている青年は、ペコラ子爵家の三男でコリーという。私の婚約者で、我がアルマトゥーラ伯爵家に入り婿する予定だった人だ。そしてその隣に座るコリーの友人だというのは、セルペンテ男爵家の三女、ヨランダである。つまりこのテーブルには、伯爵令嬢である私と子爵令息であるコリー、そして男爵令嬢であるヨランダが座っていた。……それにしてもやはり、不思議な組み合わせである。
「それで?」
「……は?」
「は、ではなく。それで、なんです?」
「なんです、って、君、本当に今までの話を聞いていたのか⁉」
「聞いていたけれど、二人が友人である、以外に何が言いたいのかが分からなくて。それで、だからなあに?」
急に大声を上げたコリーに対し、私は微笑みながらわざとゆっくり言葉を吐いた。まるで小さな子どもに聞くように。これはもう、単純に意地悪である。性格の悪さが出てしまうなと内心苦笑してしまったが、まあいい。お互い様だ。
「はあ、これだから君と話すのは疲れる……!」
「コリー、そんな言い方をしては駄目よ。……あの、ですが、ペトラ様。コリーはつまり、私たちは友人であるから疑うな、と申しておりまして」
ヨランダに諌められたコリーは不貞腐れて視線を外しているが、もう、本当にどちらが婚約者か分からない。初めて我々を見た人々は、十中八九ヨランダとコリーが婚約をしていると思うだろう。しかしそうではないのだから、人生ままならないものである。私はそっと、ため息を吐いた。
「はい、存じ上げおりますよ。貴方たちは友人。……だから、それで?」
いつもなら、適当に煙に巻いて退散するのだ。話の通じない相手を真正面から対応するのは面倒であるから。しかし初めからそうであった訳ではない。きちんと対話をし説得をし、父からも家から家へという形で抗議してもらった。私がやれることは、この十年の婚約期間の中でおそらく全てやっただろう。努力が足りないと誰かが言うなら、貴方が代わりにやってくれと返すつもりだ。私はもう、彼に対して努力をする気はない。
けれど、今回は退散しない。家同士の協議は既に終わっている。何故、それをコリーが知らないのかは、もう知ったことはない。
ここは、公共の場だ。密会をするような特別なレストランでも緘口令がしける自家の一室でもない。貴族用に作られて多少のプライバシーを守る為の衝立があるとはいえ、ここはカフェで、衝立の向こうには人がいる。それも、貴族だ。噂は瞬く間に広がるだろう。
あちらがおかしいと主張したとて、噂には尾ひれがつくものだ。そして真実など誰も欲していない。ただ面白ければそれでいいのだから。つまり結局は、私にとっても不愉快な噂が出回るのはもう避けられないということだ。ならばこちらだって最後にやり返すくらいはしなければ、いつまでたっても溜飲を下げられない。
「それでどうして、この場所に? わたくしは本日、貴方たちのどちらとも約束などしておりませんが」
「だからだろう!」
「だから、なんです?」
「っ、だから、婚約者である僕が今日観劇に誘ってやったというのに、君が意地を張ってこないというから!」
「わたくしは本日、友人と約束がありますと申しました。貴方たちが騒ぐので帰っていただきましたが、以前から約束していたことでした。一昨日に急に言われましても、予定は開けられませんわ。台無しになりましたが」
やはりにこりと微笑んで彼らの行いがいかに非常識であるかを叩きつけてれば、コリーは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ああ、もう我慢ならない! 君は僕と結婚するということを理解しているのか⁉」
「はあ」
「またそれだ、いい加減にしてくれ!」
「コリー、落ち着いて。大声を出してはペトラ様が怯えてしまうわ」
「怯える? この期に及んでも笑みを崩さないこの女傑のような人が? よく見ろ、ヨランダ。彼女が本当にそんなか弱い女性に見えるか⁉」
「そ、それは……」
ちらりとこちらを見たヨランダは、薄い笑みを隠すことに失敗しながらももう一度コリーに向き合って首を振った。
「それでもよ。ペトラ様はきっと、そう、何か勘違いをしてらして……。何にせよ、貴方の結婚相手だわ。紳士的に振る舞うべきよ」
「僕はずっとそうしてきた。ずっとだ。君との下種な噂が流れた時も真摯に説明をした。今だってそうした。けれど彼女はどうだ? ずっと、はあ、はあ、ってそればかりだ。伯爵位は確かに子爵位より上位だ。だが、それで毎回こんなに下に見られて、不当に扱われて。入り婿してもこれが続くと思うと、僕は……!」
「コリー……」
コリーは顔を顰めてそのまま泣きだした。まったく驚くべきことに、彼が泣いたのだ。泣きたいのは私である。こんな場所で感情も制御できず、お友だちの女の子に慰めてもらって、何がしたいのか一から十まで説明してほしい。
そう私が白けていると、ヨランダが勢いよくこちらを向いた。
「ペトラ様、お願いします! コリーをもっと大事にしてください!」
「大事って?」
「っ、だから、婚約者の誘いを断ったりしないでください! ペトラ様がわたしたちの関係をよくないと思っているのは知っています! でも、わたしは本当にそんなんじゃないんです! それに……。それに、わたしは結婚したら外国に出るんです。だから、だから……っ!」
コリーにつられたように泣き出すヨランダは、まるで悲劇のヒロインだ。コリーと合わせて悲劇のカップルだろう。彼らが実際に恋愛関係にあるかないかは別として、やはり一般的に彼らは恋人同士に見える。ここが舞台であるならば、クライマックスだろう。悲劇であるなら更なる追い打ちが、喜劇であるなら都合よく悪役が足を滑らせて退場しハッピーエンドになるかもしれない。いや、まだもう一波乱あるだろうか。
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