23歳65_Invisible scars
食事とマッサージの時間が終わり、桜蓮に誘われるがままに部屋にお邪魔した。
今度のアイルランド行きのことで、一緒に調べものをしようという話になったからだ。もちろん浮草もついてきたので、それとなく問いかけた。
「燈火さんに話さないと詳しく決められないけどさ、浮草はイギリスのご家族の家に行きたいの?」
「まあ、ついでだからね。日本からじゃアイルランド直通はないみたいだし、一番近いイギリス経由になるならって感じかな」
「そっか。どうせならイギリスにも行ってみたいな」
お茶の産地付近で生まれたこともあり、紅茶の本場には多少なりとも興味はあった。
「飛行機が落ちなきゃいいね」
「その時は浮草も道連れよ」
「あの、物騒な話しないでくれる?」
パソコンをいじっていた桜蓮が怪訝な目を向けてくる。これは失敬。
「八月のアイルランドのダンスなら、多分これかな。首都付近で大きなイベントあるみたいだし」
浮草が目を輝かせて言う。
「おー。動画あるんだ。ちょっと流してみてよ」
昨年のイベントの舞台の動画がある。集団の演目のようで期待してしまった。
浮草の希望に沿って桜蓮が再生し、音量を調整した。
これだ。これというか、これに似ていたやつが私の興味を引いたんだ。
集団による音の統一感、階段を駆け降りるような音の並びによる耳への心地よさ。そして、全員が同じ姿勢でステップを踏んでいるのがわかる。
タップダンスとは違うこの高速感、アイリッシュダンスの本場というのがよくわかる動画だった。
「やっぱ音がちょっと違うんだね。金属じゃなくて何かこう、硬いものの音だけど尖ってない感じがする」
「浮草は耳がいいよね」
「目も同じくらいよければねぇ」
幼馴染で親友という二人の会話が心地よい。距離感のない二人ってこんな感じなんだ。
さっきお姉さん扱いされた余韻が残り、二人を見守るような気分になる。後ろから見ていてあげよう。
「連理さん何してるの? 小さいんだから前に来ないと見えないでしょ」
「……はい」
浮草の気遣いに傷付いた。
へぇ、チェスの大会もやるんだ。日本の将棋はプロ所属の連盟が色々主催しているけれど、外国のチェスは路上で小さなイベントがちょくちょく開催されているらしい。
「面白そうだね。行くまでにチェス勉強しておこうかな」
「連理さんクラスが本気でやったら、どこまで強くなるんだろうね」
「わかんないよ。将棋と頭の使い方違うみたいだし、案外向いてなくてカモにされちゃうかも」
「チェスの基本の本あるけど、読んでみる?」
「いいの?」
桜蓮が立ち上がると浮草が椅子に座り、近隣の地図を見はじめた。オンライン観光気分だ。
「はいこれ。簡単な戦術本だけど」
「おぉー、ありがとう。いやぁ、こういう基礎練習本懐かしいなぁ」
持っていた詰将棋本をはじめ、将棋関係の書籍は全部糸遊に渡している。いつかは返してもらうつもりではあるけれど。
「何なら私が使ってるオンラインの対局サイト、これのURL送っておく?」
「うん。気がついたら桜蓮と当たってた、なんてことになるかな」
「その時はお手柔らかにね」
「こっちのセリフだよ」
ルールを知っている程度でセオリーはこの本で学ぶ段階だ。将棋の経験があっても、そう易々と勝たせてはもらえないだろう。
浮草が桜蓮にひそひそと話しかけている。
「あの顔、まーた卑屈なこと考えてるよ」
「本当、連理さんすぐ顔に出るよね」
「お二人さん、聞こえてるよ」
隠す気がないことはわかっていた。二人の会話が続く。
「オペラの声楽隊の練習も近くでやってるんだ。へぇ、私声低いから高い声の出し方とか教えてもらいたいな」
「浮草の声綺麗だから変なことしなくていいのに」
「変なことじゃなくて、もっと高音も出したいなって話。采女ちゃんみたいに、色んな声出せたら楽しいんだろうなぁ」
「采女ちゃんは器用だよね。ちょっと小柄なこと以外、何でもできる感じだし」
「近くにもっと小さいのがいるから、それも悪目立ちしないしね」
私はチェスの本を開きながら聞いていた。全部聞こえているし、全部覚えておくよ。
実のところこっそりと嬉しく思っていた。アイドルとして人気を持っている二人に、采女が褒められている。心の中で采女を誇らしく思った。
采女のことを考える。学業成績とセクハラが問題だ。エンタメに振り切り過ぎている。将来が心配になった。
すまん、采女。やっぱりあんたのことは、手放しで喜んであげられないよ。
「連理さんはダンス以外の目的はないの?」
不意に浮草に話しかけられた。ダンス以外? うーん、元々燈火さんのお誘いだから、他への興味はあまりなかった。
「まあ、このチェスくらい? しばらく暇になるから、燈火さんに何があるか色々聞いてみるよ」
「そっか。その人何度も行ってるんだったね。直接会う時私たちも連れてってよ」
「いいよ。旅行前に顔合わせして、食事しながら相談したいし」
桜蓮も興味を示して口を挟んでくる。
「それ、Lotusのライブのあとだと助かるな」
「そうだね。燈火さんは暇じゃなさそうだし、来月のどこかで予定聞いておくよ」
燈火さんとはジムとダンススクールで頻繁に顔を合わせている。この二人とも顔見知りのような距離感だと思っていたけれど、直接の面識はなかったはずだ。
「木蓮姉さんから綺麗な人って聞いてるから、会うの楽しみ」
「連理さんはやべー女って言ってたよね?」
「そうそう。浮草にネットリテラシー叩き込んでほしいと思ってたんだよ。この間セクハラコメント連続でして、アカウントBANされてたから」
「本当にやべー女じゃん。大丈夫なの?」
浮草も大概だよ。言いかけてとどまった。変に挑発するとすぐに言い合いになってしまう。
「まあ、普段は清楚で可憐って感じの超美形だから、離れて見る分にはいい観賞材料だよ」
「ふーん。睡蓮さんとどっちが綺麗?」
「ジャンルが違うからなぁ」
ただ、並べてじっくり見てみたい気持ちはある。睡蓮、燈火さん、そして凌乃。三人違う美人だ。並べて写真に収めたらお金になりそう。
悪い金儲けを考えてしまった。亜嵐さんにお小遣い稼ぎとして提案するのも悪くない。
「また悪い顔してる」
「そんなに顔に出てた?」
「うん。凄く卑しい顔」
立て掛けられていた鏡を示された。別に普通じゃないか。
なおもいじろうとする浮草を振り切り、アイルランドと燈火さんのことはまた後日と伝えて部屋を出た。今日は睡蓮と会う目的で来たんだ。もう少しお話したかった。
睡蓮は部屋に戻っていなかった。まだ何か食べているんだろうか。そう思ってさっき食事したテーブルを覗くと、姉妹で腕相撲をしていた。
行動の予想がつかない姉妹だ。桜蓮はこんな変な姉を二人も持って大変だろう。
木蓮さんが勝った。睡蓮が洗い場に向かう。そういうことね。
「連理ちゃんどうしたのー? 部屋追い出された?」
「話が終わっただけだよ」
「じゃあ、裏庭連れてってあげるよ。靴持ってついてきて」
木蓮さんに連れられて裏庭に出た。表の庭の何倍の広さがあるんだろう、奥のフェンスまでの距離がわからなかった。
「広いねー」
「大したものはないけどね」
「それがまたいいですなぁ」
「お、わかりますか」
家の影になっているベンチに並んで座った。いい景色だ。
「あのフェンスの先も私有地だったり?」
「内緒」
この言い方は肯定の意味だろう。やっぱりお金持ちだ。
「よーし、水やりしてくるねー」
立ち上がってホースを手にする木蓮さんを見送る。いいなぁ、こういう広い庭。犬とか飼って一緒に暮らせたら毎日退屈しなそうだ。
水やりをする木蓮さんをぼんやりと見つめた。絵になる人だ。
「お姉ちゃんをいやらしい目で見てない?」
「まあ多少は」
「あはは、はいお水」
睡蓮がお盆にコップを持ってきてくれた。ありがたく一杯いただく。
「ところで、今日来た目的は何だったの?」
「え? 単純に、遊びに来てみたかったから」
本当は結葉と糸遊が泊まるかもしれないと聞いて、先にお邪魔したかったからだ。
水をぶちまけて楽しそうな木蓮さんを二人で眺める。あれがあの人の発散方法なのだろうか。
そういえばと、睡蓮が口を開いた。
「この間のライブさ、そんなに感動したの?」
「どういうこと?」
「だって連理ちゃん、いつもならライブのあとは満足そうに笑うからさ。私、そんなに特別なことしたかなーって」
「まあ、それ以前にも色々あってね」
「泣かされたんだ?」
「大人の男二人に無理矢理ね」
「え!?」
「将棋の師匠絡みだよ。変な話じゃないから大丈夫」
「もう、変な言い方しないでよね」
いらぬ心配をかけてしまった。ちょっと悪ふざけがすぎたようだ。
「ごめんごめん」
「どんな話したのか聞いていい?」
「まだ駄目かなぁ」
「まだなんだ」
「うん。簡単に言うと、本音をぶちまけたって感じ。今はそれだけね」
「えー、それだけなら聞きたくなかったなぁ」
「覚えていたら、いずれね」
「じゃあ、旅行からはちゃんと帰ってきてもらわないとね」
「それなんだよねぇ。飛行機に乗るの初めてだから、ずっと不安なんだよ」
私以外、誰も心配していないのが不思議でならない。そんなに安全なものなんだろうか。
「わかった。そんな連理ちゃんにお守りをあげよう」
「お守り?」
私の後ろに回り込んだ睡蓮が何かを首に引っ掛けた。そして髪の内側にそれを通すと、金具をいじって装着が終わる。
「磁気ネックレス。デザインは地味だけど肩凝り軽減効果ありの優れモノだよ」
「睡蓮の中古?」
さっきまで睡蓮がつけていたやつだ。
「中古呼びは酷くない? デザインはシンプルだけど、結構いいものなんだからね」
「ほー? もらっていいの?」
「うん。だから、ちゃんと帰ってきていつかお話聞かせてね」
「わかった」
この胸だ、肩凝りは全くないわけではない。ありがたくいただこう。
「それに、連理ちゃんは普段から飾り気がなさすぎるんだよね」
「面倒なんだよね、そういうの」
「スーツで人前に出るお仕事もしてるんだから、もう少し気を遣いなよ」
「うー、考えとく」
アクセサリの類は結葉と凌乃に相談するべきだろうか。瑞香さんも耳にピアスをしているし、大人の嗜み的なものだろう。
「あー、肩凝ってきたなぁ」
「そんなにすぐ影響する?」
肩を捻りながら何とかしろという睡蓮のアピール。ネックレスのお礼だ。ちょっと揉んでやろう。
睡蓮と入れ替わり、今度は私が後ろに立った。
軽くトントンと叩き、緩い力で軽くほぐしてやる。
「あーごくらくー」
「髪が白いからお婆ちゃん相手にしてる気分だよ」
「気持ちいいからお婆ちゃんでいいや」
今日は遊びに来たはずなのに、いったい何人にマッサージするのだろうか。




