第3話 支倉優斗 前編
さてと、用事は済んだ。
どうせもう一回荷物を運んでこなくちゃならないんだけど、一人でやるのは切ないので遙香が帰ってくるのを待った方がいいか。
というわけで、僕は暇人に逆戻りしてしまったわけだ。
とりあえず、 羽代商店を出る。
暖房の効いた店内から外に出ると、 空気の冷たさに少しびっくりする。
心なしか肩をすぼめて歩き出すと、遠くの方からドッドッドッ、と力強いバイクの排気音が聞こえてきた。
恭子さんのバイクだ。 大型かなこれ。エンジン音も止まりそうで止まらない感じ。
「優斗くんおーっす」
ボンボンボン、 とバイクが僕の前で停止する。
いつか、誰からか「エンジン音は腹ん中の赤ん坊の心音と同じだ」と聞いたのを思い出した。
その類のバイクか。
「どもっす。サボリっすか?」
「なによその言い方。ゾッキー扱いしないでくれない?」
「いや、なんとなく雰囲気で」
「まあいいか。私はただの外回り。で、優斗くんは?」
「僕は.、宅急便の伝票取りに」
「それならウチにけっこうあるよ?」
「どこあるかわかんなかったんで」
「居間のちっちゃいたんすの二段目だけど、ま、あって困るものではないわね。で、これからどうするの?」
「どうってことはないですけど……正直ヒマです」
「ふむ。ならお姉さんがツーリングに連れて行ってあげよう」
「わーい。でもいいんですか?」
「ひとつ厄介な案件を抱えててね、君をぶつけたらひょっとして上手くいくんじゃないか、と思って探してたのよ」
「へえ。いったいどんな?」
「ん? 東京から来たイケメンなら誰にでもできる簡単なお仕事よ。いいから乗って乗って!」
「うぇ?」
恭子さんの勢いに押されて、結局僕はそのお仕事とやらの詳細を聞かされないままバイクの後部座席に乗せられてしまった。
ぽん、とフルフェイスを手渡される。
それをかぶり終わるや否や、恭子さんがクラッチをミートした。
「それいっ」
「あひぃいい!?」
乱暴極まりないロケットスタート。
僕は必死で恭子さんの腰にむしゃぶりつく。
車道に雪は残っていないし、路面も乾いている。
恭子さんは、こんなコンディションでは北海道のどのライダーも当たり前にやるやり方で――つまりスピード出し過ぎで――
僕は振り落とされないようにするので手一杯で、もうすぐ春を迎える北の町の景色を楽しむ余裕なんてなかった。
ツーリングは、五分もせずに終わった。
歩いてこられるくらいの距離しか走っていない。
恭子さんは横着なのかそれともこの距離を歩く時間も惜しむくらいに忙しいのか。
ともあれ、 僕が連れてこられたのは町役場だった。
僕を下ろした恭子さんは、どもどもー、と同僚に軽い挨拶を交わしながら役場の奥――観光課と書かれたオフィスへと僕を連れていった。
「みなさん目が死んでますね」
「そりゃそうよ。限られた人員で日々の業務をこなしつつお祭りの準備だからねー」
「はぁ……」
「ささっ、座って座って」
恭子さんに促されるまま僕は二世代くらい前のパソコンが置かれたデスクに座らされる。
「で、僕に何をやらせようっていうんですか?」
東京と容姿が関係するみたいなことを言ってたけど、たぶん嘘だろう。
「それはね……ん、しょっと」
恭子さんは近くの棚から青い分厚いファイルを何冊も引っ張り出してきて、それを僕の座るデスクの上に高々と積み上げた。
「これ全部ふれあいフェスティバルの予算関係の書類なんだけど、このパソコンに打ち込んでおいてくれるかな? 私はまだ外回りの仕事が残っててねぇ……」
「別に構わないですけど、これって学生――いや、部外者にやらせても問題ないんですかね」
僕はそう言いながら一番偉そうな位置に座る風通しのいいおっさんに視線を送ったのだけれど、ばっと顔を反らされた。
どうやら見て見ぬフリをしてくれるらしい。
こんなんでいいのか、この役場。
「夕方くらいにまた迎えに来るから」
「別に近くなんで歩いて帰りますよ」
「まあまあ、遠慮しないで」
「ぶっちゃけ、恭子さんのバイクに乗りたくないっす」
「まあまあ」
「そんな官民もたれ合いみたいに言われても……」
「とにかく、私が戻ってくるまでここで待ってなさいな」
「……はい」
「じゃ、あとよろしくー」
そう言って恭子さんは手をひらひらさせながら役場を後にした。
かくして僕は、恭子さんの仕事を手伝い――いや、肩代わりか。することになったのである。
◇
陽が落ちかけた頃になると恭子さんが戻ってきた。
「ただいまーって、あれ? 優斗くんは休憩中? それともサボり?」
僕がブラックコーヒーを片手にくつろいでいるのを見て、そんな風に言ってくる。
「休憩といえば休憩ですね」
「ふぅん。で、どこまで終わったの?」
「どこまでって。全部ですけど?」
「……はい?」
恭子さんはぽかんとした表情で固まる。あまり見たことのない顔だ。
実際、デスクに山と積まれたファイルはもう一冊もない。
「う、嘘よっ、だってアレ、私の三日分はあったのに……」
あなたはそれを僕を肩代わりさせる気だったんっすか。
「まあそんなことはいいんで、さっさと帰りません? ここにいるとまた――」
その続きを言いかけると、例の風通しのいいおっさんが慌てて近寄ってきた。
恭子さんが出ていくまで我関せずって感じだったのに、数時間前から僕に対しグイグイと来るようになったこのおっさん。ほとほと困っていたところだった。
「支倉くんっ! よくぞ戻ってきた!」
「か、課長!? どうしたんですか、そんなに慌てて」
どうやら彼のターゲットは僕から恭子さんに移ったようだ。重畳重畳。
「彼、キミの甥っ子なんだって!?」
「え、ええ……まあ……」
「なら、私と一緒に彼を説得しよう! この春から役場に勤めてもらうように!」
……訂正。彼は単に援軍を要請していただけであった。
僕は恭子さんの置いていったファイル群を約二時間で処理し終えると、それを見ていた周囲の職員たちに、あれもこれもと仕事を押し付けられ、挙げ句の果てにはヘッドハンティングされるというこの始末。
おっさんは唾を飛ばしながら恭子さんに、彼の才幹を生かせばいずれこの町を背負って立つ人間になれる、とか、スケールの大きいのか小さいのかよくわからないことを熱弁していた。
正直、ありがた迷惑というやつである。
「ううむ……ある程度できる予想はしていたけど、まさかここまでとはね……。ということで優斗くん、進学は辞退して公僕に――」
「ああ。嫌ですね」
「即答!?」
「もう入学金とか納入した後なんで」
「それなら町の予算で補償を……」
横から顔を出したおっさんがとんでもないことを言い出す。ホントに大丈夫なのか、この役場……
結局、大学を卒業する頃になったらまた改めて考える、と適当に口約束をして彼らには渋々ながらも納得してもらった。
「じゃ、帰りましょっか」
「そうですね。でも帰りは安全運転でお願いしますよ」
「いつも通りってことね」
「さようなら、叔母さん」
「ちょ、うそうそ! 帰りはゆっくり走るから!」
こうして三人暮らしの初日は、けっこう慌しく過ぎていった。
あのあと、バイクで帰宅した僕は父さんの荷物を送り返し、遙香に誘われて一緒に夕飯の買出しに行き、さらには男手があるうちにと恭子さんに部屋の模様替えを手伝わされた。
もうへとへとになってしまった僕は、手早く晩ご飯を済ませると、そのままフトンに入ってしまった。
五年ぶりの元・僕の部屋。見覚えのある天井と、馴染みの浅い羽毛布団。
電気を消して真っ暗な部屋で見えない天井を眺めていると、僕は自然、向かい向かいの商店の幼馴染のことを思い出した。
久しぶりに会った彼女は、随分と変わった気がする。けど、変わったのは外見だけだったかもしれない。結局僕の知っている幼馴染の姿とぴったりと当てはまっていたから。
……そんなことを考えてるうちに、僕はいつしか意識を失っていた。