エピローグ
5月4日。
『ようやくこちらも桜が咲きました。
……って、そっちではもう完全に散っちゃってるよね。
札幌は今が丁度お花見シーズンです。ゴールデンウィーク中にお花見、なんてよくよく考えてみると凄い偶然ですね』
すっかり花が散ってしまったキャンパス内の桜並木を見上げた。
青々とした葉がこれから来る夏を涼しげに飾るのだろう。
ゴールデンウィークなんてものは、あったようでなかったようなもんだ。
僕はそれほど、まだ慣れない大学に順応しようと必死だった。
◆◆◆
8月13日。
『今日は大学の図書館で書いてます。
やっぱり図書館て涼しくていいわよね。
そちらは天気予報で三八度と聞きました。信じられません。
こっちも日に日に暑さが増してます。海とか行きたいなぁなんて思ったけれど。
あ、海といったらやっぱり浜ジンよね』
東京湾なんて泳ぎたくもないけれど、多摩川くらいには飛び込みたいと思わせるほどに今年の夏は暑かった。
テレビに湘南海水浴場の映像が映るたびに行きたいなあとは思ったけれど、そんな暇もないくらいレポートの作成に追われていた。
ちなみに浜ジンとは、海岸で行うジンギスカンのことだ。
◆◆◆
10月1日。
『なんだかもうすっかり秋ですね。
大学の木々は既に赤く染まって散り落ちてます。
この前教授が落ち葉で焚き火をしていたら、強風に煽られて小火騒ぎが出て大変だったんだよ。
あ、でも優斗もそういうことやりそうだよね」
段々と色づいてきた木々の葉をみて、向こうはもうそんな季節かと感じた。
東京はまだ完全に色づいている、というほどでもない。
けれど、それもすぐ変わっていくのだろう。
一枚落ちてきた枯葉を踏みつけると、ぱりっと小気味のよい音を立てて、それは砕けた。
近づく冬の足音が、すぐそこまで聞こえているような、そんな気がした。
◆◆◆
2月10日。
『すっかり寒くなってきたね。
こっちは上富良野とは違ってそこまで酷くはないけれど、
やっぱり雪が凄かったです。
今はちょうど後期のレポートに追われてるところだけど、
優斗はもう終わったかな?
私の方はもうすぐ一段落つきそうです。
PS.次に会ったらチョコの感想聞かせてね?』
目まぐるしく季節は巡り、一年が過ぎた。
あれから春を越え、夏を過ぎ……木々が紅く染まり、そしてまた冬が来た。
日を追う毎に暖かさは消え、寒さが身を包むようになった。
年末には東京にも積もるほどの雪が降った。
街道沿いに溜まった雪を見るたびに、僕は遠く離れた北の町のことを思い出す。
僕はその華凜からの手紙を、かじかむ手と一緒にコートのポケットへと忍ばせた。
大学は思ったよりもきつかった。
大学生なんて遊んでいるイメージばかりあったけれど、とてもじゃないがそんな余裕はなかった。
いや、それでも僕はまだマシなのかもしれない。
あれから、一年。
僕は華凜には会っていない。
けど、それは終わってしまったとか、そういうことではない。
互いに時間を取れず、夏休みも正月にも会うことはできなかった。
積み重なった彼女からの手紙。
残念ながら彼女の部屋には携帯電話の電波が届かない。
まったくしなかった、なんてことはなかったけれど、やはり互いに電話ができるのは限られた時間しかない。
僕はそんな事情もあって、彼女に電話をすることができなかった。
けれど、華凜から届く手紙は、結構ハードな学業スケジュールの中で、ほとんど唯一の楽しみであったことは間違いない。
その積み重なった彼女からの手紙の横には、いくつも書きかけの、宛名のない手紙が重なっている。
それは僕が彼女に宛てて書こうした、書きかけの手紙。
しかし離れている時間が重なるにつれて、彼女に伝えたいことも増えていった。
そうしていつしか書くべきことは増え続け、手紙は出せぬままに机の上に重なっていった。
結局僕は、たった一度だけしか、華凜の手紙に返信しなかった。
そして――
◆◆◆
4月1日。
僕はまた、この場所に立っていた。
あの日、僕らがたどりついたこの場所。
あの日、僕らが別れたこの場所。
いくつもの昨日が過ぎ去り。
今日、もう一度、この場所で――
「――変わってないな、とかそんな事考えてた?」
「……うん」
札幌駅・4番ホーム。
僕を乗せた快速エアポート号は時刻通りにホームへと滑り込んだ。
号車や扉の位置を教えた訳ではないのに、彼女はいま、僕の目の前にいる。
そういえば去年、このホームで別れたときも、確かこのあたりだったなあと思い出した。
「変わってないもなにも、一年でそんなすぐに変わるわけないわよね」
「それもそうだよね」
「ところでさ、酷いわよね。優斗」
「何が?」
「手紙、せっかく一杯書いてあげたのに、返事書いてくれたの一度きりだもの」
「手紙書くのって、あんまり得意じゃないっていうか、書いたことないし。年賀状くらいしか」
「それも凄く簡単な内容だし。春に行きますって、それだけだったし」
「有言実行」
「……まぁ取り敢えずはよし、ということにしておいてあげる」
「それはどうも。あと、チョコレート美味しかったよ」
「当然よ。いっぱい練習したもの」
未だ肌寒さの残る北海道の春。
風は優しく、華凜の綺麗な長い髪をそっと舞わせた。
「他にも言いたいこと、一杯増えすぎたからね。手紙なんかじゃ書ききれないくらい」
「優斗らしいかな、そういうところは」
「僕らしいのかな」
「そうよ。そういう、言いたいことはあるけどはっきり全部伝えきれないってところ、全然変わってないのね」
「そう簡単に、一年で変わることもないって、さっき自分で言ったじゃん」
「そうだったわね」
「君もそうやって言いたいことを言っちゃうのは、変わってないよね」
「変わらないわよ。これまでも、これからも」
そう言って、彼女は微笑んだ。
その笑顔につられたように、流れていた風は止み、そっと彼女の髪を元に戻す。
ゆっくりと歩み寄り、僕らは互いの距離を詰める。
ずっと離れ離れだった、遠く離れた二人の距離。
その帰路の、最後の一歩を踏み出す。
「ただいま、華凜」
「おかえり、優斗」
一日、また一日と、何事もなかったかのように、世界は明日へと向かう。
そして一日、また一日と、何事もなかったかのように、世界は昨日を消していく。
消えていく昨日と訪れる明日を積み重ね、やがて季節は同じようにめぐる。
そうして何度目かの春を迎えて、夏を迎えて、そして秋が過ぎ、もう何度目の冬を越えたのか、そろそろ数えるのも面倒になる。
過ぎ去ったことを振り返ると、大抵は笑い話になるような、そんな年月が過ぎていた。
◆◆◆◆◆
見覚えがある風景に、僕は一つため息をつく。
今日もまた、僕は小間使いだ。
「まだまだ後がつかえてるし、もっと手際よくやらなきゃ終わらないわよ?」
「ちょっと休ませて……くれない?」
「ダーメ。とりあえず午前中までにリストにある分は全部卸す予定なんだから」
「……はいはい」
僕は18リットルのポリタンクを両手にぶら下げたまま、手際よく伝票をチェックする華凜を一瞥する。
「じゃあ、それ終わったら少し休憩しましょ」
「わーい」
「あら、あんまり嬉しそうじゃないわね」
「いやいや、すごく! うれしい! 気がする!」
「……まあいいけど」
いかがわしそうに僕を見る。
それでも、彼女の顔は笑っていた。
「でもね、そうは言うけどこれ重いんだよ」
「知ってるわよ、そんなの」
「だったら少しは手伝ってくれてもいいんじゃないかなぁーって思うわけですよ」
「こんなか弱い女の子にそんな力仕事をさせる気?」
「か弱いまではいいとして、もうそろそろ『女の子』っていう歳でも……」
「……刺すわよ」
そう言って華凜は手に持ったペンの先を僕に突き立てる。
「いや、なんでもないっす」
「…………」
恐い。今まで見た中で一番恐い顔だ。
とはいえ――
何故僕はここに……羽代商店にいるか。
と考えることもない。
大学を卒業して、僕と彼女は上富良野に、華凜の実家に戻ってきた。
僕の実家も近い、というか目の前だ。
そうして間もなく、何の障害もなくとんとん拍子に婿入り……と相成った。
華凜の人使いの荒さは今に始ったことではないけれど、慣れない仕事に僕は苦労する毎日だった。
「んー、風が気持ちいい」
彼女は相も変わらず長い髪のままで、風に靡く髪を片手で抑えながらそう言った。
「動きっぱなしの僕には熱風にしか感じられないんだけど」
「うるさいわよ、そこ。……っていうか、何度目だろうね、こうして夏が来るのは」
「生まれてからずっとだから何度とか言われても返答できない」
「違うわよ」
「ん?」
「私達が出会ってから」
「さぁ……考えなくなったね」
「倦怠期?」
「……否定はしない」
「……追い出すわよ」
「鬼だ、鬼嫁の日本代表だっ!」
「うるさい婿養子!」
「それは全国五百万人の婿養子を敵に回す発言だ!」
「ええもう、何度だって言ってやるわよ」
夏の空を仰いで、一つため息をついた。
優しくも揺れている声が、僕をまた急かし、僕もまたそれに答える。
本人には言わないけれど、一つ一つ片付けて、不確かなまま毎日を過ごしていた頃、すべてを僕は覚えている。
どれくらいの時がたって、何度、何回季節を通り過ぎてきたのか、僕はすべてを覚えている。
「……まったく」
「まったくって、僕悪くなくない?」
「いちいち一言多いのよ、貴方は」
「華凜ちゃんほどじゃないと思うけど……」
「だからそれが余計だって言うのよ。……って、今なんて言った?」
「何が?」
「今さっきよ、なんて言ったの?」
「君ほどじゃないって」
「そうじゃなくって」
「なんだよぅ」
「……久しぶりに、その名前で呼ばれたなぁって」
「あ一……そうだっけ?」
「華凜ちゃん、だって。ちゃん、とか呼ぶ歳でもないでしょうに」
「なんかそれ、自分で自分の首を絞めてるような……」
「……ま、いいけど」
素っ気なくそう答えるものの、なんとなく、彼女は嬉しそうだった。
若い頃はさんざん名前で呼び合ってたような記憶はあるけれど、そういう何気ないことですら、時間の流れと共に薄れて行ってしまうのだろうか。
けれど、それはきっといい流れであるに違いない。
そうして、僕達の長い長い生活は続いていく。
いつの日か願ったように、ずっと一緒に。
誰もが過ぎ去る中、僕達だけが足を止めて拾い集めた、二人だけの時間を、永遠とも思える時間を。
そんな二つとない宝物を、これからも二人で集めていけるように。
「あっ、そういえば」
「はいはい、今度は何?」
「どうでもよさそうね」
「そんなことないよ。んで、何よ?」
「妊娠したみたい」
「ふーん……。……。……へっ?」
「……嬉しくない?」
「いや、なんていうか、突然すぎっていうか……」
さらっと普通の顔してそんなこと言われたら、そりゃ誰だって「へ?」っていう顔にもなる。
「突然、ってこともないでしょう。どうせいつかはこうなるって解ってたんだし」
「んまぁ、そりゃそうだけど……とにかくおめでとう」
「おめでとうって、他人事みたいに言うことかしら、それって」
「んじゃありがとう?」
「ふふっ、それもなんか違うかな」
これでもう二度と離れる事はできなくなってしまったかな、なんて思った。
これから途方もないくらいに長い時間の中で、僕達はどのくらい幸せを築いていけるのか。
僕たちはどちらからともなく寄り添って、キスをする。
ラベンダー畑で知られる上富良野町は、今が一番綺麗な季節だ。
僅かな香りを乗せた夏の風が、僕たちの頬を祝福するように撫ぜる。
貧しきこの大地よ、病める時も健やかなる時も互いに敬い愛し合いあう僕たちを死が分かつその時まで、枯れ果てる事無く僕らに日々の実りを。
僕の命が続く限り、どうかこの人を悲しみの牙から逃げ伸びさせてあげてください。
僕と彼女と、そして新しい命に、どうか平凡な奇蹟と祝福を。
了
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