第七話:見えざる契約と、消えた遺産
前回に引き続き、お読みいただきありがとうございます!是非ゆっくりして行ってください!
ハブ都市・エリアAでの一件から数日。『蒸湯屋』の看板は、中層・下層だけでなく、少しずつ上層の住民たちの間でも話題に上り始めていた。
今度こそ「有償の依頼」を処理すべく、俺とオルドが店内で待機していると、真鍮のベルが重厚な音を立てて響いた。
扉を開けて入ってきたのは、上質な絹のローブを纏った、見るからに裕福そうな中年男性だった。
「ここが『蒸湯屋』か……。私は上層で貿易商を営むヘンドリックという者だ。神楽先生、オルド殿……どうか私の相談に乗っていただきたい。もちろん、しかるべき報酬はお支払いする」
「……ほう、上層の貿易商か」
オルドが煙管の煙をくゆらせながら、薄く笑みを浮かべた。俺はカウンターの席を促し、静かに頷いた。
「話を聞こう、ヘンドリックさん。どのような問題だ?」
ヘンドリックは顔を曇らせ、テーブルの上に一枚の羊皮紙と、小さな鍵を置いた。
「亡くなった父の『遺産』についての問題です。父は生前、下層の貸金庫に大量の金貨と権利書を預けていました。ですが……父が亡くなった途端、貸金庫の管理組合が『契約期間が満了しており、遺産はすべて管理組合の所有物に帰属した』と言って、引き渡しを拒むのです」
「契約の自動更新が機能していない、ということか?」
「ええ。契約書には確かに『満了時に更新の申し出がない場合、所有権は組合に移転する』とあります。しかし、父が亡くなったのは満了のわずか三日前。通知を受け取る間もありませんでした。これはあまりに不当です!」
ヘンドリックは憤りを隠せない様子で拳を握りしめた。
「法務官に相談しても『書面通りの契約だ』と取り合ってくれません。ですが、あの遺産がなければ我が家の事業は立ち行かなくなる……。報酬として、取り戻せた遺産の二割をお支払いします!」
「……なるほど。構造の隙突いた悪質な囲い込みだな」
俺は立ち上がり、カメラのレンズキャップを外した。
「行こう。その『見えざる契約』の仕掛けを解体する」
下層の金融街にある、重厚な蒸気扉を備えた『下層中央貸金庫』。
支配人の男は、俺たちがヘンドリックと共に訪れると、嘲笑うような笑みを浮かべた。
「ハハハ! また来たのかね、ヘンドリック殿。何度来ても同じだ。これがご父親の署名入り契約書だ。期限内に更新手続きがなかった以上、規定通り規約第十四条に基づき、金庫内の資産はすべて当組合の所有となっている」
支配人が提示した契約書を、俺はカメラのファインダー越しに覗き込んだ。
羊皮紙の質感、印章の位置、そして細かな注釈の文字サイズ——。
「……なるほど。支配人、この契約書、実に巧妙に作られているな」
「何だと? 難癖をつける気か?」
俺はカメラの液晶モニター(ファインダーの記録)を指でタップし、支配人の目に突きつけた。
「第一に、この規約第十四条の注釈部分だ。文字のインク濃度が主文とわずかに異なる。これは後から追加印刷されたものだ。さらに……この蒸気印章の押印位置だ」
「な、何の話だ!」
「下層の公的契約規約では、『条項の追加改訂を行う場合、改訂箇所の直上に追加印を押さねばならない』と定められている。だが、この追加注釈には印がない。つまり、この『所有権移転』の条項自体が、契約成立後に貴様らが勝手に書き加えた違法な改訂だ」
支配人の顔から急速に血の気が引いていく。
「さ、さらに……第二だ」
俺は間髪入れずに畳みかけた。
「ヘンドリックさんの父親が亡くなった三日前、貴様らの店舗で記録された『蒸気通信ログ』を確認させてもらった。父親の危篤を知った直後、貴様らは意図的に更新案内用の伝書鳩(メッセージ・ steam)の送信を差し止めているな? 履行遅滞を人為的に作り出すのは、都市商業法における『公序良俗違反および信義誠実の原則違反』に該当する」
「ぐっ……ぬ、ぬううっ……!!」
オルドが不敵に笑いながら、法務代理人の羊皮紙をテーブル叩きつけた。
「さあ、どうする支配人? 今すぐ金庫を開けて遺産を返還するか、それともこの証拠一式を持って、上層の高等法廷へお前さんを連行するか……選ぶといい」
支配人は膝から崩れ落ち、震える手で金庫の鍵を取り出した。
「わ、分かった……! 返す! 今すぐすべてお返しします……!」
『蒸湯屋』に戻ったヘンドリックは、深く頭を下げ、約束通りの報酬が入ったずっしりと重い袋をテーブルに置いた。
「神楽先生、オルド殿……! 本当にありがとうございました! おかげで父の遺産も、我が家の事業も守られました!」
「当然の仕事をしたまでだ。受け取ろう」
俺が報酬を受け取ると、ヘンドリックは晴れやかな顔で去っていった。
袋を開けると、そこには眩いばかりの金貨が詰まっていた。
「カッカッカ! 見たか神楽、これがしかるべき『対価』というものじゃ! これで最高級の珈琲豆が山ほど買えるぞ!」
オルドが大喜びで金貨を数え始めるのを見ながら、俺は苦笑して自分のコーヒーカップを持ち上げた。
「やれやれ……まあ、たまにはこういうまっとうな商売も悪くないな」
俺たちは無事に正当な報酬を手に入れ、『蒸湯屋』の経営はいよいよ軌道に乗り始めたのだった。
次回もお楽しみに!




