第1話 逃避行
ヒューマンドラマに初挑戦しました。
姫と護衛、二人だけの逃避行――「旅」をテーマにした短編です。
枠内に入っているか友達に聞いたら『大丈夫』と言うので、安心して公開します。
第1話 逃避行
今日も抜けるような青空の下、馬車の揺れが心地よい眠気を誘う。天蕊は帳の隙間からそっと外を覗いた。
馬車から眺める風景は、大地の恵みを得た瞬間だった。
土から引き抜かれた芋は、丸々と太って大地の恵みをそのまま吸い上げたかのようだった。籠いっぱいに溢れんばかりの獲物を詰め込んだ農夫たちの顔には、泥汚れに混じって、弾けんばかりの誇らしげな笑顔が咲き誇る。
その中の一人の農夫が、ふとこちらへ目を向けた。
笑ってはいるのに、どこか胸の奥に沈んだ影を宿しているように見え、天蕊は思わず息を呑んだ。
その視線は、ただの通りすがりではなく、何か言いかけて飲み込んだような、妙な重さを帯びていた。
天蕊には見知らぬ景色だ。
宮廷の奥深くで見てきたどんな贅を尽くした庭よりも、ずっと眩しく映る。
こんな景色を、天蕊は今まで一度も見たことがなかった。窓の外にはいつも、丹念に手入れされた庭しかなかったからだ。
あの手で摘み取ったものを、あの腕で誇らしげに抱える――そんな当たり前のことが、天蕊にはまだ、一度も許されたことがなかった。
「知秋、見て。あんなに楽しそうに笑っている……」
呟いた声に、御者台の葉知秋が、束の間だけ振り返る。
「ええ。……姫様、あまり外を覗き見ないで下さい。目立ちます」
御者台から、低く抑えた声が聞こえた。
馬の手綱を握り、前方を鋭く見据えているのは知秋だ。幼馴染であり、今や唯一の味方である彼は、周囲への警戒を片時も怠らない。
「ごめんなさい、知秋。でも、あまりに素敵な景色だったから……」
「……目的地は神殿です、姫様。まずは、調達のためこの先の宿場町を目指します。そして、追手の目をごまかさなくてはなりません。ここから先は、夫婦の行商人を装います。
心の準備をお願いします」
「えっ……夫婦、ですか?」
思いがけない偽装の身分に、天蕊は目を丸くした。
宮殿で決められた望まぬ政略結婚を拒み、すべてを捨てて飛び出してきた先で、まさか幼馴染の知秋と夫婦のふりをすることになるとは思ってもみなかった。
「な、知秋、それは周囲の目を欺くためとはいえ、少々無理がありませんか?」
「……やむを得ぬ手段なのです、姫様」
御者台の知秋は前を向いたまま、きっぱりとした声で告げた。実家の命に背き、一族を裏切る罪を背負ってまで同行を選んでくれた知秋。
その呼び声に含まれる変わらぬ忠誠と、幼馴染としての確かな頼もしさに、天蕊は深く安堵して頷いた。
馬車は心地よい揺れを保ったまま、二人の大きな覚悟を乗せて、見知らぬ大地の奥へと進んでいった。
宿場町に到着した二人は生活必需品や当面の食料を買い出すため、さっそく市場へと足を運んでいた。
一歩街へ入れば、そこは追手の目が光る危険地帯だ。
二人は事前の打ち合わせ通り、気が強くて口うるさい妻とその尻に敷かれている、うだつの上がらない行商人の夫を演じることにした。
「ちょっと、あなた! ぼさぼさ歩いていないで、早くその重い荷物をあっちの荷台に移してくださいな。本当に手際が悪いのですから」
天蕊は、宮殿にいた頃には決して使わなかったきつい口調を真似て、わざと大きな声で知秋を促した。
知秋は古びた麻の服に身を包み、大きな荷物を背負ったまま、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「す、すまない、お前。今すぐやるから、そんなに怒らないでくれ……」
知秋の情けない声と、少し猫背気味の佇まいは完璧だった。普段の凛とした護衛の姿を知っている天蕊は、彼のあまりの豹変ぶりに内心で吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
「当たり前です。私たちが仕入れた大事なお芋なのですから、傷でもつけたら承知しませんよ。ほら、そこの角を曲がった市場へ急ぎましょう」
「分かった、分かったから、そう袖を引っ張るな。……ったく、うちのは相変わらず天下無敵だな……」
知秋がボソボソと愚痴をこぼす演技をすると、周囲の商人や買い物客たちが「またあそこの夫婦がやってるよ」といった同情の視線を旦那に投げ、警戒の目を完全に緩めていく。荷車の少年が興味津々で見ている。
市場の喧騒に紛れた一瞬、知秋が荷物の影で天蕊にだけ聞こえる低い声に戻した。
「……お見事です、姫様。その調子でお願いします。ただ、少し言葉に実感がこもりすぎていませんか?」
「そうであれば良いのですが。私はただ、普段からあなたが私に小言を言う時の真似をしているだけですよ?」
「それより姫様、さきほどから三軒手前の宿場の前に、不審な男が二人。おそらく、我々の人相書きを持った地元の役人です」
天蕊は笑顔を崩さず、芋を一つ手にとって泥を払うふりをしながら答えた。
「……ええ、気づいています。だからこそ、ここで立ち止まっては怪しまれます。ほら、あなた、このお芋、すっごく立派でしょう? 今夜は奮発して、美味しいお味噌汁にしてあげますからね」
知秋は一瞬、演技を超えて本当に呆れたような、しかし愛おしそうな顔になる。
「お味噌汁、ですか。……あなた様が包丁を握ったら、芋ではなく私の指がいくつあっても足りなくなりそうですが」
天蕊は、ふふ、と喉の奥で小さく笑い、もう一度彼の袖をぐっと引っ張る。
「おだまりなさい。これから覚えるのです。さあ、あの役人たちの前を通り過ぎますよ。しっかり私の旦那様でいなさい」
「……へいへい、分かりましたよ。じゃあ行こうか、お前」
ふふ、と悪戯っぽく微笑む天蕊に、知秋はさらに呆気に取られたような顔をした。
そして、自分が本当に尻に敷かれている幼馴染であることを自覚したように、今度は演技ではなく、本物の苦笑いを浮かべたのだった。
これからどう展開するかまだまだ検討中。
良いアイデアがあれば教えて下さいませ。
では、第2話をお待ち下さい。




