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タイトル未定

 20■■年1月、山形在住のミステリー作家、宵隆(よいたかし)(本名 椎名(しいな)史郎(しろう)(37))の遺体が被害者の自宅で発見された。

 遺体発見の経緯は、近隣住民のAが椎名宅の異臭に気づき、警察へ通報。その後到着した警察官が書斎で遺体を発見した。被害者は背中を包丁で刺されて死亡しており、玄関の鍵が開いていたことや、部屋が荒らされていた事から警察は強盗殺人と見て捜査を進めている。

「これは、酷いな。」

 探イ(さがい)貞夫(さだお)は記事を読みながら呟いた。どんな難事件でも椅子から立つことなく解決してしまう、安楽椅子探偵である彼はこの事件のあまりの酷さに立ち上がった。キャスター付きの安物の椅子がカラカラと音を立てる。そのまま彼は書棚の前へ向かう。適当な背表紙を指さし、そこから右へと指先を流してゆく。それに従うように彼の視線は右の方へと動く。時計の針の音がカチ、カチ、カチと三度鳴る。続いて四度目が鳴ろうという時に彼の指は動きを止めた。視線も指に固定されたようにそこで止まる。指の先には宵隆と書かれていた。宵隆の名前はそれから右へ十数冊にわたって連ねられている。彼はその中で最も右側にある宵隆の本を手に取った。『完全殺人・事件編』。それは宵隆の作品にしては珍しく、事件編に続き解決編が創られそうなタイトルをしていた。彼は『完全殺人・事件編』を開く。冬の冷たく乾燥した空気のせいで本の手触りが少し硬く感じられた。

 数日後、安楽椅子探偵こと探イ貞夫はいつもと全く変わることなく、椅子に座って記事を読んでいた。先日の宵隆を襲った殺人事件に関連する記事が目に留まる。その記事は宵隆の最後のミステリー、完全殺人の解決編が書かれていないことを嘆いていた。

 宵隆のミステリーは簡単だった。他の人がどうあれ貞夫にとっては全く簡単だった。ミステリー小説の原則とか定石だというものを忠実に守ったものだった。それは守るというよりも縛られていると表現した方が良いと感じるほどの忠実ぶりで、硬く縛られた縄と、もがいている宵隆の姿が想像できるようだった。いや、もがいているという言葉は適切でない。彼は縛られているそれこそが光へと自分を連れていくものだと考えているようだった。それを貞夫は彼の小説から感じ取っていた。だからこそ、『完全殺人・事件編』を読んだときに貞夫は衝撃を受けたのだった。

 ううん、と貞夫は唸った。光が眩しかったからだ。日差しが強くなり、それがちょうど彼の顔の辺りを刺すように窓から入ってくる。彼は椅子から立ち、ブラインドを下げに窓際へ歩いた。早朝の白い空が見え、日光が街中に注がれている。暖房が効いているこの部屋と寒い冬の外気温との相違が窓に小さな水滴を作り出していた。その水滴は朝日を反射させて小さな星のように煌めいている。あっ、と貞夫は思う。窓に作られていた小さな水滴は重力に引き寄せられて、大きな粒に成りながら下へと落ちる速度を速めていった。下に落ちた水滴は貞夫自身が閉じたブラインドで最後にどうなったかまで見ることができなかった。寒い。暖房が効いている室内でなぜか彼はそう感じた。

 翌日、彼は酷い頭痛とともに目を覚ました。昨日までは何事もなかったはずの彼の身体は防衛反応で発熱していた。とりあえず立ち上がり冷蔵庫の前まで向かおうと考えたが上手く立ち上がれない。力が上手く入らず何度も寝返りを打つようにして楽になる体勢を模索する。しかしどんな体勢を取ろうとも症状が改善しそうになかった。電気も暖房もついていない部屋で彼は布団の中に縮こまって目を閉じる。そうしている内に彼は再び眠りについた。

 日中、彼は酷い頭痛とともに再び目を覚ました。まるでデジャブのように思われた体の感覚がどちらも本物だと気づくのに多少の時間を要した。ブラインドの隙間から真昼の強い光が線のようになって部屋の中に縞模様を映している。ふと、彼は自分が空腹であることに気が付いた。冷蔵庫まで向かおうと考える。彼の足は渋々彼の要望を聞いているように動き始めた。偶に壁へ寄ったりしながらも徐々に冷蔵庫へと近づいてゆく。

 冷蔵庫の中身はやはり寂しく光るだけだった。眩しい冷蔵庫の光を見て部屋の電気が点いていなかったことに気づく。そんなことはどうでもいいと思いながら、何かないかと上から下まで冷蔵庫の中をじっくり探す。そこに綺麗に輝く半透明の甘味が見えた。ちょうど風邪の時に食べたくなるようなそれへすぐさま手を伸ばす。何時、誰から頂いたものかも分からないそれがまさかこんな時に役に立つ日が来るとは。

 ゼリーを食べながら彼はテレビをつけてニュースを見る。何となくつけただけだったのでニュースの内容は全く彼に入ってこない。彼は今、ゼリーを口いっぱいに頬張っている。冷たく冷やされたそれが喉を通るたびに病魔が一歩ずつ後ろに下がっていくように感じる。——宵隆。彼の耳に声が届いた。ニュースで大きく取り上げられている。彼の死は彼の著書である『完全殺人・事件編』の内容と類似している点が多くあり、その小説で行われたトリックがこの強盗殺人事件に用いられたのではないかと話していた。宵隆の名前をテレビで聞いたのはこれが初めてだった。コメンテーターがフィクション、創作物の自由の危険性などについて話し始める。貞夫はテレビを消した。ゼリーを食べ終わってしまったからだ。風邪を治すには睡眠が大切だと言い訳をして彼は再び眠ることにした。

 宵隆が光を追いかけている。手を伸ばそうとする先には結ばれたというには汚く縛られている縄が輪を作っている。その輪の中に手を伸ばす彼の目には小さく煌めくものが見えた。この時に貞夫は『完全殺人・事件編』は完結していると理解した。彼の人生を賭けた最後の作品は今も眩しく光っているのだ。

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