II-III 村
釣り人は倉庫に着くまで一言もしゃべらなかった。沈黙という空間が僕らを覆い、重くのしかかってくる。
しかしそれを感じているのは僕だけだろう。釣り人はただ前だけを見て歩いている。僕の存在すら感じていないようにだ。
表情を元に戻した彼が、まだ少し不機嫌に見えるのは僕の気のせいだろうか。今まで感情の大きな変化を見せなかった彼が始めて見せる《感情》。それが少しうれしかった。違う彼を見ることができた気がした。
しかし同時に彼を怒らせていることに戸惑いもあった。
原因は僕にあるのか、それとも先程まで会っていた彼女にあるのか。僕にはわからない。僕は彼の心を感じ取ることがうまくできない。彼の口から、表情から伝えてくれなければ僕に彼の言葉は届かない。
言葉のキャッチボールは常に彼で終わり、けっして自分のことは話してくれない。いつだって僕らの会話は僕の一人芝居だ。どんなに多くの言葉を重ねても、心が通じなければ一人でしゃべっているのと何も変わらない。
それが少し悲しい。
倉庫に着いてからも彼は何も言わなかった。森から出てきたとき、彼は朝には空だったかごは一杯に入れられた細々とした荷物――僕にはそのほとんどがガラクタにしか見えない――が入れられており、それを倉庫の中に積み上げていく。そしてそれと入れ替えるように倉庫に積まれていた荷物の一部を外に出していく。僕はその作業を黙って見ていた。
釣り人は必要な物を出し終えると、自身も外に出る。僕はそれを追いかける。
外に出た釣り人は昨日連れていたウォルガという獣を連れてきた。ウォルガはその細く長い足をテンポ良く動かし、釣り人に寄り添うように歩いてきた。
釣り人はウォルガにソリを取り付け、そのソリの上に倉庫から出した荷物を乗せる。僕は黙ってそれを見ている。
耳に入ってくるのは風が木々を揺らす音や鳥の鳴き声などの自然の音だけ。沈黙が僕らを包んでからどれほど時間が流れてからだろうか。ようやく久方ぶりに思える人の声を聞いたのは。
「いつまでそうしているんだい?」
それは初めて会った時とほとんど変わらない言葉。しかし僕の返事はない。
「君は目的があってここに来たんだろ? だったら何かするべきなのではないか?」
その通りかもしれない。だが僕は何をしたら良いのかわからない。何をすべきで、何をするのが最善なのかわからない。僕はこの世界で一人、目隠しをしているように手探りで歩かなければならない。そしてただ歩くだけではいけない。その途中で手に入れなければならないものがある。それを手にせず出口にたどり着いてはここに来た意味がない。僕は目的を果たすまで帰るわけにはいかない。
いや、帰る必要すらない。目的さえ果たせれば良い。
思考を停止させると、そこには釣り人の視線があった。
「一つ、いいかい?」
釣り人はようやく自分を見た僕に言った。
「この村は君がいた世界とは違う。そこに住む人間も、その思考も。君の常識では通じない世界がある」
「どういうふうに?」
僕はしばらくぶりに口を開く。
「これから見ればいい。僕はこれからこの荷物を届けに行く。そこで見たらいい。この村の異様さを。この村共通の常識なんてほとんど存在しない。すぐ隣にいてもそれぞれがまったく別の世界を持っている。みんなそこから抜け出せず、外を見ようとしない。それだけがこの村の常識。
そしてこの村で得るものは形にもならない自己満足、失うものは存在しかない。なぜならこの村は―――」
捨てられた欠片の寄せ集まりでしかないから―――。




