19.時雨と讚美歌
「ルグニテ君、懐かしいわね。この孤児院でも一番思い出深いわ。」
彼についてとても興味があった。彼についての経緯を聞いた。
「あの子はね、10歳の頃に親に捨てられてここへと来て、13歳まではここで年長組として過ごしたの。そこから2年間はこちら側として住み込みで働いてくれました。一緒に楽しく働いたのよ。」
鉄の縄に縛られた彼女は物思いにふけながら一人語りしていく。
「六年前かしらね、ちょうどフウライボウがこの国に来たの。それが私の転機だった……。」
六年前にこの国に来る。その言葉を聞いて少し動揺してしまった。俺の故郷が滅ぼされたのが六年前。滅んだ後、その二日後にはベラトリクスという財力を持っていた社長が雷の国から追い出された。まさか……とは思うが、そこまでは切り出せなかった。
「彼女達の技術は素晴らしかったわ。すぐに提携して、ここの施設を開発して貰った。その時ね、ルグニテ君は実験体になって貰ったのよ。運命のイタズラなのか、彼の代わりにカシェルちゃんが働くことになったのは奇遇よね。」
そう言えば、彼女は自身が働く時に入れ違いでお兄さんが働いていたということを言っていたこと。思い出した。それがまさかルグニテだったとは。
そんな実験に関わっていたからこそ、この秘密をも知っていたし、それに対する準備もしていたのだろう。じゃなければ、見取り図やマスターキーを持っている訳がない。
「そして、実験が成功したの。ルグニテ君より前はね、子どもが生まれる代わりに本体は死亡していたの。けど、あの時から本体も死なずに子どもを創り出すことができた。ただ、その子はもう要らなかったから奴隷として売ったけどね。」
実験体にされ、奴隷にされ、そんな悲惨な過去があったのか。もしかしたらそんな経験が彼を卑屈にさせているのだろう。何故だか情が湧いてきそうだ。
手元のデータをパラパラ捲る。
ガーネとガーネット。リオとオリオ。スミスとピスミス。話の流れから本体は死んでいるのだろうと推測できた。
「実験は今ではようやく本人にバレることなく創り出すまでいくことができたの……。」
それでカシェルはルシェのことを知らなかったのか。
「一ついいか。大人になれない病を無くすことは出来ないのかい?」
「無理ですわね。そのシステムは脳裏に刷り込まれているのですから。取り出すにしても、無効化しようとしても、そのようなことをした時点で死んでしまいますから。」
残念なお知らせだった。こんな身勝手な大人のせいで彼らは10歳になれずに死んでしまうのだ。
虚しい音だけが鳴り響いている。
機械の壊れた音。俺らはこの薄暗い部屋を出ることにした。
「どうしたんだい?」
「なんでもない。」俺は落ちていた人形を拾って、階段を上がった。
図書館から出て、横を見る。廊下の壁には子ども達が書いたポスターが並べて貼られていた。
俺は手に持っていた黒丸君を見た。
「あんな地下室にいたら見つからないもんな。」
そう言って、子ども達のポスターの近くにポツンと飾っておいた。
◆
あまり良い天気とは言えない。曇り空が広がっている。
彼女はどこかそれと同じ天気のような顔をしていた。「すごく……迷ってるんだ。」
俯きがちな目線。
彼女を襲う葛藤。
「本当ならママに制裁を加えるべきだと思う。仕事だからってのもあるけど、罪滅ぼしのためにも必要なのかなとも思う。思うんだけど――」どこか辛そうに「このまま釈放して、変わらない生活をさせた方がいいのかなとも思えてきちゃったんだ」と放つ。
「どうしたら……いいんだろう。やっぱり制裁を加えるべき……だよね?」
いつだって、何度だって、人なら度々通らざるを得ないこと。それは選択をするということ。だからこそ、俺は十八番の言葉を投げかける。「決断する時に迷うな。どうせ何を選んでも何れ後悔するんだ。もちろん、世の中の条理を選んだって後悔するもんさ。ならさ、自分が思う道を選べばいい。」
先輩から貰った言葉がここまで活きるとは。俺自身も言い放ちながら勇気が貰えてくる。
「カシェルは……カシェル自身はどうしたいんだ?」
「カシェルは……カシェルは――」涙ながらに口が開かれた。
俺らも地下室で得た情報を与えた。結局、10歳の死は回避できないことや今まで行ってきた実験のことなど。そうして情報を得て、最終的に彼女が下した結論は――。
――
―――
不穏な人影。
そこに一人の男がやって来た。
「この時を待ち侘びていた。後はシスター・アリスに断罪を下せばいいんだ。このルグに任せておけ。すぐに殺してやる。」
殺意が溢れ出ている。
やはり、彼はシスターを恨んでいるようだ。
「ルグニテさん。シスターは制裁しないことを決めたの。もちろん、本当は制裁すべきなのは分かっているけど――。」
「分かっているなら話は早いだろう。殺せばいい。ソイツの行ってきたことが分かるか? 殺害。違法な実験。人身売買。どれも許されることではない。」
彼は傘を取り出して、石杖から電気がバリバリと鳴っていた。
「聞いたよ。この魚の家で過ごして、裏切られて、実験台にされ、挙句の果てには売られたんだってな。」
「知ってるじゃないか。実験台にされながらも叛逆の機会を窺った。奴隷落ちした後もずっと憎悪は消えなかった。訳あって直接手は下せなかったものの、スミス達と内密に通じあって来たる機会を見ていた。未だに改心していないことも知っている。制裁しない理由がない。」
鉄の縄から解き放たれたシスター。
彼と彼女の間に立つカシェル。
「それはそう、そうなんだけど。子ども達はみんなママが必要なの。ママの愛情はね、本物だったから。だからね、子ども達はどんなに悪いことをされていたとしてもママがいいんだって、言ったんだよ。」怒りや悲しみなどの感情はない。ただ、優しく空を切る。
「甘い、甘いね。我々が去った後、シスターが変わらず悪事を働くかも知れない。いや、可能性は高い。人間性は変わらないのだから。」
「それでも、それでもなの!」
「どれだけ悪いことをしていたか分かっているだろ。地下室に行かれたら終わりだろ。」
「大丈夫、壊れているから。」
「壊れても修理すれば問題ない。危険なのが分からないのか。」
「分かるよ。分かってるよ。」
「余計に制裁を取りやめる理由が分からない。早く断罪させろ。」
無理やり行くのを止めているものの、気を抜ければすぐに突破できるだろう。一応、お互いに傷つけてまでも突破する、突破を防ぐことを考えていないため、静かな硬直状態が続いている。
多分、二人だけでは拉致があかない。
そこにメイサが割いっていった。
「この判断は、罪を償わせるのか、罪を許すのか、それで天秤にかけた訳ではないんだ。どちらを選んだとして、何の罪のない子ども達は無視できない。残される子ども達の事を考えると、罪を償わせるために断罪するのが得策とは思えない。カシェル君は、シスター・アリスに罪を償わせてることを優先すべきか、それとも残される子ども達を優先すべきか、それを天秤にかけたんだ。そうして、子ども達の幸せのために、断罪しないことを選んだんだ。」
「子ども達の幸せだと? 罪深い大人に育てられる子どもは本当に幸せなのか? それよりも別の誰かが育てた方が得策ではないのか?」
彼の言い分も分かる。
これはただの意見の食い違い。どちらかが正しい、というものではない。どちらも正しくて、どちらも間違っている。だからこそ、どちらかが引くまで続いてしまうんだ。
この状況を遠くから何も出来ずに目線を送る子ども達。その中でリオがやって来て、それを筆頭にしてぞろぞろと着いてきた。
「ママを許してあげて。」「喧嘩しないで。」そんな声が上がった。
それを見た彼の動きが止まったような気がした。
「子ども達がそう言うのはシスター・アリスの所業を知らないからだ。」
「子ども達にはもう伝えたよ、ありのまま全部ね。」
「余計意味が分からない。何故、断罪したいと思わない。」
戸惑う彼にメイサが「そういうことさ」と言い放ち、
「その人がどんなに悪いことをした人でも、血が繋がっていない人だとしても、大切に育ててくれたという関係は子どもにとって一生消えないものさ。あの子達にとってシスターは、替えのない唯一の親なんだからな」と締めくくった。
納得はしていなさそうだが、彼の動きは止んだ。
そこにリオが近づいた。
「ありがとう。やっぱり来てくれたんだね。……もうお兄さんと繋がっているのはリオしかいないよ。けど、今日でお別れだ。だから、引き継いでいくよ。新しいリーダーのニグルが、ママがもし暴走したとしても止めてくれるさ。」
「甘すぎる。そんなもの無謀だ。」
今度はニグルが近づいた。
「僕が見張るから安心して。こう見えて、頭脳戦は得意なんだ。鳥使いになって、鳥に手紙をつけて送っているかも知れないね。その時には助けに来てよ。」
「鳥使いだと……馬鹿馬鹿しい。」
「やはり、難しいか。」
「いや、できる。お前はなんでもできる。なぜなら、お前はルグのクローンなんだからな。」
彼はそこから距離を置いた。
どこかいたたまれない空気感だ。
そんな空気を壊してくれたのはリオだった。
「今日、あたしの最後の誕生日なんだよね。最後ぐらい綺麗に葬送ってくれないか?」
そこに申し訳なさそうな顔でシスターが近づいていった。
「ごめんなさいね。こんな酷い目に合わせてしまって。」
「謝るのはもういいからさ、二度とみんなを悲しい気持ちにさせないでくれよな。」
「ええ、生涯、誓って、約束します。それにしても凄いですね。涙一つも見せないなんて。」
「スミスやガーネ達とあたしは一緒なんだ。涙なんか似合わねぇのさ。」
こんなにも爽やかな笑顔を振りまく女の子を見てるとどこか元気すら貰えそうだ。
「リオちゃんが好きだった曲があるじゃない。みんなでそれを歌って送ろうよ。」「賛成。」「みんなで歌おう。」そんな子ども達の声が聞こえる。
その子と対面して立つシスター。その周りには子ども達とカシェル。「では、歌って送りましょう」と、一斉に歌を歌い出した。どこか優しいゆったりとしたパラードの曲だった。
甘やかなハーモニーが響いていく。
その曲を知らないから、少し離れた場所で優しく微笑んだ。
ふと、主役の位置にいる彼女の瞳から何かが零れたような気がした。
そんな時、何故だかルグニテはため息を放っていた。「ぬるい、ぬるいね。みんな、頭がお花畑かよ。」
愚痴だった。
曲にかき消されていく愚痴が放たれていた。
「悪事を見逃して、みんなでお歌でも歌って平和ですアピール。結局、根本的な解決はしてないんだ。ぬるい。ぬる過ぎて反吐が出る。」
彼はその場に背を向けた。
そこから遠くへと向かって歩く。去り際に捨て台詞を吐いていた。
「雨にでも濡れて、風邪でも引いちまえ。」
ポツ。
ポツポツ。
突然の雨。違和感しかないその雨はすぐにルグニテの仕業だということに気付いた。気付いた頃には彼の姿はなくなっていた。
雨の中でも歌は聞こえる。
優しい歌が時雨をベースにして流れている。
「アトラ少年、あの子は泣いているように見えるか?」
「分からねぇな。雨が降っていて、泣いてるかどうかなんて分からねぇわ。」
時しぐれ。
まるで天使のような歌声が周りを包んでいる。
冷たい雨が俺らを優しく包み込んでいる。
雨音が倒れた音を掻き消す。
歌は止んだ。
泣き騒ぐような音が聞こえてくるが、彼らが泣いているかは分からない。彼らの顔は等しく雨に濡れていた。
ずばり【シェルタンからの一言】
罪への罰って難しいんだよなぁ。人によってそれがどこまで悪いのか違うからさ。さらに、罰後に冤罪だった可能性もあるんだぜ。簡単に罰則を強化しろ、とか簡単に言う奴は頭が弱いよな。それが冤罪だった時の保障を文句言う人がしてくれるなら文句はないけどな。執行者の気持ちを考えてはくれなさ過ぎるぜ!




