国家神アテン
アメンヘテプ王治世四年。
「国家神をアテンとする」
ファラオの布告によりエジプトの国神は、アメン神からアテン神に切り替えられた。アクナテン王のみが神前で祭祀を執行できるようになったのだ。
アクナテンがファラオ親政の君主制を完成させた瞬間だった。
「アテン神は太陽の光り。神は愛である。宇宙は愛で一つの世界である」
アクナテンとネフェルティティは繰り返し人々に説いた。
革命を実現するため、アテン信仰を国民に馴染ませるため、アメンヘテプ王とネフェルティティ王妃は心血を注ぐのだが、多神教を信じる保守的なエジプトの民にアテンという太陽とその光り、見えない神を浸透させることは至難の業だった。しかもアメンヘテプ王家ファミリーはアメン神の聖都テーベにいたのだ。それ故なおさらのことである。
ところが、そんな折り、エーゲ海に浮かぶ島、サントリーニ島の火山が大噴火した。
人々は神の怒りか悪魔の仕業かと恐れ逃げ惑ったが、島民の殆どが生き残れなかった。大噴火で島の大部分が消失したのだ。
同じ頃、エジプトで大きな地震が起こった。
煉瓦の家や倉庫は音をたてて崩れ、神殿、特にテーベのアメン神を祭る大神殿の損傷は激しかった。
それから数日後、大きな異変がエジプトを襲った。
「太陽が消えた!」
エジプトの主だった都市にも火山灰が降り注ぎ、幾日も太陽の光を遮ったのだ。
エジプトの民は恐れおののき、太陽の神が創りたもうたこの国を悪魔が滅ぼしにやって来たのだと囁きあった。
「雪だ! 灰色の雪が降り出したぞ!」
しかも太陽の遮断による急激な寒冷化は、夏のエジプトに大雪と作物の冷害をもたらした。
「砂漠が灰色の雪で染まった!」
作物は枯れ、家畜は死に、漁はできず、物流は滞った。
地震で住むところを失った人々は、寒さに凍え、飢えに苦しんだ。
「太陽神よどうかエジプトをお救い下さい」
エジプトのあらゆる人々が天を仰ぎ跪き祈った。
とりわけ生活が圧迫された最下層の人々、大多数の貧困層の人々が太陽の恵みを渇望した。彼らは太陽神の復活を求め死に物狂いで神に祈ったのだ。
マルカタの王宮ではアクナテン王とネフェルティティ王妃の前に次々と家臣が呼ばれ指示を与えられていた。
「マイア、寒冷化による作物の被害状況や地震の被災状況を速急に調べ、民が困窮しないよう生活の補償をすぐにするのだ」
アクナテン王の前に跪くマイアと呼ばれた家臣は、深々と頭を下げた。
身分が取り立てて高い家柄ではなかったが、アクナテン王の引き立てて彼は王の宝庫管理官という要職に付いていた。
「すぐに民の救済を行います。建物の倒壊や食料や水の供給、作物の被災状況は今調べています」
マイアはそういうや姿を消した。
次に呼ばれたのは軍人のホルエムヘブだった。
「ヒッタイトとは国交はあるが、この混乱に乗じて兵を動かすかもしれん。精鋭部隊を率いて軍事査察に行け」
アクナテン王は切れ長の鋭い眼差しを投げかけた。
ホルエムヘブは頭を床に擦りつけんばかりにひれ伏している。
「はっ、直ちに!」
ホルエムヘブは深々と頭を下げ王宮を後にした。
イシスの歌姫キアの兄ホルエムヘブは家出をしたあと、食べるために志願して軍隊に入隊した。身分が低かったが軍人として類い希な資質を持っていたため、みるみる頭角を現しアメンヘテプ王に取り立てられ軍高官の一人となっていた。
アメンヘテプ王とネフェルティティ王妃は、大使アニと外交官ツツに同盟国や植民都市の情報収集をさせ、気象学と地震学の専門家には現状の分析や気候変動の今後の対策を命じた。
やがてあらゆる政治的科学的な情報がアメンヘテプのもとに集められた。
「アテン神は太陽の光である。皆の者、光に祈りなさい。無心になって祈るがよい。四十日と十四日後、アテンの光で闇は消えるであろう」
アクナテン王は両手を大きく広げ人々を前にして力強く演説した。
これは、あらゆる過去のデーターと今回の事象を照らし合わせて学者達が導き出した答えだった。
エジプトの人々はファラオのメッセージを縋るような思いで聞いた。
それからアメンヘテプはアテン神に祈りを献げるため、王妃ネフェルティティとともに、
マルカタ王宮のアテン神殿に入り、幾日も祈り続けた。
(アテン神よどうかエジプトを救い給え)
アテン神を頂く王と王妃の祈りは、エジプトの人々、とりわけ最下層の人々にとって暗黒の闇に輝く希望の光だった。なぜなら彼らは貧しく神々に寄進する物を何一つ持たなかったから。
アメンヘテプ王とネフェルティティ王妃の祈りはさらに続けられた。
そして王の預言通り四十日と十四日後、分厚い雲が割れた。
「空が晴れた! 太陽が輝いているぞ!」
全ての人々が天を仰ぎ希望に瞳を輝かせ喜んだ。
抜けるような青空に太陽が眩しいくらい輝いていた。
「アテン神さま、ありがとうございます」
民が特に最下層の人々が、ファラオの「神は光」という言葉を胸に刻んだ。
エジプトの人々がアテンを特別な存在として認識した瞬間だった。
アメンヘテプ王はケペルシュ王冠(青冠)をネフェルティティ王妃は上部が平らな冠を被っていた。
「今こそ革命の時だ」
アメンヘテプは王座の肘掛けを拳で叩いた。
王の玉座は金と宝石と黒檀で飾られ、弓形に曲がった金の座部には金と銀の冠をつけたコブラの絵が彫られていた。
「殿、いよいよ遷都の時がまいりました」
王の隣に座るネフェルティティははっきりとした声で決意を迫る。
その時、宰相のラモーゼがアテン神の巫女となったアティを伴ってやって来た。
「おお、ラモーゼそれにアティ」
二人の姿を見て、王の傍に座っていた狼のヒラールが起き上がり、嬉しそうに彼らのところへ行き頬を足に擦り付ける。
「ヒラール、嬉しい」
プント国の王女だったアティは美しい巫女に成長していた。
彼女は屈み込みヒラールの首に抱きつく。
「ラモーゼ、アティ」
「はい」
二人は王と王妃の前で跪く。
「アテン神を国家神に据えるため、アテン神のための聖地を造らねばならん」
アメンヘテプの大きく切れ長の目に魂の強い意志がにじむ。
「御意に御座いまする」
アメンヘテプ三世王のころから長く上エジプトの宰相だったラモーゼも、大きく首を縦に振り賛同した。
「アテン神のための聖地はどこにお造りになるのですか?」
アティの大きな黒い瞳が輝く。
「ラモーゼ」
アメンヘテプがそちから伝えよと促す。
「ヘルモポリスの東の対岸にある、精妙で神聖な大地で御座いますな」
とラモーゼはアテン神がアメンヘテプ王に示したアマルナの大地を思い浮かべた。
「ヘルモポリスといえば、創世神話の睡蓮に咲く太陽を思い出します。光り輝く美しい都となりましょう」
アティは感動の余り、思わず胸の前で手を組んで握り締めた。
「そうだ。その地に遷都するのだ」
アメンヘテプは椅子から身を乗りだした。
「わたしはかねてからアメン神を、神とも思わず私利私欲のために利用するアメン神官団の横暴を許せませんでした。此度のことは新しい時代の幕開けにふさわしい出来事となるでしょう」
ラモーゼも満面の笑みを浮かべる。
「わたしもそのお言葉を待ち望んでいました」
アティの大きく黒い瞳が輝く。
「新都はアテン神の命によりアケトアテン(アテンの地平線)と名付ける」
アメンヘテプは両腕を組み力強い口調で言った。
「アケトアテンにアテン神の聖都を早急に造営するのです」
ネフェルティティは意志の強さと優しさが同居する眼差しを二人に向けた。
エジプトは文明の誕生の頃は一神教だったという説があり、その後他民族の流入などで地方や都市ごとに神が祭られたという。ヘリオポリスにラア、メンフィスにプタハ、ヘルモポリスにトト、テーベにアメン、アスワンにクヌム……。
同じように、今、アメンヘテプ王は神々を統合するため、アテン神の聖地を、まだどの神にも属さない新天地に造ろうとしていたのだ。
その日、アメンヘテプ王は主立った高官や神官達を招集した。
その中には太后ティイの親族で同じアクミーム出身のアイがいた。彼は(弓兵長)(馬の監督官)の称号をもつ軍人だったが、アメンヘテプ王の治世になると(神の父)という、ファラオにとって侍従のような重要な側近となり王家に仕えるようになっていた。
アメンヘテプ王は立ち上がり居並ぶ高官や神官らを見据え、
「アテン神の聖地をアマルナの地に造り遷都する」
とよく通る声で言った。
宮殿が大きく揺れざわめいた。
さらに、アメンヘテプ王は決意が揺るぎないことを示すために、
「余は本日をもって、アクナテンと名乗る」
と高らかに宣言した。
ファラオは己の誕生名であったアメンヘテプ(アメン神は満足する)からアクナテン(アテン神に仕える者)と改名したのだ。同じようにネフェルティティもネフェルネフェル・アテン・ネフェルティティ(アテン神の美は麗しい)となった。
これは事実上のアメン神との決別宣言でもあった。
さらにこれ以降、王の若さと健康を祝うセド祭がアテン神のために行われ、アテン神がエジプトの唯一神となる段取りが着々と進められた。
その後、エジプトで最高の建築家や芸術家、技師、技術者、学者、軍人、天文学者、魔術師、アテン信仰に賛同する神官、労働者ら、およそ十万人ともいわれる人々が集められ、大規模な造営が急ピッチで行われた。建築王と呼ばれる父アメンヘテプ三世王は、サッカラのアピス牛の地下墳墓、モンチュ神殿、マルカタ王宮、メムノンの巨像とアメンヘテプ三世葬祭神殿など、エジプト全土に巨大な建築物を数多く造営したが、その遺伝子は息子アクナテンにも受け継がれていたのだ。
新都に選ばれたアケトアテンはテーベからおよそ三百キロ地点にあり、そこはテーベとメンフィスの中間地点にあたる中部エジプト、ナイル東岸に位置する。この場所は古代エジプト創世神話のヘルモポリスの対岸にあり、新しいエジプトの天地創造の核となる理想の大地だ。
このエリアは、新都を中心に北から東を回って南側を、高く切り立った崖が取り囲み、西側には雄大なナイルが流れているため、都市の防衛という視点からも最適である。さらに、王宮や大神殿などの大がかりな都市開発を進めるに適する、盆地のように広がる砂漠地帯。ナイル西岸を広範囲に占める肥沃な大地は、新都の市民への食料供給を満たすに余りあるのだ。
また、アケトアテンはエジプト至上初めて、いや、製図を起こして設計された世界初の計画的都市だと言われている。
広大な砂漠地帯に人口十万の巨大な都市を建設することが出来たのは古代エジプトの高度な技術力のなせる技であった。特に、タラタトと呼ばれる石灰岩のブロックが多く使われたが、この石材は加工しやすく一人で運べる大きさと重さだったので、重く複雑な仕組みのクレーンや運搬用ソリなど使わずに済んだ。その結果、よりコストを抑え、工期を短縮することを可能にした。
こうしてアクナテンは着工からわずか二年で新しい都、アテン神の聖地アケトアテンを造り上げたのだ。