美彩の結婚
福井を訪れるのは初めてである。
早朝六時前に家を出て、列車を乗り継ぎ、ようやくここまで辿り着いた。前泊するべきだったかと焦ったが、十一時からの披露宴には何とか間に合いそうで、私はホッと胸を撫で下ろした。
太平洋側から、日本海側へ。結構な長旅であった。出来るだけ楽な格好で移動したいと思い、Tシャツと緩いジーンズで家を出てきて正解だった。
披露宴会場で身に着けるつもりの、ラベンダー色のシャンタン生地のワンピースドレスと黒いハイヒールは、この大きめの旅行鞄に入っている。
少しタイトでシンプルなデザインのドレスを選んだのは、久々に会う友人たちに、大人っぽく綺麗になったと思われたいという、私の見栄である。
駅を出て、街を行き交う人々の会話にさり気なく耳をそばだてる。
私は無類の方言好きで、どこへ行っても、地元住民たちの会話を盗み聞くのが楽しみのひとつなのだ。
悪趣味かも知れないが、許して欲しい。
福井の訛りは、音にうねりのようなものがあって、何だか不思議なイントネーションだ。しかし、何となく心がほっこりするような、穏やかで優しい訛りである。
聞こえてくる音や、目に映るもの、街の匂い、それら全てにそわそわと興味を惹かれつつ、招待状に同封されていた地図を確認する。
美彩の結婚式は、福井駅からほど近いホテルで行われるらしい。
タクシーを使わなくても大丈夫そうだと判断し、地図を見ながら暫く歩くと、目の前にそれらしい建物が見えてきた。ホテル名を確認すると、やはりここで間違いないようだ。まだ新しく、綺麗なホテルである。
「お〜い! 佳也ちゃーーん!」
中に入ると、聞き覚えのある、アニメの少年のような声が、私の名を呼ぶのが聞こえた。
キョロキョロとその声の主を探すと……いた! ロビーの向こうで大きく両手を振っているのは咲子だ。隣には、こちらを見て嬉しそうに笑う綾もいる。年賀状のやり取りは続けているが、二人に会うのは三年振りである。勿論、今日の主役である美彩とも、同じく三年振りの再会である。
「咲ちゃん、綾ちゃん、久しぶり〜!」
私も思わず満面の笑みになって、二人のもとへと小走りに近づく。
「さっき咲ちゃんと二人で、花嫁の控室行って来たんよ。美彩ちゃん凄く綺麗やったで」
綾が、弾んだ声でそう言った。
「そうなん? ええなあ、私も会いたかったわ」
「披露宴の途中で話せる時間もあると思うよ」
咲子が、そう言って微笑んだ。
「それでな、さっき聞いたんやけど、美彩ちゃん、お腹に赤ちゃんいるんやて。来年の春にはママになるらしいよ」
「……えっ、うそ!」
「びっくりだよね。だから二次会とかしないんだね。悪阻は無いっていってたけど……」
本当に驚いた。
確かに、美彩は短大時代から家庭的かつ、母性的な女の子だった。とは言え、本物の母親になるなんてやはり俄には想像し難い。
だって、私の思い出の中の彼女は、いつまでも初心で素朴な女の子のイメージなのだ。
おめでたいことなのに、何だろう、この一抹の寂しさは。青春時代にサヨナラを告げるような、置いて行かれるような、そんな気持ちだ。
「佳也ちゃん、着替えて来たら? 披露宴もうすぐ始まるで」
綾に言われてハッとした。
当たり前だが、二人とも美しくドレスアップしている。
綾は相変わらずスレンダーで、黒いレースのワンピースドレスがその細身をさらに際立てている。それに、昔と変わらぬ長い黒髪をアップにしていて、今日は凄く大人っぽく見える。
咲子はやけに女らしくなった。スカートにオーガンジーを重ねた、淡いブルーのドレスのせいか、肩まで伸ばした髪のせいか、はたまた優しげな色使いのメイクのせいか。
短い髪に男の子みたいな服装、そしていつもノーメイクだった彼女が、今はとても清楚で儚げなイメージである。
「咲ちゃん、なんか可愛くなった」
「えへへ、ありがとう。佳也ちゃんは全然変わんないね」
「え〜っ、こんな格好やからやろ? すぐ着替えてくる!」
「更衣室あっちやで」
綾が廊下の向こうを指差して教えてくれた。
「へーーい!」
(あっ、あかん。ノリがやっぱりあの頃と変わらんわ)
大人っぽいドレス姿で女友だちをハッとさせたかったのに、やっぱり私はそんな柄ではないらしい。
◇◇
「大変お待たせいたしました。挙式を済まされ、幸せいっぱいの新郎新婦のご入場です。皆様、盛大な拍手でお迎えください」
女性司会者の美声が響くと、両開きの大きな扉がゆっくりと開き、レースやフリルをふんだんにあしらった純白のドレスに身を包んだ美彩と、アイボリーホワイトのタキシード姿の新郎が、幸せ絶頂のオーラを身に纏って登場した。
場内に、割れんばかりの拍手と、祝福の声が巻き起こる。
(おおっ、さすが美彩ちゃん、緊張してなさそうや。旦那さんの方がガチガチかも。お腹は……まだ全然目立ってないな)
落ち着いた美彩の様子に感心しつつ、二人が高砂へと進む様子を見送る。長く裾を引くドレスの衣擦れの音が聴こえる。軽く曲げた新郎の左腕にそっと掴まる美彩の顔は、この場の主役らしく自信に満ちている。幸せに輝くその姿は、ぼうっと見惚れてしまうほど綺麗だ。
あまりにもじっと見つめる私の視線に気付いたのか、美彩がこちらを見て蕩けるように微笑んだ。
私は、拍手をしながら「おめでとう」と、唇を動かした。
私と咲子と綾、そして、美彩とゼミで一緒だった友人たち三人が、同じテーブルを囲んでいる。
たった今、司会者から二人のプロフィールが紹介された後、馴れ初めが語られたのだが、それにはまた驚いてしまった。
「お二人は、地元タウン誌主催のお見合いパーティを通じて出逢い、愛を育んでこられたわけですが……」
司会者は、確かにさっきそう言っていた。
(ん? あれ? 短大のときに聞いた、結婚前提で付き合ってるって言ってた人じゃ……ない?)
確か、あの時の彼は、友人から紹介された人だと言っていた……と言う事は、別人!?
(……う〜ん。やっぱり三年も経つと、誰しも状況が変わっとるもんなんやなぁ)
私は、驚きつつも納得した。
自分とて、短大を卒業してからの状況は、目まぐるしく変化している。
ガチガチに緊張した様子の新郎のウェルカムスピーチが終わると、新郎の会社の上司と、美彩の中学時代の恩師からの祝辞があり、その次がウエディングケーキ入刀であった。
余裕の笑みを浮かべる美彩とは対照的に、何となくぎこちない仕草で一緒にケーキナイフを握る新郎の顔は、素朴で真面目な好青年という感じである。
ファーストバイトでイチャイチャとケーキを食べさせ合う二人は、とても仲睦まじくて微笑ましかった。
私も、いつか誰かとこんな風に、結婚式を挙げる日が来るのだろうか? 何だか全然想像がつかない。
(式は無理やな。自分が主役とか恥ずかしい。美彩みたいに自然に笑える気ぃせえへんわ)
乾杯の後、私たちは次々と運ばれて来るフレンチのフルコースにはしゃぎつつ、お互いの近況を報告し合った。
「さっきのオマール海老のビスク、美味しかったね」
確かに、咲子の言うとおり、あれは美味しかった。
「私、フォアグラ初めて食べたわ〜。咲ちゃんと綾ちゃんは食べたことあった? フォアグラ」
「何回かは」
「さすが咲ちゃん、お嬢様や」
「私は初めてやで〜。キャビアも」
「私も。て言うか、うちって全く外食せえへん家やったん。基本、獲ってきた魚と家庭菜園の野菜食べて生きてたん。肉なんかホントにたまにしか食べた事なかったんやで? そやから、今は肉三昧の生活を満喫しとるん」
勿論、完全な自給自足ではないが、かなりそれっぽい暮らしだったのだ。
「それ凄いな……佳也ちゃん、こないだ転居ハガキ送ってくれたやろ? 今は妹さんたちと一緒に住んでるんやんな? 姉妹三人暮らしって楽しそう」
「うん。楽しいけどいろいろあるんよ、ホント……」
実穂子の不倫疑惑や、百合香の彼氏つれ込み騒動が頭の隅をチラリと掠める。
「綾ちゃん、看護学校ってまだ行ってるんやった?」
「うん、来年卒業やで。国家試験あるけど」
「大変やなあ」
「佳也ちゃんは? 今何してるんやった?」
「住宅リフォームの会社で、営業兼キッチンプランナー。でも、まだ研修も受けてないし、ただの素人やで」
「へ〜、これから勉強かぁ」
「N電機の研修所が京都にあってな、そこに研修に行く予定なんよ」
「えっ、そうなん?」
「うん。それに、うちの会社を担当するN電機の営業マンが京都の出身なんやて。なんか私、京都に縁あるみたい」
「へえ。その人どうなん? カッコええ?」
「めっちゃ感じ悪い」
「あははっ、そうなんや。あっ、ビール飲んだら? 佳也ちゃんお酒好きやったやろ?」
綾が、私のグラスになみなみとビールをついでくれた。
短大の頃より飲めるようになった私だが、決して強いわけではない。しかし、勧められるとついつい飲み過ぎてしまうからいけない。
「どうぞ皆様、新郎新婦のお近くへお越しいただき、お話や写真撮影など、ご自由にお楽しみください」
司会者の声に、インスタントカメラを手にした綾が真っ先に立ち上がった。
「皆で写真撮ろ!」
他の多くの友人たちに囲まれていた美彩だったが、私たちの姿を見ると、満面の笑みで手招きしてくれた。
「美彩ちゃん、おめでとう。めっちゃ綺麗やで!」
「おめでとう! 旦那さん、優しそうだね」
「おめでとう。今日は呼んでくれてありがとう」
私たちは、次々と美彩への祝福の言葉を掛け、新郎に会釈した。
「ありがとう、みんな。遠くから来てくれて嬉しい」
「旦那さんにもご挨拶したいんやけど……」
私がそう言うと、美彩はにっこり笑って、隣で友人たちに囲まれている新郎を呼び、私たち三人を紹介してくれた。
美彩と新郎を囲んで何枚かの記念撮影をした後、私たちはまた元の席に戻り、お喋りの続きに興じたのだった。
「咲ちゃんはずっとホテルに勤めてるんやろ?」
さっき綾についでもらった溢れんばかりのビールをこぼさぬよう、慎重にグラスを持ち上げながら、私は咲子にそう訊ねた。
「うん。卒業してからずっとそのまんま。自分に合ってると思うし、楽しいよ」
「いいなあ、私もそんな天職見つけたいわぁ」
「えへへ。でも、結婚したら辞めるかも……」
「ええっ! 野々村さんと結婚決まったん?」
「言ってなかったっけ? あの人とはだいぶ前に別れたって。今は同じホテルの先輩と付き合ってるんだ」
「えっ、聞いてないっ! いつ野々村さんと別れたん?」
「う〜ん、一昨年の夏頃かなぁ。もう二年くらい前?」
「そんな前なん? なんで?」
「お互い忙しくてすれ違ってたし、あんまり会えなかったし……」
「……そっかぁ」
美彩の幼なじみによる、友人代表のスピーチが始まった。
私は、その話を聞きながら、幼い頃の美彩を想像してみた。あのしっかり者の美彩が、泣き虫で甘えん坊の女の子だった頃のことを。
だけど、あまり想像がつかなかった。
私たちが知らない美彩を、この幼なじみは知っている。しかし、短大時代の彼女を一番知っているのは私たちなわけで、そのことが私は何だか少し嬉しいのだ。
「そう言えばさ、佳也ちゃんと奥田さんはどうなったの?」
「へっ?」
いきなりそんなことを言われてドキッとした。彼のことを思い出すとき、甘い恋の記憶とともに、美彩のことを思い出してしまう。
奥田さんに片想いしていた頃の、まだ少女の面影を残した彼女の姿を。
「……別れた。卒業してからわりとすぐに。気持ちのすれ違いってやつ」
「そっか……遠距離恋愛って難しいね」
「うん。でもさ、遠距離じゃなくても難しいよ。奥田さんと別れた後に付き合った人とも、最近別れてしもたし」
「え〜っ、佳也ちゃん相変わらず恋多き女やな〜!」
綾が、ニヤニヤ笑いながらツッコんでくる。
「もう! そんなんちゃうけど、恋愛ってホント難しいなぁって思て。美彩ちゃんみたいに、お互い結婚したいって思える人と巡り合えるんかなぁって思わん?」
「せやなぁ。私もどうなるんかなぁ」
「綾ちゃん、彼氏できたん?」
「うん。病院実習で知り合った、臨床検査技師の人」
「えっ、いいじゃん! どんな人?」
咲子が、興味津々の様子で綾の方へ身を乗り出す。
「えっとな、私と同じテニスが趣味で、友達多くてさっぱりした性格の人。ちなみに顔も好みやで」
「めっちゃええやん! もっと詳しく!」
短大時代には、綾の浮いた噂は全く聞いたことがなかった。それゆえ、彼女の恋愛話をもっと聞かせて欲しいのだ。
お色直しのため、新婦の美彩に続いて新郎が中座するのを見送った後、私たちのテーブルに、美彩のご両親がわざわざ挨拶に来てくださった。二人とも、にこにこと優しそうである。
美彩の円満な性格は、このご両親によって育まれたわけだ。
(それにしても、美彩ってめっちゃお父さん似やったんやなあ)
ちなみに、美彩のお爺ちゃんも、お姉さんも、従兄弟たちも、みんなとても良く似ていた。
「私たちも一緒に写真撮らない?」
私たち三人と同じテーブルについている美彩のゼミ仲間たちが誘ってくれたため、みんなで賑やかに記念撮影をした。
それに、新郎の友人たちがビール瓶を片手にお酌しに来てくれたので断り切れず、ついつい飲み過ぎてしまった。
でも、悪酔いなどせず、何だかふわふわと幸せな気分である。
司会者による祝電の披露が終わると、お色直しした新郎新婦が、再び盛大な拍手を受けて入場した。
美彩は、やはりフリルたっぷりの、目にも鮮やかなピンク色のドレスに身を包んでいる。さっきのゴージャスなウエディングドレスといい、かなりお姫様チックなドレスが美彩の好みらしい。
(そう言えば……美彩って少女漫画好きやったなぁ。なんか、恋愛とファンタジー? そんな感じのやつが大好物やったはず……)
その世界観に、このお姫様ドレスは確かにぴったりだ。
キャンドルサービスで各テーブルをまわる新郎新婦が、私たち短大時代の友人席へ来てくれた。
テーブル中央のキャンドルに、仲睦まじく寄り添って火を灯す二人。揺らめく炎に照らされて微笑む美彩は、本当にファンタジーのヒロインのように美しかった。
新郎側の友人たちによる、歌やダンスの余興の後、司会者からの無茶振りで、私たちはいきなり歌を披露することになった。場を白けさせてはいけないと慌てて相談し合い、私たちにぴったりな気がする、竹内まりやの『forever friends』を歌うことにした。
私たち三人が歌い出すと、ざわざわしていた会場に一瞬の静けさが訪れ、意外なほど注目を浴びることとなってしまった。
美彩と私たちは、「だって彼よりずっと古い付き合いなの」と歌う歌詞ほど、古い付き合いではない。
短大時代のたった二年間、お互いの人生が重なり合っただけと言えなくもない。
しかし、その二年間はとても濃密で、きらきらと輝いていて、まるで心の片隅に眠る宝石の結晶のような二年間だ。
もしも私たちが、この先めったに連絡を取り合わなくなったとしても、一緒に過ごしたあの日々を想うだけで、心はきっと暖かなもので満たされ、口元には笑みが浮かぶだろう。
◇◇
「二人ともすぐ帰るん? 私は明日仕事やし、そのつもりやけど」
披露宴が終わった後、咲子と綾にそう訊ねると、綾はそうするつもりだと言い、咲子はしれっとこう言った。
「彼氏ともうちょい観光してから帰るつもり」
「?」
「彼と一緒にこっち来て、昨日の夜はここのホテルに泊まったの。今は彼、部屋で待ってくれてるんだ」
「えっ?」
「びっくりやろ〜? しかも……なあ?」
綾は、咲子の顔を見て、悪戯っぽく笑う。
「うん……さっき言いそびれたんだけど、私ね、彼と結婚するんだ」
「ええっ?」
「来年の五月に。佳也ちゃん、結婚式来てね!」
「ええええーーっ!! おめでと〜っ!」
咲子は、予定通り翌年の五月、清々しく晴れた佳き日に幸せな花嫁となり、その後、二人の女の子に恵まれた。
ちなみに、彼女の結婚式で司会者からいきなり名指しでスピーチを頼まれた私は、しどろもどろになりながら、咲子との短大時代の思い出話と、二人が婚前旅行で伊勢へ来てくれたときのエピソードを語った……のだが、二次会の席で、「あの旅行は親には内緒だったのに〜!」と、咲子にちょっと怒られたのだ。いや、申し訳ない。だって知らなかったんだもの。
美彩は、この結婚式の翌年の四月、無事に元気な男の子を出産した。そして、産後すぐ仕事に復帰してバリバリ働いていると書かれた手紙をくれた。その数年後、次男を出産したあとも、やはりすぐに仕事に復帰したらしい。
頑張り屋な彼女らしいと、私は感心したものだ。
綾は、看護学校を卒業後、仕事が生き甲斐だと語る頼もしい看護師さんになった。そしてなんと、あの臨床検査技師の彼と、十年以上に渡る長いお付き合いの末に結ばれ、咲子同様、二人の女の子のママになったのだ。
綾の結婚式のときは、私たちは三十代になっていた。少女時代は遠い昔のこととなり、それぞれの事情と、大人としての責任感を胸に、それぞれ懸命に生活していたわけだが、会えば一瞬にして学生の頃に戻れる、いつまでもそんな仲間たちなのであった。
しかし、それは今この時の私たちにとっては、まだ想像もできない遠い未来のことである。
そして、ときに躓いたり、転んだりしながら、私の物語はまだまだ続くのであった。




