そして支払いへ……
お待たせしました。
予定通りこれでお終いです。
気の遠くなる程に長く厳しく辛く苦しく激しい、小説に直せば500ページぐらいのラノベ20冊分以上の大作クラスの戦いと冒険の旅の果て、俺はこの異世界の危機を救った。
まさかあんな結末が待っているとは想像もしていなかった。
身も心もボロボロになりあらゆる犠牲を払い多くの怒りと悲しみを乗り越え、俺は終にやり遂げたのだ。
旅の苦楽を共にした仲間達と別れを告げ、俺はこの世界で最初に降り立ったあの神殿へと戻ってきた。
「おお、勇者よ。あなたのおかげでこの世界は救われました。世界の全ての者たちに代ってお礼を申させていただきます。本当にありがとうございました」
「礼には及びません。俺は自分の為に戦っただけですから。それで、報酬の事なのですが……」
「そうでしたね。では勇者よ、貴方には2つの道があります。この世界に残り英雄として一生を過ごしますか?それとも財宝を1つ受け取って元の世界に帰りますか?」
答えは既に決まっている。
俺はもうこの世界とはおさらばしたい。
英雄など煩わしいだけ。
これだけ長い旅にも関わらず、不思議と女性とは縁が無かった。
野郎どもとの暑苦しい友情は腐る一歩手前まで行ったが、なんとか貞操は守りきって先ほど別れを済ませてきた。
権力には何度陰謀に巻き込まれたか数える事も出来ない。もう二度と高貴な人にはお近づきになりたくない。
旅の間は生活が苦しく環境も劣悪だった(食と衛生は危険なレベル)ので、電化された快適な元の世界が恋しい。
「俺は元の世界へ帰ります」
「そうですか。残念ながら世界を越えて持ち帰る事ができる財宝は1つだけです。この目録から1つ、あなたが望む最高の品をお選びください」
「それではこの『異世界の硬貨』をいただきます」
俺は迷うことなく『500円玉』を選択した。
「はあ、これですか?失礼ですがこのコインには特に神霊や魔法の力が宿っているわけではありません。そちらの世界ではそれ程にこのコインに価値があるのでしょうか?」
いささか救世の代償としては安すぎる気もしたが、これで俺は晴れて元の世界に帰り、何の憂いも無く支払いを済ませることが出来るのだ。
それはあの時の俺の絶望を考えれば、他のどんな財宝にも代え難い無二の報酬だと思えた。
「これは大切な誇りと約束を守るための証です。他のいかなる財宝よりも俺にとっては価値があります」
この『500円玉』を得る為に途方も無い苦労を背負い込んでしまった感はあったが、終わりが目前となった今では、良い土産話を故郷に持ち帰れるなと思えた……誰も信じてはくれないだろうが、ネット小説にでもすれば良いネタになってくれるだろう。
「そうですか。本来ならばここにある全ての財宝を加えてもあなたの偉大なる功績に報いることができるとは思いません。ですがそれであなたに報いる事が出来たというのであれば、それもまた神のお導きでしょう。それではもうこれで二度とお会いする事は無いでしょうから最後に祈らせてください……あなたの誇りと約束が守られん事を」
女は心よりの笑顔を俺に向けて感謝の言葉を送ってくれた。
思えば彼女が俺を異世界召喚してくれたからこそ、俺はあの人生最大のピンチ(もしかしたらこの冒険で更新されている可能性は否定できない)を乗り切る事ができたのだ。
終った今だから言えることもある。
「こちらこそ助かりました。ありがとう。さようなら異世界!」
そして俺は異世界を去った。
―――――
夢だったのだろうか。
俺は客のひしめき合う昼時の小汚い定食屋の壁を見詰めながら自分の正気を疑った。
数年の月日が過ぎて年を取り、冒険の旅で鍛え上げられた薄汚いなりにも頑強な肉体、激戦で負った無数の傷跡。
それらは全て失われ、異世召喚される前の凡庸な中年太りの体つきに戻っている。
おそらくは、あの時から少しも時間が進んでいないのだろう。
食後の眠気に誘われて見た『邯鄲の夢』というやつなのだと考えるのが常識的だろう。
しかし、今俺の握り締めた拳の中には薄くて堅い金属の感触があった。
ゆっくりと手を開く。
『500円玉』
今時珍しい銀色に輝く旧硬貨。
『500円』『日本国』『昭和56年』と刻まれた、あの硬貨だった。
(異世界へ行った証……と言いたい処だが、結局は『こちらの世界』の物品なんだよなぁ)
数々の艱難辛苦を思い出せば、手放し難い思い出の証だったが、『500円玉』は所詮『500円玉』だ。それにあちらでこの『500円玉』を入手できたからこそ、ここの支払いを済ませて午後の戦場へ戻る事ができるのだ。
(せめて1000円札が目録の中にあれば、もう一食ランチを頼めたのになあ)
異世界に行った証がもう一つあるとすれば、既にお腹いっぱいのはずなのに『久しぶりに故郷の美味いメシが食べたい』と思える今の心境であろうか。
どちらもココに置いていかねばならないもので、このまま思い悩むのは未練たらし過ぎるし、外には俺の席が空くのを待っている客が大勢いるのだ。
(いいさ。また明日来ればいいんだ。今度はちゃんと財布を持って、な)
俺は手放し難い想いを振り払って、伝票を手に取り席を発つ。
それに気付いたおばちゃんが、仕事の手を止めてレジへと向かう。
手のひらに乗せた世界一つ分と等価値の確かな重みを噛み締めながら、この物語の締め括りに相応しい言葉を高らかに宣言した。
「おばちゃん!おあいそ!」
「今日のオススメランチですね。それでは525円頂戴いたします」
楽しんでいただけたでしょうか?
しょうもない話に3話もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
よろしければ罵倒・感想・評価よろしくお願いいたします。
2013 7 10
なんだか沢山の人に読んでもらえているようなので、週末までに要望のあった番外編を1本あげようかなと仕事をサボりつつ執筆中です。
タイトルは『蛇足之章・戦闘』を予定しています。