4 イリヤと王子
イリヤ視点です。
少し遡ること2週間前。
俺の名はイリヤ・バロー。南方に領地を持つバロー伯爵の長男だ。父の仕事を手伝う為に日々勉強中である。
今日は王都から客人が来ることになっている。早朝にも関わらず、城内は慌ただしい。客人は王妃とその息子の第三王子、そして数名の従者だ。王妃は父の妹にあたる。結婚するまでここで暮らしていた彼女にとっては、ちょっとした里帰り気分かもしれないが――
今回は療養が目的ということで、自室ではなく陽当たりの良い中庭が見える部屋が用意されている。幼少の頃から王妃を診ている医師にも既に来てもらっている。病気については詳しく知らされていないが、王都よりも暖かく穏やかなこの地にいれば、すぐ治るのではないかと思う。
俺にとって問題は第三王子の方だ。
妹が産まれた翌年に彼は産まれた。兄としての自覚が芽生えた俺は、従弟であるカミルのことを本当の弟のように可愛がった。領地と王都は離れているので頻繁に会うことは出来なかったが、カミルも俺を「イリヤお兄ちゃん」と慕ってくれている。
しかし、貴族としての知識と教養を学ぶにつれて、カミルは国王の息子であり自分は臣下の伯爵家の息子であることを痛感した。父からも「今後、王子と接する時は立場を弁えよ」と釘を刺されている。
カミルは悲しむだろうか……いや、突き放すような態度に怒るかもしれない。再会は嬉しいが内心は複雑だ。早く目覚めてしまったせいでもう日課の剣術の訓練をやり終えてしまった。
王妃と王子の到着は日が傾き始める頃だった。前方の馬車が止まった途端に王子が中から飛び出した。王妃は後方の馬車に乗っているようだ。
久しぶりに会うカミルは満面の笑みで俺に抱きついてきた。それを迎えるようにしゃがんで抱きしめる。柔らかいプラチナブロンドの髪を撫でてやると、くすぐったそうに笑う。
ふいに背後から鋭い視線を感じた。振り返るまでもない。父だ。立場を弁えない行動だと怒っているのか。可愛い従弟が抱きついてきたのに避けるわけにはいかないじゃないか。心の中で悪態ついた。けれどここからは主従の関係だ。意を決して口を開く。
「ようこそいらっしゃいました。カミル殿下。お待ちしておりましたよ」
カミルは酸っぱい物を食べたように口をひん曲げて眉をひそめた。そうかと思うと目一杯頬を膨らませて「イリヤお兄ちゃんの意地悪!」と声を張り上げて走っていってしまった。
既に心が折れそうだ。
「ごめんなさいね。お兄様から聞いていたからカミルには覚悟するように伝えてはいたのだけれど……」
「王妃陛下、謝罪など恐れ多い……私が、悪いのです」
王妃は気を落とさないようにと励ましてくれた。相変わらず王妃はお優しい。父とは大違いだ。兄妹で挨拶を交わす姿を見る限りではお元気そうだが、カミルとは別の馬車に乗ってきたということは、感染の可能性がある病気なのだろうか?
とにかく、まずはカミルと仲直りしなければ――
俺は足早にカミルのために準備された部屋へと向かった。
扉をノックして返事を待つと、少し間を空けて「誰?」と不機嫌な声がした。
「イリヤです。入ってもよろしいですか?」
「……いいよ」
中へ入るとカミルが長椅子に膝を抱えて座っていた。俺を一瞥すると視線をそらした。
「驚かせて申し訳ありません。本日からカミル殿下の護衛を命じられました。これからはイリヤとお呼びください。」
カミルはこちらを見ない。俺は仕方なく長椅子の正面まで近づいて跪いた。そして努めて穏やかな声で話しかける。
「行きたい場所があればご案内します。今日はもう遅いですが、城の隣の森でしたら明日にでも行けますよ。一緒に探検へ行きましょう。だから、もう拗ねないでください」
薄茶色の瞳が俺を映す。不機嫌な顔のまま小さく呟いた。
「一緒に遊んでくれるの?」
どうやら俺のことをまだ嫌っていないようだ。それが嬉しくて口角が上がり声が弾む。
「はい。もちろんです!」
「厨房に忍び込むのも手伝ってくれる?」
「……使用人の邪魔をしないと誓っていただければ、付き合いましょう」
「獣狩りや釣りもまた教えてくれる?」
「はい。一緒に行きましょう」
カミルがゆっくりと椅子から立ち上がった。屈んだままの俺を見下すと、わざと傲慢な態度で俺に命じる。
「じゃあ明日は森に行く! 案内と準備はイリヤに任せる。面白いものを見せてよね!あと……殿下は止めて」
なんと可愛らしい命令だろうか。こうしてカミルからの初めての命令は森の案内となった。父から命じられた護衛任務を疎かにするつもりはないが、久しぶりにカミルと遊べることに浮かれてしまった。
そして失念していた。湖上の塔のことを。




