四話
勉強を何時間もした後は、風呂の時間まではエルファや兵士たちとの模擬戦闘になる。これもまた毎日続けていた。
俺は体力も筋力も落ちているため、十分も動き続けていられればいい方だ。それ以上動いて胃の内容物を戻し、それを何度も繰り返すのもまた日課だ。結局風呂に入る前にもう一度食事を摂るのだが、これがまた多く食べられない。あまりよくないことだとは思っているが、寝る前にまた食べてしまう。
訓練場へ行き、上着を脱ぎ捨てた。ティーシャツ一枚とハーフパンツになり、軽く準備運動をする。
この訓練場も別荘の一部であり、風力や重力を調整したり水滴を降らせたりもできるすごい場所だ。
「さてやるか」
一応グローブを付け、エルファに向かってそう言った。
「はい、今日もよろしくお願いします」
彼女が腰の辺りにあるホックを外すとストンとスカートが落ちる。当然のようにスパッツを履いている。躊躇なく上着も脱ぐが、これもまた当然トレーニング用のタンクトップを着込んでいた。
毎回無性に胸が高鳴るのは、そこはかとない期待が俺の中にあるのだろう。なにに対しての期待かと言えば「あ、今日は着てくるの忘れちゃいました」みたいな部分にだ。
そんな日常のアクセントも必要だと思うが、エルファはそこまで間抜けではない。忘れ物もなければ、言伝を忘れることもない。非常に記憶力が良く、頭の回転が早い女だ。
「どうしましょう、今日もいつも通りでよろしいんでしょうか?」
いつもの通りとは、身体強化の魔術だけを使用した戦闘のこと。当然俺は【分析真眼】を使わない。
「ああ、構わない。早いところ感覚を取り戻さないといけないんだ。最低限、縁のあの体格や運動能力に近づく必要がある」
成長した後で、一番動かしていたのはあの身体だ。スーべリアットに召喚されるまでの俺は成長途中だったのだから。
左手を開いて前に出し、右拳を肩へと引きつけた。
「来い」
俺がそう言えば、彼女もまた同じように構える。
「わかりました。お覚悟……!」
身体を少し沈めたかと思えば、その靭やかなバネを利用して突進してきた。
最初はこの突進だけで沈められてしまった。初動の攻撃だけで気を失ったり、上手く立ち上がれなくなったり。筋力がないので当たり前といえば当たり前なのだが、それが妙に悔しくてムカついた。
コイツの戦闘スタイルは、まず相手の服や身体を掴むところから始まる。自分のテリトリーを維持するためであり、相手にペースを作らせないためでもある。
突き出した右手を避けようと半身を逸らせば、今度は猛スピードで左腕が伸びてくる。
それを逆に掴み返し、掴んだ瞬間にすぐ離した。エルファは目が良く、反応がかなり早い。俺はそこまででもないため、反射的な行動ではまず勝てない。ならば反応の良さを利用し、掴んだと思わせておいて身を退かせる。
俺が腕を掴んだ瞬間、彼女はハッとした表情になった。
そして、俺が考えていたような戦略はまったく通用しないことを思い知らされた。
腕を掴まれても関係なく、彼女の左手が伸びてきたのだ。こうなってしまうと手を離すわけにもいかず、この体勢では攻撃をするか防御をするかの二択しか残らない。
彼女の狙いはおそらくは右手での攻撃。
俺は彼女の左腕を掴んだまま、左へと腕を引き込んだ。こうすれば彼女の肩がこちらへと出てくるため、右手での攻撃はかなりしづらいはず。
なんてことを考えていた自分が、彼女の行動によって瞬く間に崩れていく。
左へと無理矢理移動させられたのを確認し、身体を回転させて蹴りを放ってきたではないか。無茶苦茶な体勢だというのによくやる。
左手で支えるように、右腕を盾にして攻撃を受ける。つまり、俺は彼女の腕を離してしまったということ。
気付いた時にはもう遅く、俺の腹部には痛烈な右ストレートが深々と打ち込まれていた。
「がはっ……!」
意識だけは失うものかと、宙を舞った身体を無理矢理地面に吸い付ける。やり方なんてなんでもいい、頭や足を振り子のようにして、勢いをつけさえすれば体勢は立て直せる。
だが、着地して顔を上げると、エルファのミドルキックが眼前に迫っていた。
ギリギリのところで両腕を盾にするも、無様に地面を転がってしまう。
目の前がグルグルと回るような感覚の中で、笑う膝に手をつき立ち上がる。
「おい、まだ立ってるだろ。手を抜くなよ」
そうは言ってみるが、強打をもらいすぎたせいで足に力が入らない。それどころか、顔面から地面に落ちてしまった。せっかく立ち上がったというのに、この数分で身体がいうことを聞かなくなってしまった。
「少し休憩をしましょう。まだまだ時間はありますから」
彼女は俺の肩を担ぎ壁際へと運んだ。
「情けない」
と、右手で顔を覆った。
なにが王だ、なにが戦士だと自分を叱咤したくなる。それ以上に自己憐憫が心を黒く染めていく。
エルファが強かろうが弱かろうが、戦いにさえならないのだ。俺が甘えていたからこういう状況になったわけではない。王子だからと怠慢していたわけではない。自分のせいではないという甘えが、ジクジクと胸を侵食していく。
「帰ってきてまだ数日です。焦ることなどありませんよ」
「そういうわけにもいかないだろ。最低限戦えるようにはならないとダメだ。勝つか負けるかはまあ、今はどうでもいい」
よくはないが、敵の足止めくらいはできなければいけないだろう。




