三話
早計だと、心の中でそう思った。
善はここでもう一度祠徒を召喚して能力を使う。当然のように影慈の動きが止まり、躊躇することなくその横っ面を殴り飛ばす。地面を何度か転がって、影慈はうつ伏せの状態になった。起き上がろうとはしているが、善の強力な拳撃を二度も食らったのだ。そう簡単には立ち上がれないだろう。
善の最後の能力、それはジャレットが持つ【思考停止】である。ジャレットは小人の女性であり、大きな善の手にすっぽりと収まってしまう。そのため、見た目では召喚しているのかどうかがわからない。
【思考停止】の能力は、読んで字の如く相手の思考を遮断する。最大二秒程度であるが、相手の意識を強制的に止めることができる。相手は一瞬で善が近づいたのだと錯覚し、瞬間移動のような能力なのではと考える者も当然いるだろう。
善は魔法力だけで見れば、学校内でもかなり高い位置にいる。だがあまり器用な方ではないため、身体を強化して殴り合うという戦い方が主流だ。確かに遠距離攻撃を主体とした相手は苦手であるが、インファイトに突入した場合、この【思考停止】は脅威となる。発動条件は自分から十メートル以内に相手がいること。範囲条件というのもまた、相手を追いかける善にとっては好都合だった。
が、そこで予期せぬ事態が起きた。
部屋の中心に影が集合し、人のような形を作っていく。
影慈は倒した、ではなぜ。善の脳内ではそのような疑問が駆け巡っていた。
「驚くなよ。わかってたことだろう? 黒澤影慈の能力は、影に潜ることだけだ」
真っ黒な人物はそう言った。真っ黒のまま、首をコキコキと鳴らす。
「挨拶が遅れたな、俺は黒澤一夜だ。これでも影慈とは二つ離れた兄なんだ。学校では地味だったからお前は知らないだろうけどな」
四方八方から黒い糸が伸び、善と汐里の身体に絡みついた。
一夜の身体から徐々に黒が解けていく。黒い糸がまとめて地面に落ちれば、革のパンツにティーシャツという格好だった。顔は影慈よりも目付きが鋭くキツネ顔である。
「悪いけど、影慈とフォーレットが起きるまではこのままだ。別に解いてもいいが、何度でも同じことを繰り返す」
「はじめからこの洋館にいたというのか」
「当然だ。餌に引っかかった奴を吊るし上げるのは俺の仕事だからな」
エルアートを攫う時にこの能力が使われなかった理由が今わかった。
「エレメンタルセブンってのはな、ガキの頃に俺が考えたヒーローなんだよ。夢見がちだった俺に乗っかってきたのが火群や影慈だ。今じゃ火群がリーダーだと思って奴ばっかりだけど、誰が生徒限定だって言ったんだよって話さ」
ケタケタと笑う一夜は、実年齢よりも幼く見えた。
エレメンタルセブン、最後の一人は黒澤影慈ではなかった。いや、影慈もまたエレメンタルセブンであり、人ではなく姓でくくれば数字も七のままだ。
「お前の目的はなんなんだ。エルアートの奪取にも失敗し、学校でも負けてエレメンタルセブンも檻の中。お前は一人でなにをしようというんだ」
「エルアートの奪取に失敗したというのは事実だ。けれど、この世界にはエルアート以外にも稀有な力を持つ者は多い。降りかかる火の粉を振り払って、その稀有な存在と接触する。ただそれだけだ」
「接触したところで、お前が得られるものなどたかが知れているだろう。第一世界に協力する者などそう簡単には現れない」
「協力して欲しいだなんて誰も言ってないだろう? 俺が使うんだよ、ソイツを」
「自分勝手な奴だ。それで世界征服でもしようというのか」
「世界征服なんてどうでもいいんだよ。俺が、俺たちが望むのは導術のない世界だ。俺たちのように一体しか祠徒を持てない者、導術が身体能力の一つとして認識され、それが当然のように横行する。頭が良いだけでも、身体が丈夫なだけでもダメ。完全なる才能が人生を左右する。そんな世の中を、許してはおけない」
「それを八人で行おうと言うのか。バカバカしい」
「だからミュレストライアと手を組んだんだろうが。どうやってかはわからないが、奴らはピンポイントで俺に接触してきた。知り合いを巻き込んでエレメンタルセブンを作り、目標に向かってひた走る。結局、俺と影慈以外は捕まったらしいがな」
一夜は自嘲気味に笑った。
本当はもう勝ち目はないと思っているのかもしれない。それでも悪あがきをするのは、このまま負けを認めるのが癪だということなのでは。善はそう考え、やはり自分が止めなくてはと奮起した。
全身に力を込めて影の糸を引きちぎろうとした。が、思った以上に弾力に富み、
「解いていいとは言ったが、解けるとは言ってないぞ」
ニヤニヤと、一夜は楽しそうに笑っていた。
「窓の外を見てみろよ、もう夜なんだぜ? 俺と影慈は夜が深くなれば深くなるほど、その力を増していく。お前にどれだけ力があったって関係ないんだよ。フォーレットが張った結界は強力だし、誰かに破られるようなことはないだろうな」
「そんな人物なら簡単にやられないと思うがな」
「フォーレットの悪いところは遊びすぎる点だ。それにお前の能力を把握していなかった。どういう原理かは知らないが、今使わないということは制約があるってことだろ? 発動条件は不明だが、俺とお前の距離は二十メートル以上離れている。接触もしていない。瞬間移動でもなんでもいいんだよ。お前が能力を使えない状態ならそれでいい」
「こんなことをして、導術に劣る者達にも光が当たるとでも思っているのか」
「やってみなければわからない。それに、ここまで来て引き下がれるかよ」
その時、大きな鐘を撞いたような音が洋館に響いた。建物そのものが若干揺れているようにも感じられる。
「誰か知らないが、無謀にも結界を破ろうとしてる奴がいるみたいだ。無駄な労力だって思い知るだろうな」
そう言いながら笑う一夜だが、屋敷内に響く音は徐々に大きくなっていた。
彼の額を、一筋の汗が伝う。
「あれだけ言っておいて不安にかられてるんじゃないのか? 結界が壊されるかもしれないという恐怖に怯えてるんじゃないのか?」
「黙れ。そんなこと、あるわけがない」
「それならば堂々としていればいい」
「黙れと言っている! その口、今すぐに塞いでやる!」
影の糸を束ねて巨大な剣を作り出した。そしてその剣は善へと向かって刃を立てた。




