第一章 兆し
—自然、記憶、静寂、そして感受性の萌芽—
<ナキ声>
蒸した暗がりを
稲光が照らし上げ
堪えきれずに
空が泣き出す
暑さと光に
狂わされた蝉が
蛙よりもけたたましく
叫び鳴いている
行き場のない呟きは
ドブから溢れ
歩く場所を
埋めていく
共鳴して
唯
ーーナク
* * *
<懐古>
降りしきる
結晶の積み木
溢れ出す地下水も
氷り果て
気まぐれな陽の
厚い絨毯の向こうの熱では
到底落城も望めぬ要塞
硝子のポットの湯の中で
茶葉が一枚
また一枚
開いては落ち
開いては落ち
はらはらり
眺めて息つき微睡んだのは
もはや遠い昔の話
何処か
彼方か
水鏡に映れた日々を
懐古
* * *
<浜辺にて>
月の引力が
波を生む
透けた宇宙が
僕らを呑む
ハジマリの足音が
しぶきを上げる
足元に散らばる石ころから
宝石を見つけ出して
僕らは
波を生む
* * *
<火傷>
秋桜の花が一つ落ちる
紅葉葉が僕らに笑いかける
時の流れをまざまざと魅せてきて
褪せる
朗らかに笑う太陽は熱だけを地上に届ける
希望と似た名前のするその匂いは
金木犀になって漂う
ややこしく絡み合った雑踏が車の排気にまみれて
人の足音を消していく
どこと聞いても答えのない浮島に思いをはせる
曇った空から落ちてくるのは
雨あられでもなんでもない
ただの憂鬱
それから望み
希薄な望み
僕らの肌を焼いて染みを作る
これは痛みだ
しかし病ではない
火傷にアロエを塗る
* * *
<狐の嫁入り>
遠くで降った雨が一粒
木枯らしに吹かれてやってくる
狐の嫁入りは
どこかで誰かが泣いている証
そこにいるのは、だあれ?
* * *
<黄昏>
ほの甘い
赤色りんごのほっぺの少女が
大人を知って藍に染まる
瞬く刹那の時間
月の満ち欠けの具合も
星覆いの雲の量も
何も知らないまま
* * *
<感情を蓮の花に流していく>
感情を蓮の花に流していく
きっと僕らはこの重さに耐えられない
水に濡れた髪の重圧
言葉は軽い
のしかかった影の音が
水音としてタイルを撃つ
水に濡れた顔ばかりが鏡に映る
欠けていく酸素
幸福とも呼べるようなざわつき
立ち上る湯気の向こうに有限の夢を見る
揺らぐ蜃気楼は僕の目の前で輝いて消えた
鬱屈と
ただ鬱屈と
僕らは時を過ごして
花の香りを待ちわびる
身にくるまされた絹のさらりとした感触は
僅かに冷たい
刺繍されている桜の花びらが儚く消えていく
僕らの吐息と等しく刹那の命がほつれていく
結び目はどこにあったんだろう
幽玄のかなたにあったはずの宇宙の結び目
運命の始まりと終わり
死んだ星の最後の輝きが
燃えた桜とよく似ていた
* * *
<時計の針が十二時を指すまで>
時計の針が十二時を指すまで
満ちることのない潮を
月の引力に願う
砂浜の貝殻に光る石を合わせて
波打ち際に脚を置く
夕日は一途に訴える
砂粒は儚いから
長くはもたないのだと
空の星屑はいかほどもつのだろうか
あのアンタレスはどれほどもつのだろうか
白鷺が飛んでいる
泣いて鳴いて空の此方まで
夢見て落ちて
手を伸ばしても届かない彼方へ
憧れを叫ぶ
誰にも計り知れない大きな望み
叶えてしまえば
繋げていた糸がほどけてしまうほどの
未練も後悔も捨て去って解放されるような
あるいは
薄っぺらい氷の表面が割れてしまうような