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「わぁ、これが夢に見た、内定式!」

「夢かもしれませんね」


 マイは目をキラキラと輝かせる。

 絨毯は品の良いグレーで、パイプ椅子が並べられている。

 席は自由なようだ。俺たちは真ん中の席に並んで座った。正面がよく見える。


 舞台は一段高くなっており、正面にスタンドマイクが一台、サイドには植木鉢のポインセチアが色とりどりに壇上を飾っている。壁には、日本国旗と会社のエンブレムの描かれた旗が掲げられている。ホワイトスクリーンに「祝!  内定おめでとう!!」とゴールドに装飾されたフォントが映し出された。


「なんだか、学校の入学式を思い出します」

 マイは感極まって泣いているようだった。


 周りを見渡す。どこか神妙な顔でぼんやりとする者、わいわいと盛り上がる者、涙を浮かべている者もいた。ここに来るまでに、さまざまな物語があったのだろう。


 やがて内定式は始まる。

 会長が壇上に立った。髪は禿げている。まだ中年くらいだ。

 中年男は会場を一瞥し、よく通る低い声で言った。

「どうやら、この中には招かれざる客もいるみたいだね」


 一瞬で場がしんと静まり返った。

 

 会長は満足したようで、長い長い自分語りを始める。

 子供時代は神童と呼ばれていたこと、大学院を出て就職活動をするもうまくいかなかったこと、株式投資で一千万円儲けたと思った矢先リーマン・ショックで借金を負ってしまったこと、三年間に渡るホームレス時代に起業を決意したこと、何度断られても諦めずに企業の門を叩いたこと、もがいてもがいてあがきまくって今日まで生きることができたこと、どんなに理不尽な世の中でも我々は生きる使命があること。


 俺は涙を流して会長の話に聞き入っていた。ふと隣を見ると、マイは不思議そうに首を傾げ何かに納得していない様子だった。


 そのあと、全員起立し国家と社歌を斉唱する。それから社長と人事部長から激励の言葉。最後に手渡しで社員証の授与式が行われ、式は幕を閉じた。


   内定式のあとには同じフロアでパーティが開催される。

 ホールには丸テーブルがいくつも並べられ、高級スイーツやフルーツ、ローストビーフやバームクーヘンなどの食べ物がバランス良く彩られている。

 立食式のバイキング・パーティーが始まった。


 スーツの人々は思い思いに会話を楽しみながら食事を頬張った。その中には会長や社長、人事部長の姿もあった。年配組はみな、何かを悟った風な面持ちをしていた。

 配られたグラスに赤ワインが注がれる。


「すごい豪華な内定パーティだよねー」

 マイはスライスチーズを食べている。

 ワインで酔っているのか、打ち解けた話し方だった。

 俺はマシュマロを口に放り込む。


「わたしね、ここに来るまでに八十社くらい受けたの。ぜんぶ落とされた」


「そうですか……」

 俺の方はまだ緊張して丁寧語を使う。


「悲しかったなー。なんだか、社会からわたしは必要ありません!って否定されてるみたいで。本当に自分が生きてていいのかなって思うこともあった」


「よく……、ここまで頑張りましたね」


「ありがと、そう言ってもらえると報われるなぁ。タカシ君は、何社くらい受けたの?」


「俺は……かれこれ二年近く就活を続けてるから」


「えっ、もしかして学生じゃ……」

 マイはスライスチーズを喉に詰まらせてしまったらしく、そこでむせる。苦しそうに咳き込んだのち、ボトルワインをがぶ飲みした。

 俺もよく、海苔を喉に引っかからせてしまったりして絶望する。


「俺は十四卒ですよ、もう卒業してます」

「えっ、でもそれってちょっとおかしくない。わたしは十五卒ですけど、十四卒と同じ内定式に出席するなんて」


「たしかに、珍しいですね……」

 言葉を濁した。


「おいおい、君はもう気付いているんじゃないか」

 突然声をかけられ振り向くと、先程のエレベーターで一緒に居たあの男が立っていた。

「ちなみに俺は十三卒だぜ」彼はふっと笑って、ワイングラスに口をつける。

「そういや、あのおっさん……」男の眺める方向には会長の姿があった。「八十六年卒だってな、大したもんだ」


 何だ、彼はいきなり現れて、何を言っている?

 マイは急に青ざめた顔をして、震えだした。


「ねぇ、さっきから不思議だったんだけど、これって本当に内定式なんだよね」

 

 グラスを口に運び、目を閉じ考える。

 ワインが舌の上を転がっている。苦い。

 この苦さは本物なのだろうか、それとも想像上の産物なのだろうか。


 彼女は続ける。

「ほら、ちょっとリアリティに欠けるというか、まるで内定式に出た経験のない、無内定の学生が想像だけで描写してるような、そんな感じがするの」

 声が震えていた。目が怯えていた。

 

「何言ってるんですか、漫画の世界じゃないんですよ……」

 自分の声も得体の知れない不安を帯びているのがわかった。

 目を開けると、彼女はいっぱいに涙を浮かべていた。よく泣く人だ――。


「なぁ、現実逃避は終わりにしようぜ」

 男は壇上のホワイトスクリーンを指さす。

 今まで隠されていた、空白部分がようやく投影される。


 それは俺とマイが、気付いていながら無意識で抑圧し隠蔽し、見まいとしていた二文字――。



――無い内定式――



「ここに居る奴は、みんな無い内定なんだぜ」


「嘘だ! 嘘、嘘……でしょ……」

 マイは泣き崩れ、皆がこちらに注目した。彼らもまた事情を察したようであった。


「そうか、俺は、十四卒無い内定だったのか……」

 認めたくはない。

 しかし、どこかパズルのピースがピタッと当てはまったような納得感がある。

 やはり、俺は最初からこの茶番劇に気付いていたのであった。


「マイさん、たぶんここは現実世界じゃない。明晰夢の類でしょう。夢見者がマイさんか俺かは分かりませんが、とにかく俺たちは内定式の夢を見ている……」

 俺はマイに、夢という現実を知らせた。


「そんな、わたしの今までの努力は、苦しみは何だったんですかぁ!!!」


 会長がやってきて、マイの肩にポンと手を置く。

「辛かっただろうね。だが、君たちには未来がある。否、僕達全員に、未来があるんだ」

 会長は優しく言った。


「そうです! それにマイさんは十五卒じゃないですか。十月から三月まで、半年も新卒切符が残っている。就職活動は、まだまだこれからですよ」

 俺も便乗して励ます。

 そう、彼女は此処に来てはいけない。未だ彼女には新卒入社の希望がある。彼女が無い内定式に出席するのは早過ぎたのだ。


「君も同じだよ」会長氏はにこやかに言った。「就職活動をするのに遅すぎるということはない。引き篭もってばかりいずに、出てきなさい。もちろん、僕もだがね」


「めんぼくないです」

 俺は頭を掻いた。


「許さない許さない許さない、こんな不条理な世界は、わたしが許さないんだから」

 マイは地団駄を踏んだ。空間全体がデタラメな方向に震動し、床や壁やあちこちに深い闇の亀裂が入った。


 嗚呼、世界の終わる音はなんとけたたましいことだ。

 ギリリリリリリリリリリリ、リリリリリリリリリリリ、許さない、許さない、ユルサナイ、リリリリリリリリリリリリリリリリリリリ――――



――――――

――――



『ねぇ、お兄ちゃん、早く起きてよ。もう朝ごはん冷めちゃうよ。ねぇ、どうして目を覚まさないの。ふぅーん、わかった! わたしがお兄ちゃんを料理すればいいんだね。ユルサナイ! ユルサナイ!』


 そこで目が覚めた。

 ボタンを叩くと目覚まし時計は『ごめん、なさい。お兄ちゃんが起きないからうっかり内臓を……、ううん、何でもないよ!』と言った。


 時刻は九時半を回っていた。

 あくびをしながら居間に向かう。

 机の上には置き手紙。

『パートに出かけてきます。昼食は冷蔵庫。母より』

 それと、スナックパンの袋が朝食用に置いてあった。


 歯を磨き、顔を洗い、スーツに積もった埃を払い落とす。

 久しぶりにリクルートスーツを身に付けた。気が付くとスーツは、随分と窮屈になっている。新しいのを買わないといけない。それともダイエットが先か。


 俺は、スナックパンを口にくわえ、ビジネスバッグを片手に持ち、玄関の鍵を閉めた。


 朝陽が眩しい。俺はいつから明るい空を見なくなったか。


 駅への近道へ向かうため、路地を曲がる。


 きゃっ!


 誰かとぶつかる。

「いっててててて」

「あのぅ、大丈夫ですか?」


 リクルートスーツ姿の女性が手を差し伸べてきた。

 俺は微笑んでその手を受け取る。


「すみません、俺も急いでたんで。ハローワークに行かないと」

「えっ、奇遇ですね、わたしもです。それともどこかで会いましたっけぇ」


「まさか、あなたも?」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。



 【完】


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