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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第11章 誰の命令でもない革命

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第75話 公開異端審問


 第一鐘が鳴った時、クラリス先生は学院北棟から連れ出された。


 旧風見塔の上階からは、馬車そのものは見えない。


 だが、学院北門の聖印灯が一つずつ白くなり、街道沿いの追跡柱が順番に応答する。それを古い風向板が拾い、細い振動として伝えていた。


「北門を出た」


 リオネルが言う。


「護衛は予定より二人多い。前後に王国監査官。教会兵は六」


「先生の状態は?」


 リナが訊く。


「歩いて馬車へ入った。支えられた様子はない」


 歩ける。


 それだけで安心してはいけない。


 拘束具の銀線が指先を圧迫している。取り調べが何日続いたかも分からない。人は歩ける状態のまま、十分に傷つく。


「人員班、学院へ」


 リオネルが短い位相符号を送った。


 ミリーナが学生たちを引き取るための合図だ。


 セリナとナタリアは、すでに裁きの塔へ向かっている。


 ダリオ、カイ、ミーナ、エリシアは地下給水路の確認。


 俺は、別の馬車で塔へ入る。


 正面からではない。


 審問に提出する押収資料の箱へ紛れて。


「また箱に入るのか」


 俺が言うと、ミーナは表情を変えなかった。


「五日入れたんだから、一刻くらい誤差でしょ」


「人間を体積で評価しないでほしい」


「急いで。先生の馬車の方が先に着く」


 フィンの工具包みとクラリス先生の鍵を抱え、木箱へ入る。


 今度の箱はさらに狭い。


 上には、押収された偽の共通魔法コード、黒鉛板、未登録媒体、退避札が載せられた。


 教会が異端の証拠として集めたものだ。


 その下に、異端の中心と呼ばれている本人が入っている。


 分類としては分かりやすいのかもしれない。


     ◇


 裁きの塔へ着いたのは、第二鐘の少し前だった。


 箱の外で、搬入記録を読む声がする。


「押収資料、七箱。未登録媒体、三十二。違法手順書、九十六。非連結者用補助具、十一」


「封印を確認」


「審問場脇の証拠庫へ」


 台車が動く。


 床の材質が変わった。


 石畳。


 塔内の磨かれた黒石。


 短い傾斜。


 左へ二度曲がる。


 以前、俺が拘置された区画とは違う。


 アークの種は光を落としている。完全停止ではない。外部へ信号を出さず、振動と温度だけを記録する受動監視状態だ。


【記録中】


 胸元に触れた表示を、指先で確認する。


 箱が床へ下ろされた。


 人の気配が遠ざかる。


 外板を二回、間を置いて三回叩く音。


 セリナが手配した証拠係の合図だ。


 内側から留め具へ細い爪を入れる。


 音を立てずに一つ外す。


 蓋を少し持ち上げた。


 薄暗い証拠庫。


 壁一面に封印棚が並び、中央の机には押収品の目録が積まれている。扉の向こうから、審問場へ集まる人々の足音が聞こえた。


 箱から出る。


 白衣ではなく、教会の記録補助員が着る灰色の外套を羽織った。


 鏡はない。


 似合っているかは重要ではない。


 見られる前に役割のある人間として動けば、人は服装の細部まで確認しない。


 目録板を一枚持ち、廊下へ出た。


     ◇


 審問場は、以前俺が尋問された部屋より広かった。


 半円形の床。


 中央に一脚の椅子。


 その周囲を囲む三重の聖印線。


 正面には審問官席。


 左右に学院と王国の立会席。


 上階の回廊には、許可を得た貴族、聖職者、学院教授が並んでいる。


 壁には四枚の投影板。


 北区広場。


 学院講堂。


 王国監査部記録室。


 聖教会王都支部の礼拝堂。


 四か所へ同じ映像を送る。


 公開審問。


 だが、中央の人間だけが自由に話せない構造だった。


 クラリス先生は、すでに椅子へ座っていた。


 学院の講師服ではない。


 飾りのない薄灰色の服。


 透写羽ペンも、研究手帳もない。


 両手には銀線拘束具。


 右手の指が、膝の上でわずかに震えている。


 それでも、背筋は伸びていた。


 顔色は悪い。


 目は、諦めていない。


 先生が回廊を見上げた。


 一瞬だけ、視線が俺のいる記録補助員の列を通る。


 気づいたかは分からない。


 気づいても、表情を変えない人だ。


     ◇


 第三鐘が鳴る。


 マルティン=セヴェル審問官が立った。


 黒衣。


 銀の聖印。


 以前と同じ、書類を読むような目。


「これより、クラリス=エルダーレンに対する公開異端審問を開始する」


 声が投影板を通じ、四か所へ送られる。


「被審問者は、王立魔導学院准教授の地位を利用し、非連結者天城ユウマによる未登録術式研究を支援。封印資料の危険項目を閲覧させ、疑似スキル互換層、外部演算核、大域同期素子Ωに関する異端思想を広めた」


 クラリス先生は黙って聞いている。


「さらに、十二年前、外部補助術式研究班、通称第三演算班に所属。低整相者を用いた危険実験により、一名の魔法回路を不可逆的に損傷させた。過去の失敗を知りながら、同系統の研究を再開した責任は重い」


 審問場の空気が揺れる。


 回廊の貴族たちは、事故という言葉に反応した。


 北区広場の投影には、多くの市民が映っている。


 学院講堂には学生たち。


 マレクの姿もあった。


「被審問者。事実を認めるか」


 クラリス先生は、すぐには答えなかった。


 右手の指を一度だけ開こうとする。


 銀線が白く光る。


 言葉を発する前に、聖印線が声の位相を測っている。


「第三演算班に所属していたことを認めます」


 先生の声は穏やかだった。


「事故が起きたことも、その場にいたことも、事故後の封印報告書へ署名したことも認めます」


 回廊に小さなざわめき。


 マルティンの目が細くなる。


「ならば、同じ異端へ再び手を貸した理由を述べよ」


「その問いには、前提の確認が必要です」


「前提はすでに示した」


「いいえ」


 先生は静かに首を横へ振る。


「示されたのは、事故が起きたことと、私がそこにいたことです。事故原因は示されていません」


「外部補助術式の暴走だ」


「なぜ暴走したのですか」


 マルティンは一拍、黙った。


「未熟な異端研究であったからだ」


「それは分類であって、原因ではありません」


 クラリス先生らしい返しだった。


 まず問いを返す。


 相手が曖昧な言葉へ逃げた時、定義へ戻す。


「停止語は、なぜ外部補助核へ届かなかったのですか」


「――」


「反力処理の必要性は、なぜ実験班へ開示されなかったのですか」


「被審問者。質問を許可した覚えはない」


「では、三つ目だけ」


 先生はマルティンではなく、投影板を見た。


「Ω遮断に関する頁を黒塗りにしたのは、誰ですか」


 学院講堂の映像が揺れた。


 学生たちが互いを見る。


 マルティンが杖で床を打つ。


「被審問者の発言を、問いへの回答に限定する」


 三重の聖印線が強く光った。


 クラリス先生の声が途中で薄くなる。


 拘束具と床の聖印が同期し、許可されていない発話を消している。


 恐怖や痛みではない。


 言葉そのものを、命令への不要入力として切り捨てている。


 アークの種が胸元で微かに反応した。


【停止要求の無効化ではない】


【発話入力の選別を検出】


【拘束対象の同意:未確認】


 今は止めない。


 先生は、この構造を承知で壇上へ来た。


 先に記録を開く。


     ◇


 学院側立会席から、ザレス副学長が立った。


 黒衣に聖印指輪。


 学院の人間でありながら、教会側と同じ色を着ている。


「クラリス准教授」


 声には、勝者の落ち着きがあった。


「あなたは過去の失敗を、資料不足という言葉で他者へ転嫁しようとしている。だが、実験を行ったのは第三演算班です。危険を承知で低整相者を試験台にした。その事実は変わらない」


 先生の顔に痛みが走った。


 銀線のせいではない。


 十二年前の友人を思い出している。


「変わりません」


 先生は答えた。


「私たちが未熟だったことも、停止できない装置を人へ接続したことも、友人の身体を傷つけたことも。私は、その責任から逃げません」


 ザレスの口元がわずかに上がる。


「ならば――」


「だからこそ、事故原因を一つへまとめることを拒みます」


 先生の声が重なった。


「実験者の未熟さ。停止条件の欠落。反力処理の不足。閲覧制限。認可した学院。異端研究として結果だけを封じた教会。すべてを残さなければ、責任を取ったことにはなりません」


「詭弁です」


「検証です」


 穏やかな声だった。


 だが、一歩も退かなかった。


 俺は記録補助員の列から前へ出た。


「その検証に必要な鍵を持っています」


 審問場の全員がこちらを見る。


 クラリス先生の目が、初めて大きく開いた。


 マルティンの顔には、わずかな驚き。


 ザレスの顔には、理解より先に嫌悪が浮かんだ。


「貴様――」


 灰色の外套を外す。


「天城ユウマ」


 北区広場が騒然となる。


 学院講堂では、誰かが立ち上がった。


「指名手配中の異端者が、裁きの塔へ侵入した!」


 ザレスが叫ぶ。


「記録上は、押収資料と一緒に搬入された」


「ふざけるな!」


「分類としては間違っていないと思います」


 こういう時に皮肉が出るのは、たぶん良い癖ではない。


 マルティンが杖を上げた。


 教会兵が審問場の入口を塞ぐ。


「動くな。変な行動をすれば、その場で封殺する」


「何もしません」


 両手を見せる。


 媒体杖は外套の内側にあるが、触れない。


「正式な証拠提出を求めます」


「貴様に発言権はない」


「中心署名として告発されている本人です。しかも、第三演算班共同監査記録の照合鍵を持っている。公開審問で証拠を拒否した事実も、今、四か所へ記録されています」


 投影板を見る。


 切れば、公開審問を教会自身が止めたことになる。


 続ければ、鍵を拒む理由を説明しなければならない。


 公開という形式が、初めて教会側を縛った。


 マルティンはすぐに決めなかった。


 回廊の貴族たちが囁き合う。


 王国監査部の立会人が、隣の記録官へ何か確認している。


 セリナが静かに口を開いた。


「王国監査立会規則では、共同保存記録の照合鍵が提出された場合、真正性確認を拒むには三者の理由書が必要です」


 アークロウ家の令嬢としての声。


 誰も、後ろに立つ地味な侍女がナタリアだとは見ていない。


「ここで確認する必要はない」


 ザレスが言う。


「別室で――」


「公開審問へ提出された証拠を、非公開の別室へ移す理由は?」


 セリナが問い返す。


「安全確認です」


「ならば、投影したまま安全確認を」


 ザレスが彼女を睨む。


「アークロウ家は、異端者に与するのですか」


「家の判断を述べた覚えはありません。記録手続きを正確にしているだけです」


 クラリス先生が、ほんの少し笑った。


 自分が何度も使った言葉を、別の人間が返している。


     ◇


 王国監査部の立会人が、照合を要求した。


 教会だけが拒めば、共同監査制度そのものを否定することになる。


 マルティンは鍵の受領を認めた。


 審問場の中央へ、二枚の記録板が運ばれる。


 一枚は学院封印書庫の写し。


 一枚は聖教会王都支部の監査写し。


 どちらも、第三演算班事故記録と表示されている。


 だが、頁数が違った。


 学院側、四十二頁。


 教会側、三十九頁。


「三頁の差」


 ナタリアが侍女の位置から呟く。


 声は小さい。


 記録板はすでに動いている。


 俺は鍵を中央の接続溝へ置いた。


 二本の位相線が、それぞれの記録板へ伸びる。


 最初は何も起きない。


 石英が冷たいまま沈黙する。


 失敗か。


 十二年前に鍵が失効している可能性。


 記録がさらに改竄された可能性。


 俺の推定が間違っていた可能性。


 焦りが胸を上がる。


 出力を足したくなる。


 だが、鍵は発動装置ではない。


 強く押せば開くものではない。


 位相差を観測する。


 学院側は三拍。


 教会側は四拍。


 同じ事故を、違う更新周期で保存している。


 鍵の二本の線は、同時接続のためではない。


 互いの記録が更新された時刻差を埋めるための遅延線だ。


「Λ」


 俺は小さく言った。


 因果遅延素子。


 鍵に古代素子そのものが入っているわけではない。遅延の処理手順だけが刻まれている。


「三拍目を保持。四拍目へ照合」


 短い入力を与える。


 魔力は最小。


 媒体杖を使わず、石英鍵へ指先で位相を置くだけ。


 二本の線が光った。


【共同監査差分を検出】


【欠落頁:三】


【更新履歴:封印前に閲覧制限】


 審問場の空気が止まった。


 三枚の頁が、投影板へ浮かぶ。


【外部補助核における停止入力の平滑化を確認】


【恐怖・痛覚・拒絶を局所ノイズとして分離】


【反力ダンプ未接続時、人体側への逆流可能性】


【Ω参照入力を切断しない状態での有人試験を禁止】


 禁止。


 事故後に書かれた注意ではない。


 事故の六日前に記録されている。


 その下に、閲覧制限命令。


 聖教会監査官の印。


 学院上層部の承認印。


 理由欄。


【神授術式の根幹解釈に抵触するため、実験班への開示を保留】


 クラリス先生が目を閉じた。


 安堵ではない。


 十二年前、知らされなかった一文を、今初めて読んでいる。


 もし知っていれば。


 事故を止められたかもしれない。


 友人の魔法回路は失われなかったかもしれない。


 だが、可能性は過去を戻さない。


「これで、私たちの責任が消えるわけではありません」


 先生は言った。


「ですが、私たちだけの責任ではなかったことは、記録してください」


 ナタリアの指が記録板を走る。


 全文。


 署名。


 頁番号。


 更新時刻。


 学院講堂の投影板の隅に、小さな複写印が灯った。


 写本ギルドへ届いた合図だ。


 次に、職人街の価格掲示網。


 石英の価格欄が一瞬消え、代わりに三つの頁番号と照合署名が表示される。


 記録は塔の外へ出た。


     ◇


「投影を切れ!」


 ザレスが叫んだ。


 マルティンより早かった。


 四枚の投影板のうち、礼拝堂向けが消える。


 王国監査部向けが揺れる。


 学院講堂と北区広場は残った。


 一つの命令では止まらないよう、送信係が分かれている。


 先生たちが守ってきた手続きの分散が、今は教会の遮断を遅らせている。


 北区広場の映像から、声が届いた。


「知っていたのか!」


 誰かが叫ぶ。


「止め方を隠したのか!」


 別の声。


 やがて、短い言葉が重なる。


「知識を奪うな!」


 一人。


 二人。


 広場の端から中央へ広がる。


「知識を奪うな!」


 学院講堂でも、学生が立ち上がった。


 マレクが、胸元から小さな紙を出す。


 何度も書いた停止語。


 戻れ。


 彼はその紙を隠さなかった。


 頭上へ掲げた。


     ◇


 審問場の奥で、赤い封蝋が光った。


 マルティンの記録台へ、新しい命令書が現れる。


 教皇印ではない。


 枢機卿の赤帽印。


 ヴァレン。


 先生が警戒していた、教会の政治を扱う男だ。


 マルティンが内容を読む。


 表情は変わらない。


 だが、杖を握る指が強くなる。


「公開審問を中止する」


 北区広場から怒号が上がる。


「クラリス=エルダーレンおよび天城ユウマを、聖教会特別管理下へ移す。共同監査記録は危険文書として封印。審問場内の全員は、確認終了まで退室を禁ずる」


 扉が閉まる。


 三重の聖印線が立ち上がる。


 投影板が一枚ずつ暗くなる。


 クラリス先生の拘束具から、強い白光が走った。


 右手の指が固く閉じる。


「先生!」


 俺が一歩出る。


 教会兵の槍が向けられた。


 先生は痛みに耐えながら、俺を見た。


「天城君」


 声が聖印に削られる。


 それでも、聞こえた。


「記録は、外へ?」


「出ました」


「では」


 先生は、ほんの少しだけ笑った。


「次の手順へ進みなさい」


 問いは残った。


 記録は開いた。


 残るのは、先生をここから連れ出すことだった。


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