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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第8章 知識は檻を越える

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第40話 知識を閉じた日


 ユウマが連行された後の学院は、ひどく広かった。


 同じ廊下。

 同じ教室。

 同じ鐘の音。


 けれど、中心が抜け落ちたように感じる。


 エリシア=ヴァーミリオンは、玄関ホールに立ったまま、遠ざかる教会馬車の音を聞いていた。

 車輪の音は、石畳を一定の間隔で叩きながら小さくなっていく。


 やがて聞こえなくなった。


 それでも彼女は動けなかった。


「エリシア」


 リオネルの声で、ようやく意識が戻る。


「ここに立っていても、何も変わらない」


「分かっているわ」


「分かっている顔ではない」


「あなたにだけは言われたくないわね」


 言葉はいつも通りだった。

 けれど、いつもの棘は弱い。


 リオネルは反論しなかった。


 その代わり、彼はホールの奥を見た。

 ザレス副学長が、監査官たちと何かを話している。

 学生たちは散り始めているが、完全には離れない。

 事件の熱だけが、学院の床に残っていた。


 クラリス先生は、まだ動いていなかった。


 彼女は玄関の柱のそばで、審問官が提示した立ち入り許可書の写しを見つめていた。


 学院長印。

 王国監査印。

 聖教会王都支部の聖印。


 三つの封が並んだその紙は、ユウマを連れていくために、学院と王国と教会の手続きがすでに通っていることを示していた。


 表情は穏やかだ。

 だが、その指先は白くなるほど紙を握っている。


「クラリス先生」


 エリシアが近づく。


「彼を取り戻す方法はありますか」


 問いは直線だった。


 貴族令嬢としての抗議ではない。

 共同研究者としての責任でもある。


 けれど、それだけではなかった。


 エリシアは、ユウマをただの研究相手として見ているわけではない。

 何度も言葉を交わし、何度も火と理論を重ね、森で背中を預けた相手だ。

 今の声には、友を奪われた者の怒りと、救いたいという感情が混じっていた。


 クラリスは、すぐには答えなかった。


「正式手続きで、弁明要求を出すことはできます」


「それで?」


「時間を稼ぐことはできます」


「助けられるとは言わないのですね」


「嘘は言いません」


 エリシアは唇を噛んだ。


 フィンが横から口を挟む。


「じゃあ、正式じゃない手続きは?」


「フィン君」


「俺、今すごく丁寧に訊いたつもりなんだけど」


「内容が問題です。今ここで“どう取り戻すか”を口にすれば、それだけで全員が疑われます」


「……じゃあ、どう訊けばいいんだよ」


「今は訊くのではなく、考える段階です。声に出す前に、守るべきものを整理しましょう」


「じゃあ普通に言う。あいつを教会に渡したままでいいわけないだろ」


 リナが小さく頷いた。


「わたしも、そう思います。でも、どうすればいいのか……」


 カイは周囲を警戒しながら言った。


「今すぐ動くと、全員まとめて捕まる。向こうはそれを狙ってる感じがした」


「ええ」


 クラリスは静かに言った。


「連座という言葉を出したのは、あなたたちを止めるためです」


「なら、先生」


 エリシアが一歩詰める。


「止まるべきですか」


 クラリスはエリシアを見た。

 その目に、いつもの授業の柔らかさはなかった。


「いいえ」


 短い答えだった。


「止まるべきではありません。ただし、燃え上がるべきでもありません。火は置き方を決めてから置く。さっき、あなたがそう言ったはずです」


 エリシアの瞳が揺れる。


「……覚えています」


「なら、まず記録を守ります。次に証言を整理します。そして、ユウマ君が何をしたのかではなく、何をしなかったのかを明確にします」


「何をしなかったのか?」


 リオネルが問う。


「彼はΩ接続をしていません。アークを起動していません。治癒SELを実行していません。集団同期も行っていません。定義したのは、禁止条件を含む互換層です」


 クラリスは、三つの封が押された立ち入り許可書の写しを折り、懐に入れた。


「教会は、知ったことを罪にします。私たちは、行っていないことを証明しなければなりません」


 その時だった。


「証明、ですか」


 背後から声がした。


 ザレス副学長だった。


 彼はゆっくりと歩いてきた。

 その後ろには、学院監査官が二人。

 さらに、教会の白衣が一人。


「まことに興味深い言葉ですな、クラリス先生。あなたは昔から、危険な知識を証明という言葉で飾る癖がある」


 クラリスの表情が、わずかに固まった。


 エリシアはそれを見逃さなかった。


 ザレスは口元に薄い笑みを浮かべた。


「学生諸君は知らぬでしょうな。クラリス先生が、かつて封印書庫へ入った理由を」


「ザレス副学長」


 クラリスの声が低くなる。


「それは本件とは関係ありません」


「関係があるかどうかは、審査する側が判断する」


 ザレスは懐から古い文書の写しを取り出した。


 羊皮紙は黄ばんでいる。

 だが、封印印はまだ黒く残っていた。


「十二年前。王立魔導学院、外部補助術式研究班。通称、第三演算班。低整相者および非血紋適性者に対する補助発動実験。結果、術式暴走。一名、魔法回路損傷。二名、長期治療。研究主任見習い、クラリス=エルダーレン」


 フィンが目を見開いた。


「先生……?」


 リナが息を飲む。


 カイも、リオネルも、何も言わなかった。


 エリシアはクラリスを見た。


 クラリスは目を閉じていた。


 逃げるためではない。

 記憶の中に、正確な場所を探すように。


「……その記録は、封印指定のはずです」


「ええ。だからこそ、教会立ち会いのもと開示している」


 ザレスの声は、よく通る。

 周囲に残っていた学生たちが、再び耳を澄ませる。


「あなたは一度、外部演算に触れた。そして事故を起こした。だから封印に署名した。違いますか」


 クラリスは、ゆっくりと目を開けた。


「違います」


 ザレスの眉が動く。


「ほう?」


「事故は起きました。署名もしました。けれど、外部演算に触れたから事故が起きたのではありません」


「言い訳ですな」


「いいえ。原因分析です」


 その一言だけ、クラリスの声は鋭かった。


 彼女は学生たちへ向き直った。


「あなたたちに、隠していたことがあります」


 エリシアは背筋を伸ばした。

 フィンは黙った。

 リナは両手を握りしめる。

 カイは人垣を見て、逃げずに聞く姿勢を取った。

 リオネルは、ザレスの表情を横目で観察している。


「私は学生の頃、第三演算班にいました。目的は、血紋スキルに接続できない者、整相度が低く自動補正を受けられない者にも、安全に初等魔法を扱わせることでした」


 その言葉に、学生たちの間で小さなどよめきが起きる。


「ユウマ君のSEL-0とは違います。ずっと未熟で、粗いものでした。けれど、問いは同じでした。才能に届かない者へ、手続きで橋を架けられるか」


 クラリスは静かに続けた。


「当時、私たちが閲覧を許された資料は断片だけでした。入力整形、位相整合、外部媒体補助。その三つはありました。けれど、反力処理、失敗検出、停止条件、Ω遮断についての資料は黒塗りでした」


「黒塗り……?」


 リナが呟く。


「ええ。危険だから、という理由で」


 クラリスは微かに笑った。

 その笑みは痛かった。


「危険だから隠した。けれど、危険な部分を隠されたまま、私たちは実験を行った」


 フィンが低く言った。


「それ、設計図のブレーキだけ抜いたみたいなもんじゃねぇか」


「その通りです」


 クラリスは頷いた。


「私たちは、外部補助核が発動者の揺らぎを整えているのだと思っていました。実際には、発動者の停止意思まで平滑化していた。恐怖や痛みをノイズとして消し、止めたいという信号を弱めていた」


 リナの顔が青ざめた。


「治癒で、痛みを全部消してはいけないのと同じ……」


「ええ。痛みは危険信号です。恐怖も、時には停止信号です。それを消せば、人は動ける。けれど、止まれなくなる」


 クラリスの声が、少しだけ震えた。


「私の友人は、低整相者でした。彼は、初めて火を安定して灯せたことを喜んでいました。けれど、外部補助核は彼の入力を増幅し続けた。停止語は届かず、反力の逃げ場もなく、媒体が割れた」


 誰も口を挟まなかった。


「彼は死にませんでした。けれど、魔法回路を失いました。二度と、自力では火花一つ灯せなくなった」


 クラリスは、ザレスを見た。


「教会は、それを異端研究の当然の末路と断じました。学院も政治的な衝突を避けるため、研究の封印を受け入れた。私はその報告書に署名しました。これ以上、研究班の仲間を審問にかけさせないために」


「つまり、罪を認めたのですな」


 ザレスが言う。


「いいえ」


 クラリスは首を横に振った。


「私は、責任を認めました。けれど、知識そのものが罪だとは認めていません」


「詭弁です」


「詭弁ではありません。もし停止条件が開示されていれば、事故は防げた可能性が高い。もし反力処理の必要性を知っていれば、媒体破裂は避けられた。もしΩ遮断の意味を理解していれば、発動者の停止意思を奪う危険を予測できた」


 クラリスは一歩前へ出た。


「危険だったのは、知識ではありません。危険な知識を半分だけ渡し、残りを権威の棚に閉じ込めたことです」


 廊下が、完全に静かになった。


 ザレスの顔から笑みが消える。


「その発言は、教会への重大な侮辱です」


「事実です」


「事実を名乗る異端ほど危険なものはない」


「ならば、事実を検証してください」


 クラリスの声は、もう震えていなかった。


「十二年前の事故記録を開示してください。黒塗り前の閲覧制限理由を。停止条件がどの段階で隠されたのかを。誰が許可し、誰が封じたのかを」


 ザレスは答えなかった。


 代わりに、教会の白衣が一歩前へ出た。


「クラリス=エルダーレン准教授。あなたの発言は、異端審査院に報告される」


「どうぞ」


「あなた自身も審査対象になり得る」


「承知しています」


 あまりにも静かな返答だった。


 エリシアは、その瞬間に理解した。


 クラリスは恐れていないのではない。

 恐れたうえで、もう逃げないと決めている。


「先生」


 エリシアが言った。


「なぜ、今まで黙っていたのですか」


 クラリスは、少しだけ目を伏せた。


「言えば、あなたたちを近づけすぎると思ったからです」


「でも、私たちはもう近づいています」


「ええ」


「なら、もっと早く言ってほしかった」


 その言葉に責める響きはあった。

 けれど、失望ではない。


 クラリスは小さく頷いた。


「その通りです。私はまた、知識を閉じようとしていました。守るためだと言いながら」


 フィンが頭をかいた。


 フィンが頭をかいた。


「あー……先生、今さらだけどさ。俺ら、危ねぇって言われて引くほど賢くないぞ」


 クラリスは一瞬だけ目を丸くした。

 それから、困ったように眉を下げ、ほんの少しだけ笑った。


「……それは、教師としては心配すべきところですね」


「だろ?」


「ええ。ですが、今は少しだけ頼もしくもあります」


「だから、危ないなら危ないって言ってくれ。止める道具、作るから」


 リナも頷いた。


「わたしは、危険信号を消さない基準を作ります」


 カイが続ける。


「俺は、止まれなくなった時に引っ張る役でもいい」


 リオネルは腕を組んだまま言った。


「僕は、貴族側でこの話がどう使われるかを見る。ザレス副学長のような方々は、過去の事故を都合よく切り取るでしょうから」


「貴様……」


 ザレスが睨む。


 リオネルは涼しい顔で返した。


「私は事実確認と言っただけです。副学長。貴族として、曖昧な前例で学生を裁くことには慎重であるべきでしょう」


 エリシアはクラリスへ向き直った。


「先生。私たちは、ユウマを助けます」


「はい」


「そのために、十二年前の事故記録も必要です」


「分かっています」


「隠さないでください」


 クラリスは、今度こそまっすぐ頷いた。


「隠しません」


 その時、学院の鐘が鳴った。

 夕刻を告げる鐘。

 日常の音。


 だが、そこにもう一つ、遠い鐘が重なった気がした。

 教会の監査鐘。

 裁きの塔へ向かう馬車の音。


 クラリスは廊下の先を見た。


「十二年前、私は知識を閉じる側に回りました」


 彼女は静かに言った。


「でも、今度は違います」


 エリシアは問い返さなかった。


 クラリスは続けた。


「今度は、開くために閉じます」


 クラリスは、ゆっくりと言葉を選んだ。


「すべてをここで叫べば、記録も人もまとめて潰されます。だから今は、表向きには口を閉じ、資料を閉じ、教会の前では私が責任者として立ちます」


 彼女はエリシアたちを見た。


「その間に、あなたたちは記録を守り、証言を分け、ユウマ君を取り戻す道を探してください。知識を隠すために閉じるのではありません。次に正しく開くために、今だけ閉じるのです」


 そして、静かに続けた。


「守るために逃がします。証明するために、時間を稼ぎます」


 ザレスが冷たく言う。


「その前に、あなたが裁かれるかもしれませんぞ」


「ええ」


 クラリスは微笑んだ。


「その時は、正しく裁かれるための記録を残します」


 その笑みを見て、エリシアは思った。


 ユウマは連れていかれた。

 けれど、研究班は壊れていない。


 むしろ、今初めて、本当の意味で始まったのかもしれない。


 知識が罪になる世界で。

 過去の失敗が鎖として使われる世界で。


 それでも、彼女たちは証明しなければならない。


 事故は、隠すものではない。

 繰り返さないために、開くものだ。


 エリシアは紅のリボンに触れた。

 ヴァーミリオン家の家紋が刺繍された、誇りの象徴。


 それが今は、少し重かった。


 遠くで、教会馬車の音はもう聞こえない。


 だが、ユウマが残した言葉は残っている。


 火を置く前に、置き方を決める。


 ならば、次に置くのは火ではない。


 記録だ。

 証言だ。

 逃げ道だ。


 正面から叫ぶだけでは、ユウマは救えない。

 制度の中で守れるものは守る。

 記録として残せるものは残す。

 そして、正式な手続きだけでは届かない場所に彼が連れていかれるなら、その時は、誰を逃がし、何を隠し、どこで合図するかまで決めなければならない。


 それは感情だけの反抗ではない。


 仲間を守るための、手順を持った抵抗だった。 そして、必要ならば反逆の手順だ。


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